九鬼紋十郎

これはこのページの過去の版です。210.149.120.71 (会話) による 2012年6月22日 (金) 22:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎年譜)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

九鬼 紋十郎(くき もんじゅうろう)1902年(明治35年)6月7日1986年(昭和61年)10月6日は、三重県の政治家。終戦後に衆議院議員(1期)及び参議院議員(1期)を務めた。九鬼産業グループを経営する実業家。四日市九鬼家当主である。代々四日市の九鬼一族の九鬼産業家が「九鬼紋十郎」を襲名していた。日本進歩党議員。三重県四日市市出身。

年譜

1902年(明治35年)6月7日に九鬼水軍も末裔の四日市九鬼家の九鬼紋七の長男として誕生した。幼名の九鬼金平改め『九鬼紋十郎』を襲名した。父の九鬼紋七は衆議院議員などを務めた政治家であり、九鬼産業グループを経営する実業家であった。1929年(昭和4年)に東京帝国大学文学部美学美術学科を卒業した。大学卒業後は政治家となり四日市市議会議員に就任した。四日市市議会副議長⇒四日市市議会議長を歴任する。九鬼産業グループを経営する九鬼財閥の総帥で四日市市の有力実業家として、1946年(昭和21年)から~1951年(昭和26年)に期間には四日市商工会議所の会頭として四日市市の財界で活躍した。三重県商工会議所連合会長や日本商工会議所の常議員などの財界の役職を務めた。財界人として中外ピストンの取締役。四日市築港の取締役。尾張時計株式会社(現在の尾張精機)の取締役。三岐鉄道の社長と1963年(昭和38年)に会長に就任。東海ストア株式会社の社長。三重銀行の取締役を歴任した。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙で日本進歩党から当選。衆議院議員から参議院議員に鞍替えして1947年(昭和22年)の第1回参議院議員通常選挙で当選。衆議院議員1期。参議院議員1期を務めた。四日市市長となった九鬼喜久男は娘の高子の娘婿で四日市九鬼家の養子。四日市市大字松本在住。勲三等旭日中紋章受章。1986年(昭和61年)10月6日死去。

趣味

家庭・横顔

  • 光子夫人(明治43年生まれ)
  • 名実共に三重県下の政財界の大御所で、淡雅清高な有徳者である。

参考文献

  • 廣新二『日本政治史に残る三重県選出国会議員』(1985年)の「九鬼紋十郎」の項目
  • 三重県史』資料編 近代1 政治・行政 1
  • 『三重県史』資料編 近代2 政治・行政 2
  • 三重県紳士録
  • 四日市市制111周年記念出版本「四日市の礎111人のドラマとその横顔」
  • 四日市市史(第18巻・通史編・近代
  • 四日市市史(第19巻・通史編・現代