トッテナム・ホットスパーFC
トッテナム・ホットスパー・フットボール・クラブ(Tottenham Hotspur Football Club, イギリス英語発音:[ˌtɔtnəm-ˈhɔtspəː ˈfutˌbɔːl klʌb] トトゥナム・ホトスパー・フトゥボール・クラブ)は、イングランド・ロンドンに本拠地を置くサッカークラブチーム。チーム名の「ホットスパー」はヘンリー・ホットスパー・パーシー[1]に由来する。愛称はスパーズ (Spurs) 。トットナム、トテナムと表記されることもある。チームのモットーはラテン語で「Audere est Facere(英語:「To Dare Is to Do」、日本語:「挑戦することがすべきこと」)」。
トッテナム・ホットスパーFC | ||||
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原語表記 | Tottenham Hotspur Football Club | |||
愛称 | Spurs, Lilywhites | |||
クラブカラー | 白と青 | |||
創設年 | 1882年 | |||
所属リーグ | プレミアリーグ | |||
ホームタウン | ロンドン | |||
ホームスタジアム | ホワイト・ハート・レーン | |||
収容人数 | 36,214 | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要
1882年に教会のクリケットクラブから派生して創設された。現在はイングランド・プレミアリーグに所属している。数度の2部降格を経験しているが、1978年よりイングランドのトップリーグに所属し続けている。1972年にはUEFAカップ(UEFAヨーロッパリーグの前身)の初代王者の座を獲得している。
2001年よりジョー・ルイスが率いるイギリスの投資会社ENICグループ(かつてSKスラヴィア・プラハやグラスゴー・レンジャーズFCを保有していた)がクラブの所有権を握り、ダニエル・リーヴィが会長に就任している。2005年にはダミアン・コモリをスポーツディレクターとして招聘、この時期にはガレス・ベイル、ルカ・モドリッチ、ディミタール・ベルバトフらを獲得している。2005-06シーズンはチャンピオンズリーグ出場まであと一歩のところで足踏みし、惜しくも5位。後にマルティン・ヨルやファンデ・ラモス監督に補強に関する権限が与えられなかったことからトラブルが起こり、チームは一時低迷する。
2008年10月にはハリー・レドナップが監督に就任、同時にSD職を廃しチーム編成は監督と会長のリーヴィが主導するスタイルに改められる。2009-10シーズンにはプレミアリーグ発足後のクラブ史上最高位の4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権をクラブ史上初めて獲得した。
2010年にはENICが前オーナーのアラン・シュガーやイージーグループの総帥ステリオス・ハジ=イオアヌが持つ株式を買収し、クラブ株式の85%を持つに至る。2010-11シーズンの夏の移籍市場ではレアル・マドリードからラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得するなどをして注目を浴びた。初のUEFAチャンピオンズリーグではGLを1位通過するとベスト16ではイタリアの強豪ACミランを破ってベスト8進出をするなど健闘した。一方、プレミアリーグではFW陣の得点不足やキーパーの凡ミスなどが問題となり惜しくも5位と2年連続のUEFAチャンピオンズリーグ出場はならずUEFAヨーロッパリーグに出場することになった。
2011-12シーズンでは得点不足を解消するためマンチェスター・シティFCからエマニュエル・アデバヨールをレンタルで獲得、加えてブラッド・フリーデルやスコット・パーカーなども獲得し、前シーズンの不安要素を中心とした補強がされた。また冬の移籍市場では元マンチェスター・ユナイテッドFCのルイ・サハなども獲得した。ELではターンオーバーに徹し主力を温存したこともあり、PAOKテッサロニキ、FCルビン・カザンに次ぐ3位でグループステージ敗退。プレミアリーグでは4位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、プレミアリーグを6位で終えたチェルシーがUEFAチャンピオンズリーグで優勝し前年優勝クラブ枠を手にしたため、トッテナムはUEFAヨーロッパリーグへ回ることとなった。2012年1月には、収容人数が4万人に満たないホワイト・ハート・レーンに代わる新たなスタジアムの建設に向け、クラブの非上場化の手続きを完了した。
