ショパン猪狩

日本のコメディアン (1929-2005)

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ショパン 猪狩(ショパン いがり 、1929年6月20日 - 2005年11月13日)は、コメディアン。本名は猪狩 誠二郎(いがり せいじろう)

アラブ人風の顔・派手な衣装で「ヘェ〜イ!!レッドスネェ〜ク!!!カモォ〜ン!!」と言いつつ笛を吹き、3つの壷からカラフルな蛇の縫いぐるみをニョロニョロと登場させる芸「三蛇調教」で人気を博す。他にマジックも演じており、相方が突っ込みを入れたりするコミック的な要素を取り入れた芸もしていた(マジックの最中に「手順がおかしい」と言う、ナイフを突き刺すマジックで「痛い」と言う等)。

来歴・人物

東京目黒の生まれ、宮大工の五男として育つ。

ボクシングの経験があるほか、第二次世界大戦前、上海プロレスセコンドを勤めるなど格闘技に精通。1948年、兄とともに三鷹市に創設した道場で、妹を含めた女性数人に日本初の女子プロレスの指導を行う[1]

1957年鯉口潤一と『東京コミックブラザーズ』(後に『東京コミックショウ』と改称)を結成。後に鯉口が弟子2名を連れて脱退し、妻の千重子や娘と舞台を勤めた。

2005年に心不全で死去。76歳没

家族

出典

  1. ^ 『ワイセツ物陳列罪だった時代』写楽1983年7月号p37

関連項目

出典