クリス・ホイ

イギリスの自転車競技 (1976-)

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サー・クリス・ホイ(Sir Chris Hoy。1976年3月23日- )は、スコットランドエディンバラ生まれの自転車競技トラックレース)選手である。本名はクリストファー・アンドリュー・ホイ(Christopher Andrew Hoy)。

サー・クリス・ホイ
Sir Chris Hoy
基本情報
本名 Christopher Andrew Hoy
クリストファー・アンドリュー・ホイ
生年月日 (1976-03-23) 1976年3月23日(48歳)
国籍 スコットランドの旗 スコットランド
イギリスの旗 イギリス
身長 186cm
体重 92kg
選手情報
分野 トラックレース
役割 選手
特徴 スプリンター
先行、捲り
主要レース勝利

オリンピック

ケイリン 2008
チームスプリント 2008
個人スプリント 2008
1kmTT 2004

世界選手権

1kmTT 2002、2004、2006-2007
チームスプリント 2002、2005
ケイリン 2007-2008、2010、2012
個人スプリント 2008
最終更新日
2012年4月8日

経歴

2005年初頭に大英帝国勲章・MBEを受章し、同年7月にエディンバラ大学博士号を得た。2008年12月にナイトの称号が与えられた。また、2005年には国際競輪にも参加し、通算14戦4勝の成績を収めた。そして、地元開催の2012年ロンドンオリンピックの開会式ではイギリス選手団の旗手を務めた。

元々はBMX及びボートの選手だった。トラックレース選手としての最初のキャリアは、チームスプリントのイギリスチームの一員としてであった。

その後、1kmタイムトライアル(以下、1kmTT)にも活躍の場を広げる。

ところが、2008年北京オリンピックでは、BMXが種目として加わる代わりに、1kmTTが種目から除外されることになったため、ホイのレースキャリアに転機が訪れることになる。

  • 世界選手権
    •   1kmTTで3度目の優勝を果たしたが、前述の理由につき、翌、2007年の世界選手権を最後に、1kmTTでは国際大会からの撤退を決意。
    • チームスプリント 2位
  • コモンウェルスゲームズ
    • チームスプリント 優勝
    • 1kmTT 3位
  • UCIトラックワールドカップ2006-2007の第3戦より初めてケイリンへ出場し、予選から他を寄せ付けず優勝。
  • 世界選手権
    •   ケイリンにおいて、前年覇者のテオ・ボスを準決勝、決勝といずれも撃破して優勝した。
    •   そして最後の出場と決意した1kmTTでは4回目の優勝を果たした。
  • 5月12日ボリビアラパスにおいて、500mフライングタイムトライアルにおいて、24秒758の、同種目世界記録を樹立。さらにアルノー・トゥルナンが1kmTTの世界記録を樹立した場所もある同地において、トゥルナンが記録を保持している58秒875の更新を目指した。500mのラップではトゥルナンのタイムを上回っていたが、最後はわずか0.005秒及ばず、58秒880のタイムでフィニッシュし、惜しくも世界記録更新はならなかった。

短距離種目の王者に君臨

  • 世界自転車選手権
    •   個人スプリント準々決勝(1/4ファイナル)においてテオ・ボスに逆転勝ちを収め、その後も準決勝でロベルト・キアッパを、決勝ではケヴィン・シローをいずれもストレートで撃破し優勝を収め、個人スプリントでも北京オリンピックの出場権を得た。
    •   ケイリンでは予選、準決勝、決勝の3レースでいずれも勝利して世界選手権の同種目連覇を達成した。

