マリオ・フィゲイラ・フェルナンデス

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マリオ・フィゲイラ・フェルナンデスMário Figueira Fernandes1990年9月19日 - )は、ブラジルサンパウロ州、サン・カエターノ・ド・スウ出身のサッカー選手。ポジションはDF(SB)。

マリオ・フェルナンデス
名前
本名 マリオ・フィゲイラ・フェルナンデス
ラテン文字 Mário Figueira Fernandes
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1990-09-19) 1990年9月19日(33歳)
出身地 サン・カエターノ・ド・スウ
身長 189cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム ロシアの旗 CSKAモスクワ
ポジション DF(SB)
背番号 13
利き足 右足
代表歴2
2011- ブラジルの旗 ブラジル 0 (0)
2. 2011年9月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

クラブ

ADサンカエターノのユースチームでキャリアをスタートさせた。2009年3月には名門クラブのグレミオに移籍をするも、その数日後にホームシックまたはうつ病により失踪[1]サンタカタリーナ州フロリアノーポリスパラナ州ロンドリーナなどを転々とし最終的にサンパウロ州で発見された[1]。発見後は病院へ搬送され一ヶ月間治療を受け退院[1]。退院後、母のマリーザは自宅のあるサン・カエターノ・ド・スウからマリオが住むグレミオ本拠地のポルト・アレグレへと引っ越した[1]

2009年6月28日、スポルチ・レシフェ戦でデビューした。その数ヵ月後にはインテルナツィオナーレ・ミラノFCバルセロナレアル・マドリードマンチェスター・シティFCユヴェントスFCなど名立たるクラブから興味を示されたことがメディアで報じられた[2]

2010年はSCインテルナシオナルとのクラシコ(グレ・ナル)で右肩を負傷して手術した事からリーグ戦での出場は2試合に留まった。

本来はセンターバックのポジションを務めていたが、グレミオでは右サイドバックとして出場し、ルシオの後継者と目された[3]。2011年には右サイドバック部門でボーラ・ジ・プラッタを獲得。バイエルン・ミュンヘンレアル・マドリードACミラン、など各国リーグのビッグクラブから注目を集め[4]、2012年4月下旬、ロシアのCSKAモスクワに移籍金1500万ユーロで合意し、5月4日に5年契約にサインして移籍をした[5]

代表

2011年9月、アルゼンチン代表との間で行われるアメリカ・スーパークラシックでブラジル代表メンバーに選出されたが個人的な理由から参加を辞退した[6][7]

所属クラブ

タイトル

クラブ
  PFC CSKAモスクワ

脚注

  1. ^ a b c d ‘Não terei recaída’, diz Mário Fernandesgloboesporte.globo.com、2012年7月3日閲覧。
  2. ^ Man City in Gremio contact for defender Fernandestribalfootball.com、2012年7月3日閲覧。
  3. ^ R・マドリード、右サイドバック補強に向けグレミオDFフェルナンデス獲得に一歩前進wowow.co.jp、2012年7月3日閲覧。
  4. ^ マドリー、M・フェルナンデス獲得に本腰かgoal.com、2012年7月3日閲覧。
  5. ^ Mario Fernandes joins PFC CSKACSKAモスクワ公式サイト、2012年7月3日閲覧。
  6. ^ 「居心地が悪いから」ブラジルの若手DFが代表帯同を拒否theworldmagazine.jp、2012年7月3日閲覧。
  7. ^ 代表辞退のM・フェルナンデスに悩まされるメネゼスgoal.com、2012年7月3日閲覧。

外部リンク