2012年6月14日、レドナップの退任が発表された。7月3日に新監督としてアンドレ・ビラス・ボアス就任を発表した。それに続いてギルフィ・シグルズソンとヤン・フェルトンゲンを獲得した。さらにはエマニュエル・アデバヨールを買い取り、フラムFCからムサ・デンベレとクリント・デンプシーを獲得し、フリーデルの後継者としてウーゴ・ロリスも獲得した。一方でモドリッチを移籍金3330万ポンドでレアル・マドリードに売却し、同時にRマドリーと業務提携を結んでいる[2]。
ユニフォーム
ブランド
- 1978-1980: アドミラル
- 1980-1985: ルコック
- 1985-1991: ヒュンメル
- 1991-1995: アンブロ
- 1995-1999: Pony
- 1999-2002: アディダス
- 2002-2006: Kappa
- 2006-2012: プーマ
- 2012- : アンダーアーマー
胸スポンサー
- 1882-1983: なし
- 1983-1995: Holsten
- 1995-1999: ヒューレット・パッカード
- 1999-2002: Holsten
- 2002-2006: Thomson Holidays
- 2006-2010: Mansion.com Casino & Poker
- 2010- : Autonomy/Investec Bank
ダービーマッチ
同じ北ロンドンを本拠地とするアーセナルとはライバル関係にあり、サポーター同士のいがみ合いが強く両者の間には争いごとが絶えない。それをよく象徴するのが、かつてトッテナムからアーセナルへ移籍したソル・キャンベルに対してトッテナムファンがユダと呼んだという出来事である。アーセナルとの試合は「ノース・ロンドン・ダービー」と呼ばれ、マンチェスター・ダービー、マージーサイド・ダービーと並びダービーの一つに数えられている。
サポーター
スパーズのファンは自らを「イドー(Yido、Yiddo)」と称する[3]。ユダヤ人への侮蔑語である「イドー」は、元々はスパーズの本拠地周辺がユダヤ人の多く住む地域であることに対し、口汚い相手ファンからの嘲りの言葉として使われ始めたが、やがてスパーズファンはそれを逆手に取って、誇らしげに「イドー」と自称するようになった。自称「イドー」の大半はおそらく本当のユダヤ人ではないが、厳密な定義は必要とされず、彼らはドイツ人のユルゲン・クリンスマンが所属した時にも「ユルゲンはドイツ人、だけど今じゃ彼はユダヤ人」というチャントを唄った。
ユダヤ人団体や反人種差別団体からは「イドー」の使用が人種差別を助長していると考えて、スパーズファンに自制を求める声もあるが、スパーズファンは自分たちが使用する「イドー」はまったく無害なものだと考えている[4]。
タイトル
国内タイトル
- リーグ : 2回
- 1950-1951, 1960-1961
- FAカップ : 8回
- 1900-1901, 1920-1921, 1960-1961, 1961-1962, 1966-1967, 1980-1981, 1981-1982, 1990-1991
- フットボールリーグカップ : 4回
- 1970-1971, 1972-1973, 1998-1999, 2007-2008
- コミュニティーシールド : 4回
- 1921, 1951, 1961, 1962
国際タイトル
- UEFAカップ : 2回
- 1971-1972, 1983-1984
- UEFAカップウィナーズカップ : 1回
- 1963
過去の成績
シーズン | ディビジョン | FAカップ | リーグ カップ |
欧州カップ / その他 | 最多得点者 | ||||||||||
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リーグ | 試合数 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 勝ち点 | 順位 | 選手 | 得点数 | |||||
