野暮
洗練されていない様
野暮(やぼ)とは、洗練されていないさまであり、「いき」の反対の形容である。ファッション雑誌などに乱用されるように、「いき」は現代ではしばしば拡大解釈されており、正確な意味を把握していないことも多い。しかし、野暮の意味するところは比較的共通理解があるといえる(具体的な内容についての見解の相違があるとしても)。野暮という形容は、服装、金銭への執着、くどくどしい説明などについて用いられる。また、(機能美までに至らない)実用性の重視、ブランドへの無批判な信仰と依存も野暮といえる。時代遅れのファッションは、いまだレトロとみなされない場合は、野暮と見られる。キッチュは、俗悪という点では野暮に類似した面もあるが、「奇妙さ」が徹底しており、突き抜けている点において、かえって肯定的な美的評価がされることがある。しかし、レトロやキッチュと混同されていないかぎり、野暮であること自体に肯定的な美的評価がされることはない。ヘタウマや脱力系も、また野暮とは異なる。
デザインの観点
デザイン的に、「わかりやすいこと」が野暮とみられることもある。たとえば、ファッション性を重視する電子機器では、ボタン類をあえてわかりにくいように小さくデザインすることがある。このような傾向に対して、高齢者を対象とし、野暮ったくなることを承知の上で、あえて「わかりやすさ」を優先させたデザインもラジオ、携帯電話などである。
また、日本では「日本語が野暮」という無意識的な刷り込みがある。これは、車をはじめとするあらゆる製品名でカタカナ語を使う傾向にみられる。このような製品では、ボタンの名称などでも日本語を使わず、(その必然性がないにもかかわらず)欧米語などを使っている。
具体例
- 本来ならば情緒ある風景に、目立つ看板をいくつも立てる行為
- 規則に固執する役人根性 <=> 「いき」な計らい
- 過剰な多機能、手回しがよすぎる <=> シンプルな所持品
- (特に男女間の関係への第三者的関与での)配慮の欠如