北京オリンピックトリプルクラウン達成

  •   上述の2008年の世界選手権における強さは、北京オリンピックでも発揮された。まず、8月15日に行われたチームスプリントに出場。ジェミー・スタッフ(第1走)、ジェイソン・ケニー(第2走)、ホイ(第3走)で挑んだイギリスチームは、スタッフが最初の250mを17秒198という、これまでいまだ誰もマークしていなかったタイムをたたき出したことが要因となり、42秒950のタイムで予選1位通過。世界選手権同種目3連覇中で、予選2位のフランスに0.591秒という「大差」をつけた。その後、順位決定予備戦でアメリカを破ったが、ここでも勝ち上がった4チーム中、トップタイム(43秒034)をマークし、同2位のタイムをマークしたフランスと決勝で対戦。その決勝戦において、スタッフが17秒136で最初の250mを走破し、フランス第1走のグレゴリー・ボジェに0.241秒の差をつけた。このリードをケニー、ホイがさらに広げ、43秒128のタイムでゴール。フランスに0.523秒の差をつけ、ホイはまず「一冠」を手中にした。
  •   最も金メダルが困難と見られたチームスプリントを制したホイは、翌8月16日のケイリンに出場。ホイにとってみれば、最も金メダルの可能性が高い種目であったが、予選、準決勝といずれも圧勝。加えて最大のライバルとみられたオランダテオ・ボスが準決勝で落車し、その後の再レースを棄権したことで、決勝の戦前から、金メダル確実と見られていた。決勝では、道中最後方に位置していた永井清史が残りあと3周付近より上昇。その後一気に先頭に押し上げ、ホイの番手に入り込むという飛びつき策に出た。ホイは残りあと1周半地点よりスパートをかけ、これに永井がすかさず反応して2番手をキープしたが、その後ホイの加速についていけなくなり、逆に千切られてしまった。これでホイは完全に独走状態となり、最後は2着に入った同胞のロス・エドガーに3~4車身程の差をつけ、二冠を達成した。
  •   8月17日から3日間に亘って行われたスプリント。予選の200mフライングタイムトライアルにおいて、9秒815のオリンピック新記録をマークしトップタイム。その後、デニス・ドミトリエフ、渡邉一成アジズルハスニ・アワンといった相手を問題なく撃破。準決勝で対戦したミカエル・ブルガンもストレートで破り、決勝はチームスプリントで共に金メダルを分かち合ったジェイソン・ケニーと対戦したが、1本目10秒228、2本目10秒216のハロンラップタイムをマークして完勝。スプリントでも、全てストレート勝ちを収め、ついに三冠を達成した。

しかし、2009年2月に行われたUCIトラックワールドカップ第5戦のケイリンで落車したため、同年開催の世界選手権は欠場を余儀なくされてしまった。

  • 2009年 - 2010年シーズンのトラックワールドカップでは、マンチェスターで行われた第1戦のみ出場したが、ケイリン、スプリント、チームスプリントの「三冠」を達成。
  • 世界選手権
    • チームスプリントで3位。
    •   ケイリンでは予選、準決勝、決勝といずれも1着となり、3度目の同種目世界一を達成。同時にこの優勝が世界選手権として10回目の優勝となった。
    • しかしスプリントでは、準々決勝でグレゴリー・ボジェに逆転負けし、6位に終わった。

世界選手権

  • スプリントは当初3位、チームスプリントも当初3位だったが、フランス自転車競技連盟(FFC)が2011年11月8日、グレゴリー・ボジェに対し、18ヶ月間の期間中、2回、競技外ドーピングを行わなかったとして2012年1月6日、2010年12月23日〜2011年12月22日まで1年間の出場停止処分とする内示を提示していたが、これを受け国際自転車競技連合(UCI)は、2011年トラックレース世界選手権におけるスプリント及びチームスプリント、さらに同年のフランス選手権のスプリントにおける優勝記録を抹消することを公表した[1]ため、スプリント2位、チームスプリントでも2位と、それぞれ順位が繰り上がることになった。
  • 出場機会3連続優勝中のケイリンでは予選こそ1着だったが、準決勝では3着に終わった。決勝でもシェーン・パーキンスに敗れ2着に終わり、怪我で参加できなかった2009年を除くと、2003年以来となる同大会無冠に終わった。

UCIトラックワールドカップ2011-2012

  • アスタナ - スプリント 優勝

UCIトラックワールドカップ2011-2012

  • ロンドン - ケイリン 優勝

世界選手権

『サー・クリス・ホイ』

2008年度の、BBCスポーツ・パーソナリティ・オブザイヤー賞(イギリスの最優秀スポーツ選手賞)を受賞したホイに、ナイトの称号が与えられることになった[2]。したがって、名前の一番前には、『サー』がつくことになる。

注記

  1. ^ Baugé and France lose World track titles - cyclingnews.com 1月6日付記事(英語)
  2. ^ Hoy to be knighted(サイクリングニュース 2008年12月22日付記事。英語)

外部リンク