ニューポート・ニューズ造船所

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ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ(Northrop Grumman Newport News 略称 NGNN)は、アメリカ国内で最大の民間造船所で、ニミッツ級航空母艦を建造可能な唯一の造船所である。バージニア州ニューポート・ニューズ市に所在。

ニューポート・ニューズ造船所・乾ドック会社
Newport News Shipbuilding and Drydock Company
略称 NNS&DD、NNS
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
バージニア州ニューポートニューズ
特記事項:現在はノースロップ・グラマンの一部門
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1942年、巡洋艦バーミングハムの進水

かつてはノースロップ・グラマンの中で独立したセクタだったが、2008年1月28日、もう一つの造船セクタであるノースロップ・グラマン・シップ・システムズインガルス造船所エイボンデール造船所を管轄)と統合され、3つの造船所は1つのセクタノースロップ・グラマン・シップビルディングの管轄となっている。

ノースロップ・グラマン社に買収される前の名称は、 ニューポート・ニューズ造船所 (Newport News Shipbuilding and Drydock Company、略称 NNS&DD もしくは NNS)である。

歴史

1880年代コリス・ポッター・ハンティントンが、オハイオ渓谷からニューポート・ニューズへ石炭を運ぶためにチェサピーク・アンド・オハイオ鉄道を作った。彼は1886年にこの石炭輸送に使用する船を修理するために造船所を作り、1891年に最初の船となるタグボートドロシーを建造した。1897年までに同造船所は米海軍のために3隻の軍艦、ナッシュビル(USS Nashville)、ウィルミントン(USS Wilmington)およびヘレナ(USS Helena)を建造した。

1906年の革新的な戦艦ドレッドノートの就役が世界的な建艦競争の始まりとなった。1907年から1923年の間にニューポート・ニューズは、米海軍の22隻の弩級超弩級戦艦のうちの6隻を建造した。デラウェアテキサスペンシルベニアミシシッピメリーランドおよびウエスト・ヴァージニア。デラウェア以外の艦は第二次世界大戦に現役で参加した。

1907年セオドア・ルーズベルト大統領が、グレート・ホワイト・フリートを世界一周の航海に送り出した。16隻の戦艦のうちの7隻はニューポート・ニューズで建造された。1918年から1920年の間にニューポート・ニューズは25隻の駆逐艦を建造した。第一次世界大戦後には航空母艦を建造し始めた。レンジャー (CV-4)1934年に建造され、続いてヨークタウン (CV-5)およびエンタープライズ (CV-6)を建造した。

1940年までに海軍は7隻の航空母艦および4隻の巡洋艦を発注した。また、ニューポート・ニューズはリバティ船の要求を速やかに満たした。1941年末に最初のリバティ船を進水させ、全部で239隻を建造した。海軍はニューポート・ニューズに船舶建造での功績で「E」ペナントを授与した。

戦後、ニューポート・ニューズは有名な客船ユナイテッド・ステーツを建造した。それは大西洋横断の速度記録を作った。1954年にはウェスティングハウス・エレクトリック社および海軍と共同で、空母推進用のプロトタイプ原子炉を開発建造し、1960年には最初の原子力空母エンタープライズ (CVN-65)を設計した。1959年には、最初の原子力潜水艦シャークを建造した。

1970年代には西半球で今まで建造された最大のタンカーのうちの2隻と、さらにアメリカで今まで建造された最大のLNGタンカー、排水量39万トン以上の3隻を建造した。1980年代にはニミッツ級航空母艦およびロサンゼルス級原子力潜水艦を含む様々な海軍艦艇を建造した。2001年11月7日にニューポート・ニューズはノースロップ・グラマンとの吸収合併協定に署名し、40億ドルの造船所が誕生した。

2011年にノースロップ・グラマン社はニューポートニューズなどの造船部門を分離してハンティントン・インガルズ・インダストリー(HII)として独立させた。これによりノースロップ・グラマン社は10年に渡る米海軍艦建造から手を引くことになり、HIIの株主となった。