1979-80 | ディビジョン1 | 42 | 15 | 10 | 17 | 52 | 62 | 40 | 14位 | 準々決勝敗退 | 2回戦敗退 | グレン・ホドル | 22 | ||
1980-81 | ディビジョン1 | 42 | 14 | 15 | 13 | 70 | 68 | 43 | 10位 | 優勝 | 準々決勝敗退 | スティーヴ・アーチボルト | 25 | ||
1981-82 | ディビジョン1 | 42 | 20 | 11 | 11 | 67 | 48 | 71 | 4位 | 優勝 | 準優勝 | チャリティ・シールド | 優勝 | ガース・クルックス | 18 |
カップウィナーズカップ | 準決勝敗退 | ||||||||||||||
1982-83 | ディビジョン1 | 42 | 20 | 9 | 13 | 65 | 50 | 69 | 4位 | 5回戦敗退 | 準々決勝敗退 | チャリティ・シールド | 準優勝 | スティーヴ・アーチボルト ガース・クルックス |
15 |
カップウィナーズカップ | 2回戦敗退 | ||||||||||||||
1983-84 | ディビジョン1 | 42 | 17 | 10 | 15 | 64 | 65 | 61 | 8位 | 4回戦敗退 | 3回戦敗退 | UEFAカップ | 優勝 | スティーヴ・アーチボルト | 28 |
1984-85 | ディビジョン1 | 42 | 23 | 8 | 11 | 78 | 51 | 77 | 3位 | 4回戦敗退 | 4回戦敗退 | UEFAカップ | 準々決勝敗退 | マーク・ファルコ | 29 |
1985-86 | ディビジョン1 | 42 | 19 | 8 | 15 | 74 | 52 | 65 | 10位 | 5回戦敗退 | 4回戦敗退 | スクリーンスポーツ・スーパーカップ | 準決勝敗退 | マーク・ファルコ | 25 |
1986-87 | ディビジョン1 | 42 | 21 | 8 | 13 | 68 | 43 | 71 | 3位 | 準優勝 | 準決勝敗退 | クライヴ・アレン | 49 | ||
1987-88 | ディビジョン1 | 40 | 12 | 11 | 17 | 38 | 48 | 47 | 13位 | 4回戦敗退 | 3回戦敗退 | クライヴ・アレン | 13 | ||
1988-89 | ディビジョン1 | 38 | 15 | 12 | 11 | 60 | 46 | 57 | 6位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | クリス・ワドル | 14 | ||
1989-90 | ディビジョン1 | 38 | 19 | 6 | 13 | 59 | 47 | 63 | 3位 | 3回戦敗退 | 準々決勝敗退 | ゲーリー・リネカー | 26 | ||
1990-91 | ディビジョン1 | 38 | 11 | 16 | 11 | 51 | 50 | 49 | 10位 | 優勝 | 準々決勝敗退 | ゲーリー・リネカー ポール・ガスコイン |
19 | ||
1991-92 | ディビジョン1 | 42 | 15 | 7 | 20 | 58 | 63 | 52 | 15位 | 3回戦敗退 | 準決勝敗退 | チャリティ・シールド | 優勝 | ゲーリー・リネカー | 35 |
カップウィナーズカップ | 準々決勝敗退 | ||||||||||||||
1992-93 | プレミア | 42 | 16 | 11 | 15 | 60 | 66 | 59 | 8位 | 準決勝敗退 | 3回戦敗退 | テディ・シェリンガム | 28 | ||
1993-94 | プレミア | 42 | 11 | 12 | 19 | 54 | 59 | 45 | 15位 | 4回戦敗退 | 準々決勝敗退 | テディ・シェリンガム | 15 | ||
1994-95 | プレミア | 42 | 16 | 14 | 12 | 66 | 58 | 62 | 7位 | 準決勝敗退 | 3回戦敗退 | ユルゲン・クリンスマン | 29 | ||
1995-96 | プレミア | 38 | 16 | 13 | 9 | 50 | 38 | 61 | 8位 | 5回戦敗退 | 3回戦敗退 | インタートトカップ | グループステージ敗退 | テディ・シェリンガム | 24 |
