セバスティアン・フレイ
セバスティアン・フレイ(Sébastien Frey、1980年3月18日 - )は、フランス、ローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県トノン=レ=バン出身のサッカー選手。ポジションはGK。イタリア・セリエAのジェノアCFCに所属。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Sébastien FREY | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1980年3月18日(44歳) | |||||
出身地 | トノン=レ=バン | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 90kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ジェノアCFC | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1997-1998 1998-2001 1999-2000 2001-2006 2005-2006 2006-2011 2011- |
ASカンヌ インテルナツィオナーレ・ミラノ →エラス・ヴェローナ(loan) ACパルマ →ACFフィオレンティーナ(loan) フィオレンティーナ ジェノアCFC |
24 (0) 35 (0) 30 (0) 132 (0) 18 (0) 157 (0) () | ||||
代表歴2 | ||||||
2007–2008 | フランス | 2 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2010/11シーズン終了時点現在。 2. 2008年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
1997年にASカンヌでプロデビュー。1998年、18歳でセリエAの強豪クラブ・インテル・ミラノへ移籍したが、出場機会に恵まれず翌シーズンはエラス・ヴェローナへレンタル移籍。そこで神がかり的なセーブを連発し、2000年にインテルに復帰し正GKを務めたが、2001年にACFフィオレンティーナからフランチェスコ・トルドが移籍したためACパルマへ移籍。パルマではユヴェントスFCに移籍したジャンルイジ・ブッフォンの穴埋めを期待されたが、体重の増加等の問題もあり思うような活躍はできなかった。なお、パルマでは中田英寿と同僚だった。2005年夏にはACFフィオレンティーナへレンタル移籍した。
フィオレンティーナにレンタル移籍してからは不動の守護神として存在感を発揮し、ティフォージの支持を集める。2006年の3月には怨敵ユヴェントス戦で全治3ヶ月の故障を負わされ長期離脱を余儀なくされるが、フィオレンティーナの同僚やティフォージからの熱心な励ましに感激し、フィオレンティーナへの完全移籍を熱望。シーズン終了後にパルマからの完全移籍を果たす。フレイ不在のフィオレンティーナはアヤックス・アムステルダムからボグダン・ロボンツを獲得して残りのシーズンを戦ったが、その間もティフォージは「ヴィオラ(フィオレンティーナの愛称)の正GKはフレイ以外にあり得ない」との認識を崩さなかった(ロボンツは2007年にディナモ・ブカレストに移籍)。
その後も正GKとして活躍していたが、2010-11シーズンはシーズンを棒に振る故障によってセルティックFCから加入したアルトゥール・ボルツにレギュラーを奪われ、移籍後最低となる11試合の出場に留まった。
代表
フランスU21代表では4試合に出場。2004年11月のポーランド戦でフル代表に初選出されたが試合に出場することはなかった。
2007年11月21日、EURO2008予選最終節のウクライナ戦で、フランス代表として初出場。アンドレイ・シェフチェンコが放ったヘディングシュートの処理を誤り、ウクライナの2点目を献上するミスを犯すなど、満足とはいかないデビューであった。
2008年8月22日、フレイは代表引退を発表した。現在の代表スタッフに対する不満を理由とし、将来状況が変わった場合、引退撤回も有り得るとしている。[1]
人物
- 祖父のアンドレ・フレイは、フランスで有名だったサッカー選手であり、父のレイモン・フレイもプロのゴールキーパーだった。
- 弟はACキエーヴォ・ヴェローナ所属のDFニコラ・フレイ。ニコラは独特なヘアスタイルをすることで有名である。
- 趣味は漫画を読むことで、それにハマって一時期、金髪で髪を逆立てるヘアスタイルをしていたが、それは「ドラゴンボール」に出てくる「スーパーサイヤ人」を真似たものだった。パルマ時代にチームメートだった中田英寿は、「鳥山明のサインをもらってきてくれ」とフレイに熱望されたことがあるという。
- イタリアの至宝ロベルト・バッジョの紹介で、2006年、SGI(創価学会インターナショナル)に入会。2007年3月25日にはフィレンツェ市から池田大作SGI会長への「平和の印章」授与式にも列席した[2]。
所属クラブ
- ASカンヌ 1997年 - 1998年
- インテルナツィオナーレ・ミラノ 1998年 - 2001年
- → エラス・ヴェローナ(loan) 1999年 - 2000年(レンタル移籍)
- パルマ 2001年 - 2006年
- → ACFフィオレンティーナ 2005年 - 2006年(レンタル移籍)
- フィオレンティーナ 2006年 - 2011年
- ジェノアCFC 2011年 -
脚注
- ^ “GKフレイがフランス代表引退「今のスタッフの下ではプレーしない」”. スポーツナビ. Y's Sports Inc. (2008年8月22日). 2008年8月22日閲覧。
- ^ 聖教新聞2007.4.22/10.7