コンスタンチン・サナテスク
ルーマニア首相、軍人
コンスタンチン・サナテスク(Constantin Sănătescu、1885年1885年1月14日 - 1947年11月8日)は、ルーマニア王国の軍人、政治家。大将[1]。
コンスタンチン・サナテスク Constantin Sănătescu | |
任期 | 1944年8月23日 – 1944年12月5日 |
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出生 | 1885年1月14日 ルーマニア公国、クラヨーヴァ |
死去 | 1947年11月8日(62歳没) ルーマニア、ウィーン |
1925年から1928年まで、駐パリ駐在武官。1937年に参謀総長に任命。イオン・アントネスク体制樹立後、軍内で粛清が始まり、サナテスクは王党派として解任された。1941年2月、第4軍団司令官に任命。
独ソ戦に従軍。1943年2月、K.コンスタンチネスク=クラプス将軍と交代で第4軍司令官に任命された。1944年1月、ミハイ・ラコヴィッツァと交代で国防大臣に任命された。反アントネスク派の指導者の1人であり、1944年5月、アントネスクの更迭を準備し始めた。
元帥アントネスクの逮捕後、1944年8月23日、国家自由党、国家ツェレニスト党、社会民主党、共産党から成る新政府の首相に就任した。8月24日、ルーマニア軍はソ連軍と完全に停戦した。1944年9月、ルーマニアはドイツとの同盟を破棄し、連合軍に加わった。1944年11月4日、農民戦線と愛国者同盟も政府に加わった。11月6日、国防相代行を兼任。1944年12月6日、首相の座をラデスク将軍と交代し、自らは陸軍参謀総長に就任し、終戦まで同職に留まった。
駐
- ^ ルーマニア王立軍の最高位は元帥であるが、元帥は建国以来3名しかおらず、大将が実質的な最高位。