1996-97 | プレミア | 38 | 13 | 7 | 18 | 44 | 51 | 46 | 10位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | テディ・シェリンガム | 8 | ||
1997-98 | プレミア | 38 | 11 | 11 | 16 | 44 | 56 | 44 | 14位 | 4回戦敗退 | 3回戦敗退 | ユルゲン・クリンスマン ダヴィド・ジノラ |
9 | ||
1998-99 | プレミア | 38 | 11 | 14 | 13 | 47 | 50 | 47 | 11位 | 準決勝敗退 | 優勝 | ステファン・イヴェルセン | 13 | ||
1999-2000 | プレミア | 38 | 15 | 8 | 15 | 57 | 49 | 53 | 10位 | 3回戦敗退 | 4回戦敗退 | UEFAカップ | 2回戦敗退 | ステファン・イヴェルセン | 17 |
2000-01 | プレミア | 38 | 13 | 10 | 15 | 47 | 54 | 49 | 12位 | 準決勝敗退 | 3回戦敗退 | セルゲイ・レブロフ | 12 | ||
2001-02 | プレミア | 38 | 14 | 8 | 16 | 49 | 53 | 50 | 9位 | 準々決勝敗退 | 準優勝 | グスタボ・ポジェ | 14 | ||
2002-03 | プレミア | 38 | 14 | 8 | 16 | 51 | 62 | 50 | 10位 | 3回戦敗退 | 3回戦敗退 | テディ・シェリンガム ロビー・キーン |
13 | ||
2003-04 | プレミア | 38 | 13 | 6 | 19 | 47 | 57 | 45 | 14位 | 4回戦敗退 | 準々決勝敗退 | ロビー・キーン | 16 | ||
2004-05 | プレミア | 38 | 14 | 10 | 14 | 47 | 41 | 52 | 9位 | 準々決勝敗退 | 準々決勝敗退 | ジャーメイン・デフォー | 22 | ||
2005-06 | プレミア | 38 | 18 | 11 | 9 | 53 | 38 | 65 | 5位 | 3回戦敗退 | 2回戦敗退 | ロビー・キーン | 16 | ||
2006-07 | プレミア | 38 | 17 | 9 | 12 | 57 | 54 | 60 | 5位 | 準々決勝敗退 | 準決勝敗退 | UEFAカップ | ベスト8 | ディミタール・ベルバトフ | 23 |
2007-08 | プレミア | 38 | 11 | 13 | 14 | 66 | 61 | 46 | 11位 | 4回戦敗退 | 優勝 | UEFAカップ | ベスト16 | ディミタール・ベルバトフ ロビー・キーン |
23 |
2008-09 | プレミア | 38 | 14 | 9 | 15 | 45 | 45 | 51 | 8位 | 4回戦敗退 | 準優勝 | UEFAカップ | ベスト32 | ダレン・ベント | 17 |
2009-10 | プレミア | 38 | 21 | 7 | 10 | 67 | 41 | 70 | 4位 | 準決勝敗退 | 準々決勝敗退 | ジャーメイン・デフォー | 24 | ||
2010-11 | プレミア | 38 | 16 | 14 | 8 | 55 | 46 | 62 | 5位 | 4回戦敗退 | 3回戦敗退 | チャンピオンズリーグ | ベスト8 | ラファエル・ファン・デル・ファールト | 15 |
2011-12 | プレミア | 38 | 20 | 9 | 9 | 66 | 41 | 69 | 4位 | 準決勝敗退 | 3回戦敗退 | ヨーロッパリーグ | グループステージ敗退 | エマニュエル・アデバヨール | 18 |
2012-13 | プレミア | 38 | 5回戦敗退 | 4回戦敗退 | ヨーロッパリーグ |
現所属メンバー
- 2012/13シーズン(基本フォーメーション)
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍選手
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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リザーブ & アカデミー
歴代監督
