山田吾一

日本の俳優・声優

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山田 吾一 (やまだ ごいち、1933年2月20日 -2012年10月13日 ) は、日本俳優声優北海道瀬棚郡瀬棚町 (久遠郡せたな町) 出身。しまだプロダクション所属。

やまだ ごいち
山田 吾一
生年月日 (1933-02-20) 1933年2月20日(91歳)
出生地 北海道瀬棚郡瀬棚町
(久遠郡せたな町)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
ジャンル 俳優声優
活動期間 1950年代 -
活動内容 映画テレビドラマ舞台
主な作品
映画
事件記者』シリーズ/『激突! 殺人拳
テレビドラマ
事件記者 (テレビドラマ)
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長女は元NHKアナウンサーの山田亜樹。

来歴・人物

実家は旅館を営む。北海道深川西高等学校時代に演劇部で活動する。1951年同高校を卒業し会社員となるも、演劇の道を捨てきれず、1952年上京し、舞台芸術学院本科に入る。同学院卒業後、劇団四季劇団中芸に所属する。

1958年にはNHKテレビドラマ事件記者』にガンさんこと岩見記者役で出演し、猪突猛進型の正義感溢れる記者役を演じた。後に日活制作の映画版『事件記者』シリーズ、東宝制作の『新事件記者』シリーズにも岩見記者役で出演している。

以後もテレビドラマ・映画舞台で活躍。1970年代石立鉄男のコメディドラマの常連としても知られた。1974年の映画『激突! 殺人拳』でも主人公・千葉真一にまとわりつく中国人の相棒をコミカルに演じている。頑固さの中に温かみ、温もりのある頑固親父役など、庶民的で飾らない人物像を演じる一方、そのイメージを逆手に取り、「羊の皮を被った狼」的な凄みのある悪役を演じたこともあるなどその演技の幅は広い。

1990年には吾一座を旗揚げし、舞台『軽き者の儀・赤穂第四十七士』を上演した。

5歳年下の落語家古今亭志ん朝は親友であった。山田と志ん朝は顔がよく似ていたことで知られ、志ん朝は山田から許可をもらってその名も『山田吾一』という題の、自分が記憶に無い人から散々歓迎や激励を受けた挙句、最後の最後になって自分が山田と間違えられていたことが判るというオチの噺を作り、高座で枕や漫談として時折用いていた。なお、志ん朝が生前最後に高座で掛けたのもこれであった。

2012年10月13日心不全で死去[1]

出演

映画

  • 事件記者・真昼の恐怖
  • 事件記者・仮面の脅迫
  • 事件記者・姿無き狙撃者
  • 事件記者・影なき男
  • 事件記者・深夜の目撃者
  • 事件記者・時限爆弾
  • 事件記者・狙われた十代
  • 新事件記者・大都会の罠
  • 新事件記者・殺意の丘
  • 夢がいっぱい暴れん坊 (1962年、日活)
  • 若旦那日本晴れ (1963年、日活)
  • サラリーマン物語 大器晩成 (1963年、日活)
  • 喜劇 駅前学園 (1967年、東宝)
  • 女賭博師 (1967年、大映)
  • 天狗党 (1969年、大映)
  • 激突! 殺人拳 (1974年、東映) - ラクダの張
  • 仁義なき戦い 完結篇 (1974年、東映)
  • 吉四六よ天を駆けろ (1976年、吉四六プロダクション)
  • 西陣心中 (1977年、ATG)
  • トラック野郎 熱風5000キロ (1979年、東映)
  • マタギ (1982年、青銅プロダクション)
  • 玄海つれづれ節 (1986年、東映)
  • せんせい (1989年、松竹)
  • もうひとつの原宿物語 (1990年、ハローマイク)
  • 山田ババアに花束を (1990年、東宝)
  • 爆! BAKU (1992年、日本ビクター)
  • 平成金融道 裁き人 (1999年、東映ビデオ)
  • エクレール・お菓子放浪記 (2011年5月21日)

テレビドラマ

バラエティ

CM

舞台

  • 旅路
  • 円朝
  • 浅草キヨシ伝
  • 明烏三羽起請文
  • ラヴ
  • 貴奇湯の香り
  • 女殺油地獄
  • 関の弥太っぺ
  • 夢千代日記
  • 裸の大将
  • 軽き者の儀・赤穂第四十七士

Vシネマ

吹き替え

関連項目

脚注

外部リンク