関樾

三国時代にいたとされる人物

これはこのページの過去の版です。59.190.41.132 (会話) による 2013年3月11日 (月) 20:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (リンク修正など)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

関 樾(『樾』は木偏に越)(かん えつ、? - ? )は、中国三国時代の人物とされる。正史『三国志』には記述がなく、小説『三国志演義』にも一切登場しない。

以下、代の『江陵県志』による。祖父は関羽趙雲。父は関平。母は趙氏

関平と趙氏の間に生まれ、江陵に住んでいたとある。(趙氏,關平之妻,清《江陵縣志》載關平娶鎭東将軍趙雲女趙氏,生子關樾,世居江陵)。 関樾は8歳のとき、母らとともに炎上する荊州(『樊城の戦い』(建安24年(219年))から益州へ逃れ、関羽の血筋を守ったという。 この説によれば、趙雲と関羽は親戚である。関樾は関興趙統趙広からみればに当たる。関樾からみれば関興(・関索)は叔父で、趙統・趙広も伯父ということになる。

この説と花関索伝や民間伝承を合わせると、花関索伝での関羽の妻で関索の生母胡金定は、関樾の義祖母(または祖母)で、母の趙氏を産んだという民間伝承の趙雲の妻孫軟児は関樾の祖母で、関索の妻鮑三娘と、関羽の娘で李恢の子李遺(李蔚)に嫁いだ関銀屏(または関三小姐)は、関樾の叔母に相当する。