- アンドレ・ヴィラス・ボアス 2.7.2012 -
- ハリー・レドナップ 26.10.2008 - 14.6.2012
- ファンデ・ラモス 27.10.2007 - 25.10.2008
- マルティン・ヨル 05.11.2004 - 25.10.2007
- ジャック・サンティニ 03.06.2004 - 05.11.2004
- デビッド・プリート 21.09.2003 - 03.06.2004
- グレン・ホドル 02.04.2001 - 21.09.2003
- デビット・プリート 16.03.2001 - 02.04.2001
- ジョージ・グラハム 01.10.1998 - 16.03.2001
- クリス・フートン 07.09.1998 - 01.10.1998
- デビッド・プリート 07.09.1998 - 01.10.1998
- クリスティアン・グロス 19.11.1997 - 05.09.1998
- ジェリー・フランシス 15.11.1994 - 19.11.1997
- スティーブ・ペリマン 01.11.1994 - 15.11.1994
- オズワルド・アルディレス 19.06.1993 - 01.11.1994
- ダグ・リヴァーモア 27.05.1992 - 19.06.1993
- ペーター・シェリーヴス 23.07.1991 - 15.05.1992
- テリー・ヴェナブルズ 28.11.1987 - 30.06.1991
- デビッド・プリート 16.05.1986 - 23.10.1987
- ペーター・シェリーヴス 25.06.1984 - 13.05.1986
- キース・バーキンショー 14.07.1976 - 25.06.1984
- テリー・ニール 01.09.1974 - 23.06.1976
- ビル・ニコルソン 01.10.1958 - 29.08.1974
- ジミー・アンダーソン 01.07.1955 - 01.10.1958
- アーサー・ロウェ 01.05.1949 - 01.07.1955
- ジョー・ハルム 01.01.1946 - 01.05.1949
- アーサー・ターナー 01.08.1942 - 01.01.1946
- ペーター・マクウィリアム 01.05.1938 - 01.06.1942
- ジャック・トレサダーン 01.06.1935 - 30.04.1938
- パーシー・スミス 01.01.1930 - 01.04.1935
- ビリー・ミンター 01.02.1927 - 01.11.1929
- ペーター・マクウィリアム 01.01.1913 - 01.02.1927
- フレッド・カークハム 01.08.1907 - 31.05.1908
- ジョン・キャメロン 01.08.1899 - 31.05.1906
- フランク・ブレッテル 01.08.1898 - 31.05.1899
歴代所属選手
GK
- パット・ジェニングス 1964-1977
- レイ・クレメンス 1981-1988
- イアン・ウォーカー 1989-2001
- ケーシー・ケラー 2001-2004
- ラデク・チェルニー 2005-2008
- ポール・ロビンソン 2004-2008
- ゴメス 2008-
- カルロ・クディチーニ 2009-2013
- ブラッド・フリーデル 2011-
- ウーゴ・ロリス 2012-
DF
- アルフ・ラムゼイ 1949-1955
- クリス・ヒュートン 1977-1990
- ガリー・マバット 1982-1998
- スティーヴン・カー 1992-2004
- レドリー・キング 1998-2012
- ギャリー・ドハーティ 1999-2004
- クリスティアン・ツィーゲ 2001-2004
- ヌールディン・ナイベト 2004-2006
- 李榮杓 2005-2008
- マイケル・ドーソン 2005-
- ブノワ・アスー=エコト 2006-
- ガレス・ベイル 2007-
- ユネス・カブール 2007-
- ヴェドラン・チョルルカ 2008-2012
- ジョナサン・ウッドゲート 2008-2011
- アラン・ハットン 2008-2011
- セバスティアン・バソング 2009-2012
- カイル・ノートン 2009-
- カイル・ウォーカー 2009-
- スティーヴン・コーカー 2009-
- ウィリアム・ギャラス 2010-
