フェルディナント・バイエル

音楽家

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フェルディナント・バイエルFerdinand Beyer, 1806年[1]7月25日 - 1863年5月14日[2]は、ドイツの作曲家、ピアニスト。彼の著した「ピアノ奏法入門書」、いわゆるバイエルピアノ教則本は、ピアノを学ぶ者に最適な入門書として長く親しまれている。

フェルディナント・バイエル
Ferdinand Beyer
基本情報
生誕 (1806-07-25) 1806年7月25日
死没 (1863-05-14) 1863年5月14日(56歳没)
ジャンル クラシック音楽
担当楽器 ピアノ

なお、「フェルディナント・バイエル」は舞台ドイツ語の発音を元にした表記で、現在のドイツ語では「フェアディナント・バイアー」のように発音される。

略歴

クヴェアフルト(ハレ近郊)の出身。19世紀当時の「軽音楽作曲家・編曲家」であり[3]、バイエル教則本以外に幻想曲ディヴェルティメントなども作曲した[4]ほか、「日本の船乗りの歌(Japanesisches Schifferlied)」[5]など60曲以上の愛国歌などをピアノ曲に編曲した[6]。「愛国歌」の目録は当時の雑誌『ホーフマイスター』に記載されているものの[6]、1982年現在、楽譜のほとんどが残っていないともいわれている[4]

作曲活動は経済的な成功をおさめ、バイエルの死後も「愛国歌」シリーズが発売されるなど[7]、バイエルの名前は、いわば当時の「トレードマーク」となっていた[6]。それにもかかわらず、当時の専門家からの評価は低いものもあり[8][9]、「音楽の専門家からはまったく評価され」なかったと評すものもいる[6]

マインツ[10]マンハイム[4]という説もある。)で没す。

バイエルピアノ教則本

  • 「バイエル教則本」は、1851年ごろ、詳しくは1850年8月30日にショット社が発行したものが初版であると推定されている[11]。彼が残したピアノ教則本は1881年(明治13年)にアメリカ人ルーサー・ホワイティング・メーソンによって日本に紹介された。その背景として、アメリカ・ニューイングランド音楽院のピアノ教授スタッフの一人、シュテファン・アルベルト・エメリーがメーソンをバックアップしており、当時のニューイングランド音楽院ピアノ教育課程でも「標準的な作曲家のものから採った」中にバイエル教則本の一部がふくまれていたことがわかっている[10]
  • バイエル教則本は子供など、主に初めてピアノを練習する者を対象としている。全106曲といくつかの予備練習で構成されており、題名などはない。先生と生徒で演奏する連弾曲も含まれている。
  • バイエル教則本は、日本での決定的な地位を保ち続けてきた[11]他、韓国でも盛んに使用されている[3][11]。ドイツ語・フランス語・英語・イタリア語・スペイン語・チェコ語など、さまざまな言語でも出版されている[10]
  • バイエルの問題として、右手がメロディー左手が伴奏というパターンが多いこと、調性に限りがあること、奏法に偏りがあること、曲数が多く番号の連続でモティベーションが損なわれやすいことなどが指摘されている。
  • 米国ではバイエルはごく少数派に過ぎず、トンプソンバスティンメソードバーナムの初級教本が多く使われている。欧州ではドビュッシーショパンバルトークカバレフスキーなどの初級小曲集を使用することが多い。
  • 日本でもバイエル以外に欧米流の教本や「ピアノどりーむ」などの教本を採用しているピアノ教師も多い。
  • バイエル教則本は、保育士試験・小学校の教員採用試験受験科目の実技試験に指定されることがある。

脚注・参考文献

  1. ^ 生年については、この他に1803年説や1805年説など諸説あり、長らく1803年説が有力とされてきたが、奈良教育大学の安田寛教授による当時の戸籍や洗礼記録による調査により、生年が1806年であることが確認されている。(安田寛『バイエルの謎』2012年、音楽之友社。)
  2. ^ フレデリック・ショパンの生没年と近い。
  3. ^ a b Isaac, Nagao(長尾愛作) (2001), “Ferdinand Beyer”, in edited by Stanley Sadie; executive editor, John Tyrrell, The New Grove dictionary of music and musicians, 3 (2nd ed.), London: Macmillan Publishers, p. 500 .
  4. ^ a b c 『新音楽事典 人名編』音楽の友社,1982年,p402
  5. ^ 1855年、マインツ・ショット社発行。ヘルマン・ゴチェフスキ「バイエルって誰?」『ムジカノーヴァ』(第37巻第9号)2006年、p63にも掲載されている。
  6. ^ a b c d ヘルマン・ゴチェフスキ「バイエルって誰?」『ムジカノーヴァ』(第37巻第9号)2006年、pp.62~65。
  7. ^ それらは、バイエル以外の人によって作曲されたとも推定されている。
  8. ^ アドルフ・ルータルトの書籍(Adolf Ruthardt: Eschmanns Wefweister durch die Klavier-Literatur, 6. Aufl., Leipizig etc.: Gebr.Hug & Co., 1905, S. 335.)より。
  9. ^ ヘルマン・ゴチェフスキ「バイエルって誰?」『ムジカノーヴァ』(第37巻第9号)2006年、p65 注4に抄訳あり。
  10. ^ a b c 安田寛「『バイエル』はなぜ日本に来たか?」『ムジカノーヴァ』(第37巻第9号)2006年、pp.59~62。
  11. ^ a b c 安田寛・多田純一・長尾智絵「バイエル教則本初版本の研究 (PDF) 」『奈良教育大学紀要 第58巻 第1号(人文・社会)』2009年,pp121~126

外部リンク