セバスティアン・フレイ

これはこのページの過去の版です。58.94.177.89 (会話) による 2012年8月19日 (日) 13:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

セバスティアン・フレイSébastien Frey1980年3月18日 - )は、フランスローヌ=アルプ地域圏オート=サヴォワ県トノン=レ=バン出身のサッカー選手。ポジションはGK。イタリア・セリエAジェノアCFCに所属。

セバスティアン・フレイ
名前
ラテン文字 Sébastien FREY
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1980-03-18) 1980年3月18日(44歳)
出身地 トノン=レ=バン
身長 190cm
体重 90kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ジェノアCFC
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1998
1998-2001
1999-2000
2001-2006
2005-2006
2006-2011
2011-
フランスの旗 ASカンヌ
イタリアの旗 インテル・ミラノ
イタリアの旗エラス・ヴェローナ(loan)
イタリアの旗 ACパルマ
イタリアの旗フィオレンティーナ(loan)
イタリアの旗 フィオレンティーナ
イタリアの旗 ジェノアCFC
24 (0)
35 (0)
30 (0)
132 (0)
18 (0)
157 (0)
38 (0)
代表歴2
2007–2008 フランスの旗 フランス 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2011/12シーズン終了時点現在。
2. 2008年7月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴

1997年ASカンヌでプロデビュー。1998年、18歳でセリエAの強豪インテル・ミラノへ移籍したが、出場機会に恵まれず翌シーズンはエラス・ヴェローナへレンタル移籍。そこで神がかり的なセーブを連発し、2000年にインテルに復帰し正GKを務めたが、2001年ACFフィオレンティーナからフランチェスコ・トルドが移籍したためACパルマへ移籍。パルマではユヴェントスFCに移籍したジャンルイジ・ブッフォンの穴埋めを期待されたが、体重の増加等の問題もあり思うような活躍はできなかった。なお、パルマでは中田英寿と同僚だった。2005年夏にはフィオレンティーナへレンタル移籍した。

フィオレンティーナにレンタル移籍してからは不動の守護神として存在感を発揮し、ティフォージの支持を集める。2006年の3月には怨敵ユヴェントス戦で全治3ヶ月の故障を負わされ長期離脱を余儀なくされるが、フィオレンティーナの同僚やティフォージからの熱心な励ましに感激し、フィオレンティーナへの完全移籍を熱望。シーズン終了後にパルマからの完全移籍を果たす。フレイ不在のフィオレンティーナはアヤックス・アムステルダムからボグダン・ロボンツを獲得して残りのシーズンを戦ったが、その間もティフォージは「ヴィオラ(フィオレンティーナの愛称)の正GKはフレイ以外にあり得ない」との認識を崩さなかった(ロボンツは2007年ディナモ・ブカレストに移籍)。

その後も正GKとして活躍していたが、2010-11シーズンはシーズンを棒に振る故障によってセルティックFCから加入したアルトゥール・ボルツにレギュラーを奪われ、移籍後最低となる11試合の出場に留まった。

2011年7月29日ジェノアCFCへ移籍。2011-12シーズンはリーグ戦全38試合にフル出場したが、リーグ最多の69失点を喫し、最終盤まで降格争いに見舞われた(辛うじて17位で残留)。

代表

フランスU21代表では4試合に出場。2004年11月ポーランド戦でフル代表に初選出されたが試合に出場することはなかった。

2007年11月21日EURO2008予選最終節のウクライナ戦で、フランス代表として初出場。アンドレイ・シェフチェンコが放ったヘディングシュートの処理を誤り、ウクライナの2点目を献上するミスを犯すなど、満足とはいかないデビューであった。

2008年8月22日、フレイは代表引退を発表した。現在の代表スタッフに対する不満を理由とし、将来状況が変わった場合、引退撤回も有り得るとしている。[1]

人物

所属クラブ

脚注

  1. ^ GKフレイがフランス代表引退「今のスタッフの下ではプレーしない」”. スポーツナビ. Y's Sports Inc. (2008年8月22日). 2008年8月22日閲覧。
  2. ^ 聖教新聞2007.4.22/10.7