- ボンガニ・クマロ 2011-
- ライアン・ネルセン 2011-2012
- ヤン・フェルトンゲン 2012-
MF
- ダニー・ブランチフラワー 1954-1964
- テリー・ヴェナブルズ 1966-1969
- スティーブ・ペリマン 1969-1986[5]
- マーティン・ピータース 1970-1975
- グレン・ホドル 1975-1987
- オズワルド・アルディレス 1978-1988
- リカルド・ビジャ 1978-1983
- クリス・ワドル 1985-1989
- ポール・ガスコイン 1988-1992
- ダレン・アンダートン 1992-2004
- ゲオルゲ・ポペスク 1994-1995
- ダヴィド・ジノラ 1997-2000
- ティム・シャーウッド 1999-2003
- サイモン・デイヴィス 2000-2005
- グスタボ・ポジェ 2001-2004
- 戸田和幸 2003-2004
- マイケル・キャリック 2004-2006
- レト・ツィークラー 2004-2006
- エドガー・ダーヴィッツ 2005-2007
- トム・ハドルストーン 2005-
- アーロン・レノン 2005-
- ジャーメイン・ジーナス 2005-2013
- ディディエ・ゾコラ 2006-2009
- ダニー・ローズ 2007-
- デヴィッド・ベントリー 2008-
- ルカ・モドリッチ 2008-2012
- ジョバニ・ドス・サントス 2008-2012
- ジェイク・リヴァーモア 2008-
- ニコ・クラニチャール 2009-2012
- ウィルソン・パラシオス 2009-2011
- ラファエル・ファン・デル・ファールト 2010-2012
- サンドロ 2010-
- スティーブン・ピーナール 2011-2012
- スコット・パーカー 2011-
- イアゴ・ファルケ 2011-
- ギルフィ・シグルズソン 2012-
- ムサ・デンベレ 2012-
- クリント・デンプシー 2012-
- ルイス・ホルトビー 2013.1-
FW
- ヴィヴィアン・ウッドワード 1902-1908
- ジミー・グリーブス 1961-1970[6]
- マーティン・チヴァース 1968-1976
- スティーヴ・アーチボルド 1980-1984
- クライヴ・アレン 1984-1988
- ゲーリー・リネカー 1989-1992
- テディ・シェリンガム 1992-1997, 2001-2003
- ユルゲン・クリンスマン 1994-1995
- レス・ファーディナンド 1997-2003
- ピーター・クラウチ 1998-2000, 2009-2011
- セルヒー・レブロフ 2000-2003
- ロビー・キーン 2002-2011
- フレデリック・カヌーテ 2003-2005
- エルデル・ポスティガ 2003-2004
- ジャーメイン・デフォー 2004-
- ムニル・エル・ハムダウィ 2004-2005
- ミド 2005-2006, 2006-2007
- ディミタール・ベルバトフ 2006-2008
- ダレン・ベント 2007-2009
- ロマン・パヴリュチェンコ 2008-2012
- フレイザー・キャンベル 2008-2009
- エイドゥル・グジョンセン 2009-2010
- エマニュエル・アデバヨール 2011-
- ルイ・サハ 2011-2012
参考文献・脚注
- フランクリン・フォア『サッカーが世界を解明する』「第3章 ユダヤ人問題」白水社、2006年。ISBN 4-560-04975-0
- ^ Hotspurのあだ名を持つ騎士で現代英語のHotspur (向こう見ず、といった意) は彼のあだ名が語源。日本では「向こう見ずのヘンリー(Henry Hotspur) 」と訳されることもある。
- ^ クラブ声明 モドリッチのRマドリー移籍と業務提携2012年8月27日
- ^ Spurs fans singing at Fulham away, fa cup, yiddos - YouTube
- ^ “‘Yid Army’ comes out fighting”. The Jewish Chronicle (2007年10月19日). 2007年11月4日閲覧。
- ^ 655試合出場 (クラブ最多試合出場記録)
- ^ 379試合266得点(クラブ最多得点記録)
外部リンク
- 公式
- その他