安倍晋三/log20200516

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衆議院議員 安倍晋三
生年月日1954年9月21日
出身地山口県大津郡油谷町(現長門市)
最終学歴成蹊大学法学部
前職神戸製鋼所
安倍晋太郎秘書
役職内閣官房長官第3次小泉改造内閣
世襲の有無あり(三世)
祖父・安倍寛岸信介
父・安倍晋太郎
選挙区山口4区
当選回数5回
所属党派自由民主党森派
党の役職前・幹事長
会館号室衆・第一議員会館602号室
ウェブサイトhttp://newleader.s-abe.or.jp/

安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年9月21日 - )は、日本政治家自由民主党に所属する衆議院議員。名前こそ三男風の「晋三」だが、安倍晋太郎の次男。母は岸信介の娘で、佐藤栄作は大叔父に当たる。参議院議員の岸信夫は実弟。夫人は森永乳業の創業者の森永太平の外孫である。

成蹊中高を経て、平沢勝栄を家庭教師に迎え、成蹊大学法学部政治学科卒。南カリフォルニア大学留学。神戸製鋼勤務の後外務大臣であった父の秘書官等を経て1993年衆議院議員に当選。

2000年より内閣官房副長官を務める。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による日本人拉致問題の真相究明に積極的な姿勢で、中山恭子内閣参与とともに拉致被害者と政府の信頼関係を築き対北朝鮮外交で強硬路線を主張した。このことから広く国民の人気を得るところとなり、2003年9月小泉純一郎によって自民党幹事長に抜擢される。2004年参議院選挙では目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞職を示唆。結果は49議席だったが、しばらく現職に留まった後で辞任したが、9月から後任の幹事長・武部勤の強い要請を受け党幹事長代理に就任。これは安倍の人気を手放したくない小泉総理の意志が強く働いたとされる。

自民党内の「ポスト小泉」の最有力候補(俗に言う麻垣康三)の一人であり、2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣では内閣官房長官を務める。奇しくも、同じく官房長官を務め、ポスト竹下登の最有力と言われた父と同じ道を歩むことになった(父・晋太郎は病に倒れてその座を射止めることはできなかった)。

日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」会員、元事務局長。現在中川昭一と共に顧問をつとめる。

2005年1月12日号で朝日新聞は、NHK女性国際戦犯法廷について取り上げた番組について、放映前に中川とともにNHKに対し、圧力を加え、内容を修正するよう迫ったと報道した。安倍は否定し、「NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」と主張した。朝日新聞もその事実を改めて確認することはできなかったと報道したが、謝罪はしていない。魚住昭は朝日の流出資料を基に『現代』9月号で圧力はあったと結論づけ、安倍を批判した。しかし、朝日が情報流出を謝罪しただけに終わっている。

日本人を拉致した北朝鮮には強く経済制裁を求めており「北朝鮮なんか核爆弾ぶち込んで、ぺんぺん草も生えないようにしてやる」などと発言(週刊金曜日03年10月31日号『「人寄せパンダ」・安倍晋三のお寒い中身』より)した。また、拉致問題解決の妨げになるとして、インターネット上などで問題視されている人権擁護法案に強く反対している。

歴史認識を巡って反日騒動が起こった中華人民共和国大韓民国の態度を厳しく批判し、日本と中韓の対立の一因となっている靖国神社へも積極的に参拝している。その姿勢は保守派を中心とした多くの日本国民に支持を受けており、2004年10月3日付の日本経済新聞の「次の総理は誰がよいか」という世論調査で36%を獲得し1位となっている。又、自民党の山谷えり子らと共にジェンダーフリーの批判等も行ったり、憲法改正に関しては集団的自衛権の容認を打ち出す等、保守色の強い動きもある。その為、安倍を「タカ派」と評す者も居る。

大変に寒がりで小池百合子環境大臣の音頭でスタートしたクール・ビズの一環である「国会内はワイシャツ・ノーネクタイ」が導入された当初背広で通していた。

2002年、政治経済部門でベストドレッサー賞受賞。一族では大叔父の佐藤栄作が1973年、兄嫁の父である牛尾治朗が1981年に受賞している。

家系

安倍氏 (奥州)の出自。前九年の役にて源頼義源義家率いる源氏に破れ、大宰府に配流された安倍宗任の末裔という。

関連項目

外部リンク

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