竹花豊
日本の警察官僚
略歴
- 兵庫県立加古川東高等学校卒業
- 1973年 東京大学法学部卒業 警察庁入庁
- 1986年 在オーストリア日本国大使館一等書記官
- 1989年 警察庁刑事局刑事企画課理事官
- 1990年 警察庁刑事局捜査第二課暴力団対策室長
- 1992年 警察庁刑事局保安部薬物対策課長
- 1994年 警察庁生活安全局薬物対策課長
- 1994年 大分県警察本部長
- 1996年 警視庁地域部長
- 1997年 警察庁長官官房参事官(金融・不良債権関連事犯担当)
- 1999年 警視庁生活安全部長
- 2000年 警察庁長官官房首席監察官
- 2001年 広島県警察本部長
- 2003年 東京都副知事
- 2004年 警視庁と協力し「東京都安全・安心まちづくりアカデミー」設置。「おやじの会」のネットワーク組織「おやじ日本」結成
- 2005年 警察庁生活安全局長
- 2006年 バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会委員(生活安全局長として)
- 2007年1月19日 警察庁退官
- 2007年3月8日 松下電器産業東京支社 参与
- 2007年10月1日 東京都教育委員(任期:2011年9月30日まで)
業績
- 広島県警本部長時代に「特攻服製造規制」を初めとする一連の暴走族根絶作戦で成果を挙げ[要出典]、東京都知事・石原慎太郎の招聘で警察官僚としては初めて東京都副知事に就任。同時に知事本局に設置された緊急治安対策本部の本部長となり、歌舞伎町の違法風俗営業店を一斉摘発する「歌舞伎町浄化作戦」の総指揮を取った。もっとも、緊急治安対策本部時代の施策に対しては当時の部下から批判的な意見も提示されている[1]。
- 2003年の副知事就任当初はその経歴、治安回復への期待から新聞や雑誌など各媒体から「治安担当副知事」という通称でも呼ばれたことで知られる。
- 副知事在職中には都の青少年の健全な育成に関する条例の強化を2回にわたり実施。このうち、2005年の改正では淫行処罰規定が盛り込まれた。また都庁内に“警察官僚の天下り先”とも揶揄された[2]東京都青少年・治安対策本部を創設。
- 警察庁への復職後は「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」を発足させ、携帯電話やコンピュータゲームに対するアクセス及び表現規制の強化を主張したが、研究会内部でも異論が有り最終報告では業界内における自主規制の徹底要請が盛り込まれるに留まった。
- 2008年6月10日 参議院内閣委員会で青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律の法案を審議する際におやじ日本会長として参考人招致される。バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会の最終報告書を資料として提出し法案の成立に賛成の意見を述べた[3][4][5][6][7]。
著書
- 『子どもたちを救おう』(幻冬舎、2005) ISBN 978-4-344-00795-6