ノート:ロシア

これはこのページの過去の版です。182.171.107.137 (会話) による 2012年3月15日 (木) 07:17個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎ナチス・ドイツと同盟: 新しい節)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。


最新のコメント:12 年前 | トピック:ナチス・ドイツと同盟 | 投稿者:182.171.107.137

ロシアといっても、現在の「ロシア連邦」だけでなく、かつての「ロシア帝国」もあるので、「ロシア」に移動しました。るがこむ 21:17 2003年3月27日 (UTC)

「をろしや」の語源について

本文中では、「当時の日本語では「ら行」を語頭に持ってくることができなかったためである」という断定されていますが、これは本当なのでしょうか。

16世紀後半のポルトガルとの交易を通じて、「羅紗(ラシャ)」「呂宋(ルソン)」といった品物名や地名、そして「ろれんそ」「ろざりお」などといった多くのキリスト教用語や人名を「ら行」で始まる形で受け入れています。それ以前に、漢字音を通じて「来迎」「竜」「六角」など、「ら行」で始まる言葉はすでに日本語では当たり前の存在になっていたはずです。恐らくはポルトガル語経由のキリスト教用語よりも後に入ってきたであろうこの国の呼び名について、本文中のように奈良時代以前の日本語について述べたような説明が事実であるようには思えません。

単に'そのように聞こえたから(そう聞こえること自体が,昔は「ら行」が語頭に立てなかった名残かもしれないが)、あるいはそのようなソースがあったから(モンゴル語や中国語ではこの国を「オロス」と呼んでいます)と考える方が理にかなっている気がします。

「要出典」タグでは少し趣旨が違うような気がするので貼らずにおきますが、「をろしや」という形の呼び名がどのルートで入ってきたのか(ポルトガル船やオランダ船による「南回りルート」か、モンゴルや中国を通ってきた「草原ルート」なのか、カラフト・千島での直接接触による「北方ルート」か、など)も含めて、語源についてはもう少し詳細な検討が必要であるように思います。HATO 2008年8月11日 (月) 18:03 (UTC)返信

たしかに、その断定は怪しげですね。中国語では俄罗斯(オロス)、モンゴル語でもОрос(オロス)、ハンガリー語でOroszország(オロソルサーグ)となっている点を見ると、何がしかの外来語ではないでしょうか。--Peccafly 2008年10月17日 (金) 14:33 (UTC)返信

「オロス」系の表記は、北東アジアの現地民族の言い方に由来しています。つまり、ロシアが東進してきたときに、最初に彼らと会った人々です。彼らの言語(トゥングース系諸民族、ウラル=アルタイ語族。なお、当時の中国の公用語のうち二つは満州語、モンゴル語でこの系統)で「ロ」を語頭に持ってくるのが馴染まなかったことから、「オロス」等の呼び方になりました(言語によって、あるいは時代によって呼び方は若干違っていましたが、どのようなバリエーションがあったか失念しました)。中国語の「俄罗斯」は、17世紀の北東アジア地域の現地民族が使用していた名称の音写(漢字表記)だったと思います(少し忘れました。当初は発音は同じ別の字で表記していたような気がしますが、100%の確証はありません)。ハンガリー語については知りませんが、もしかしたらフィン語系の言語なので近い事情があるのかもしれません。--PRUSAKYN 2008年12月23日 (火) 05:53 (UTC)返信

大統領の任期

22日に、ロシアの大統領の任期を変える為にの憲法改正が終わりました。私の日本語が下手だので、誰は本文が直すことできますか?--上官大夫 2008年12月22日 (月) 15:59 (UTC)返信

直してみました。いかがでしょうか。--Peccafly 2008年12月23日 (火) 01:27 (UTC)返信

冒頭の基礎情報にあった地図画像について

冒頭の基礎情報に貼ってあった地図の画像は、よく見ると帰属が決まっていない南樺太千島列島、また日本の領土である北方領土があたかもロシア領であるかのように着色されています。

