堂林翔太

日本のプロ野球選手

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堂林 翔太(どうばやし しょうた、1991年8月17日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手内野手)。

堂林 翔太
広島東洋カープ #7
2012年7月3日、松山中央公園野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊田市
生年月日 (1991-08-17) 1991年8月17日(33歳)
身長
体重
183 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2009年 ドラフト2位
初出場 2012年3月30日
年俸 1700万円(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴・人物

プロ入り前

小学校2年時に「豊田リトル」で野球を始める。中学時代は「豊田シニア」に所属し、投手遊撃手だった。宮城県で開催された国際大会で名古屋北シニアの補強選手として出場し、この時、東北選抜との試合で菊池雄星(現・西武)と対戦している。中京大中京高校に進学すると1年春から投手としてベンチ入り。1年秋には打力を買われて一塁手のレギュラーになる。 2年春にはセンバツに出場するも試合出場は無し。

2年夏は愛知大会で敗退。新チームとなった秋からエースで4番を任され、東海大会を全4試合完投するなど安定した投球で優勝しセンバツの切符を手にする。3年春のセンバツでは準々決勝で報徳学園に9回までリードしながら敗れベスト8。打撃では打率.584、4打点を記録した。

3年夏の甲子園ではエース兼4番として投打でチームを牽引し、打率.522、12打点、1大会通算最多タイとなる6二塁打を記録。日本文理高校との決勝では右中間に先制2ランホームランを放つなど、同校の史上最多7度目となる夏の甲子園優勝に大きく貢献した。高校通算13本塁打。

2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議では、広島東洋カープから内野手として2位指名を受け、契約金7000万円、年俸700万円(金額は推定)で入団した[1]

球団からは三塁手及び遊撃手として育成されている。背番号は、ニューヨーク・ヤンキースアレックス・ロドリゲスのような選手になって欲しいという期待[2]から「13」を与えられた。

プロ入り後

2010年 - 2011年
一軍での出場はなし。二軍で野手としての経験を積む。
2012年
春季キャンプ中から監督の野村謙二郎にマンツーマンで打撃指導を受け[3]、3月30日の中日ドラゴンズとの開幕戦に「7番・三塁手」として一軍初出場し、8回に初安打を記録した[4]。4月24日の阪神タイガース戦で8回にランディ・メッセンジャーからプロ初本塁打を甲子園のバックスクリーン右に放った[5]オールスターゲームでは、最後の1人を決める投票「SKYACTIV TECHNOLOGY プラスワン ドリーム投票」で選出され[6]、6打席無安打ながら全3試合に出場、第2戦では「1番・三塁手」で先発出場を果たした。7月25日のヤクルト戦で石川雅規からプロ入り初の二桁本塁打となる10号本塁打を放つ。高卒3年目での二桁本塁打は球団では江藤智前田智徳以来3人目[7]。全試合出場を果たすものの、両リーグワーストの29失策、150三振、得点圏打率.192と課題が残った。150三振は広島の球団最多記録(今までの最多三振はアンディ・シーツの139三振)を更新するもので、シーズン終了後にマツダスタジアム内で三振に倒れる堂林の姿を集めた写真展が開かれた[8]。11月の侍ジャパンのキューバ戦に選出され、代打で出場し三塁打を放った[9]。契約更改では、1000万円増の1700万円で更改し、野村が現役時代につけていた背番号「7」に変更した。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2012 広島 144 554 488 60 118 25 4 14 193 45 5 2 5 3 44 2 14 150 8 .242 .321 .395 .716
通算:1年 144 554 488 60 118 25 4 14 193 45 5 2 5 3 44 2 14 150 8 .242 .321 .395 .716
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2012 143 76 278 29 17 .924
通算 143 76 278 29 17 .924
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

初記録
その他記録

背番号

  • 13 (2010年 - 2012年)
  • 7 (2013年 - )

脚注

  1. ^ コイ、2選手と仮契約 堂林と武内”. 中国新聞 (2009年11月8日). 2012年8月22日閲覧。
  2. ^ “A・ロッド”堂林がV弾!背番号に込められた思い開花”. スポーツニッポン (2012年4月25日). 2012年5月13日閲覧。
  3. ^ ““鯉のプリンス”堂林、初の開幕1軍”. デイリースポーツ. (2012年3月26日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2012/03/27/0004918366.shtml 2012年3月27日閲覧。 
  4. ^ “堂林がプロ初安打!スタメン抜てき応えた”. デイリースポーツ. (2012年3月31日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2012/03/31/0004930387.shtml 2012年3月31日閲覧。 
  5. ^ “堂林1号!甲子園優勝投手が甲子園で!”. デイリースポーツ. (2012年4月25日). http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/04/25/0005000871.shtml 2012年4月26日閲覧。 
  6. ^ “堂林カープ野手史上最年少で初球宴!”. デイリースポーツ. (2012年7月12日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2012/07/12/0005206557.shtml 2012年7月13日閲覧。 
  7. ^ “堂林10号同点弾!江藤、前田智に並ぶ”. デイリースポーツ. (2012年7月26日). http://www.daily.co.jp/baseball/carp/2012/07/26/0005242423.shtml 2012年7月28日閲覧。 
  8. ^ “堂林選手の三振写真展始まる”. 中国新聞. (2012年10月25日). http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201210250009.html 2012年11月3日閲覧。 
  9. ^ “堂林、侍初安打が特大三塁打!浩二監督も絶賛”. スポーツ報知. (2012年11月19日). http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/baseball/20081016-4822204/news/20121119-OHT1T00023.htm 2013年2月21日閲覧。 

関連項目

外部リンク