そのため、現在の日本の立場から考えて大変不適切であると判断し、とりあえず除去させていただきました。--Jisyoutetuota 2010年2月2日 (火) 11:55 (UTC)返信

これについては承知しました。ただ、今後、編集の説明意図をノートで説明される時は、「ノートを参照」等の記入を要約欄に頂けませんでしょうか。ノートの説明を見落とす事がありますので(実際、今回は気付きませんでした)。よろしくお願いします。--Kinno Angel 2010年2月4日 (木) 07:36 (UTC) 修正--Kinno Angel 2010年2月4日 (木) 07:38 (UTC)返信

了解です。今後気をつけます・・・。--Jisyoutetuota 2010年2月4日 (木) 07:55 (UTC)返信

ありがとうございます。こちらこそ至りませんで申し訳ありませんでした。今後ともよろしくお願いします。--Kinno Angel 2010年2月4日 (木) 08:47 (UTC)返信

さらに少しこの問題を発展させたいのですが、他言語版でも問題にしなければならない話題かと存じます。別に北方領土を日本領として着色すべきだと「日本人として」主張する必要は「事典においては」ありませんが、国境について日露両国間に主張の違いがあるのは客観的事実なのであり、これを国際的な事典に反映させる事は正確さの維持向上の為にも当然の事でしょう。他言語版の現状はどうなっているのか、コモンズの画像はどうなっているのか、調査する必要がありそうです。--Kinno Angel 2010年2月4日 (木) 08:50 (UTC)返信

そうですね。他の国ではすべてロシア領であるという立場らしいので・・・。責めて日本語版だけでも修正することは(例えば日本語版用の画像を作ってもらうとか・・・)出来ないものでしょうか。--Jisyoutetuota 2010年2月4日 (木) 12:40 (UTC)返信
領土の帰属に関して日本とロシアで意見が食い違っているのは事実なので、客観性・中立性が要求されるウィキペディアで北方諸島がなんの断りもなくロシア領として表示されているのはちょっと問題がありそうです。日本では北方四島は日本のその他の領土と区別してオレンジ色に着色されていますし、ロシアでのロシアの地理画像でも同様に四島はオレンジ色とするのが公平ではないかと思います。--Peccafly 2010年2月4日 (木) 13:37 (UTC)返信
Jisyoutetuotaさん
日本語版だけで修正するのではなく、事実は事実としての事典的記載を、他言語版にも求めていくべきかと思います。余談気味ですが、むしろ北方領土についての日本政府の主張が広く知られた日本でよりも、他国版でこそ、事実に基づいた記述が要求されてしかるべきでしょう。
  • 「北方領土は日本の領土である」(日本国の主張⇒事典にそのまま載せられない・但し「日本政府の主張」という但し書き付であれば可)
  • 「南クリル諸島はロシアの領土である」(ロシア連邦の主張⇒事典にそのまま載せられない・但し「ロシア連邦政府の主張」という但し書き付であれば可)
  • 「両国間に領土問題が存在する地域がある」(客観的事実⇒事典にそのまま載せられる・というより載せるべき)
以上は日本語版のみならず、他言語版にもNPOVの方針から当然に要求していくべきですし、コモンズにおける画像にも反映されてしかるべきです。
Peccaflyさん
どこにこの話、持って行きましょうか。まず、日本語版でノート:北方領土問題辺りで賛同者を募り、さらに英語が出来る編集者を集めてコモンズの画像修正を複数人で提起しましょうか。私も部分的には協力出来ますが、一人でコモンズに乗り込めるほどには、英語力に自信がありません(書き込み・議論参加は出来ますし、言いだしっぺとしてもちろんそのつもりですが、複数人に一斉に反論された場合には、私一人では語学力になかなか厳しいものがあるかと思います)。--Kinno Angel 2010年2月4日 (木) 14:40 (UTC)返信
やはり、難しいかもしれませんが他言語版でも議論する必要がありますね。他言語版でこの件についてどう書かれているのか(というかそもそも書かれているのか)は興味深いものです。とりあえず、もう少し議論するのにふさわしい場所に場を移した方が良さそうですね。--Jisyoutetuota 2010年2月5日 (金) 02:41 (UTC)返信

以前、英語版の北海道の記事で、北方諸島も北海道の一部として着色してくれ、という議論に参加したことがあります(en:Talk:Hokkaidō/Archive 1#Map of Hokkaidoen:Talk:Hokkaidō/Archive 1#Map edit war: ownership of the southern Kuril Islands)。この時は結果的に北方四島は北海道本体よりも薄い色で着色してもらえることになりました。私の英語もひどいものですが、英語がつたなくても主張がちゃんと伝われば議論はできますし、まず発信することが肝要かと思います。しかしその前に気づいたことなのですが、en:Indiaを見ると、領有をめぐって議論がある領土のうち、インドが実効支配しているアルナーチャル・プラデーシュ州ジャンムー・カシミール州はそれ以外のインド領と同じ濃い緑色が付けられ、一方インドの実効支配下にないアザド・カシミールアクサイチンは薄い緑色となっています。en:People's Republic of Chinaen:Pakistanでも同様となっており、もしロシアに関しても同様に実効支配を基準とするのであれば、現行の地図でよい、ということにもなると思います。--Peccafly 2010年2月5日 (金) 21:08 (UTC)返信

確かに記事「ロシア」の冒頭にあった地図は北方領土がロシア領として着色されていましたが、一方で記事「日本」の冒頭にある地図は北方領土が日本の領土として着色されています。こちらはどうするのでしょうか? --柑橘類 2010年3月22日 (月) 07:53 (UTC)返信
「中立的な観点」はウィキメディアプロジェクトに共通するものですから日本語版どうこうではなくウィキメディアプロジェクト全体で取り組む必要があると思います。--126.116.128.37 2010年8月17日 (火) 13:42 (UTC)返信

疑問

グロズヌイGroznyチェチェン語:Соьлжа-ГIалаロシア語:Грозный

カザンタタール語: Казан, Qazan ;ロシア語: Каза́нь, Kazan カザーニ

ロシア語が先でチェチェン語が後にくるのが「普通」ではないでしょうか?他ではロシア連邦内の都市であるにも関わらずロシア語で示されずに現地語だけ示したページもありました。 カザンに関しては英語、フランス語、ドイツ語、何れの記事においても先にロシア語で示されていました。何故ロシアのページではこの様な事が起きるのでしょうか?不思議でなりません。(--ロシス 2011年10月4日 (火) 18:30 (UTC)返信

記事中の「マスコミも政権の強い影響下にある為」の文章は具体的に書いてもらう事は出来ますでしょうか?昨今ロシアの関連したニュースをネットでよくみます。そのサイト、例えば産経でも「強い影響下にある」云々という文章を見かけますが、具体的には書かれていない事が多い様に見受けられます。強い影響下とは何を以ってしての「強い」「影響下」なんでしょうか?(--ロシス 2011年10月4日 (火) 18:46 (UTC)返信

ナチス・ドイツと同盟

「第二次世界大戦では一時ナチス・ドイツと同盟を結び、バルト三国を併合してソビエト連邦の一部とし、ソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に破棄して侵攻し、ポーランドを占領、フィンランドにも圧迫を加えたが、やがて同盟を破ったヒトラーに攻め込まれて西部の広大な地域をドイツに占領され、不利な状況に陥った。」

このように本文中にありますがここで言う同盟とは「独ソ不可侵条約」及び「ドイツ・ソビエト境界友好条約」のことを指していますがこれは正確には同盟と言えるのでしょうか? 不可侵条約と同盟は明確に区別されるものだと思われます。 また、独ソ不可侵条約の締結は第二次世界大戦の始まる前の1939年8月23日ですので、「第二次世界大戦では一時ナチス・ドイツと同盟を結び~」という表現も正確性に欠けます。 --182.171.107.137 2012年3月15日 (木) 07:17 (UTC)返信

ページ「ロシア」に戻る。