ガンビーノ一家

アメリカのマフィア・ファミリー

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ガンビーノ一家(ガンビーノいっか、Gambino crime family)はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。ラッキー・ルチアーノによってニューヨーク・マフィアが五大ファミリーに再編されたときに旧アル・ミネオのファミリーを母体として誕生した。

アルバート・アナスタシア
カルロ・ガンビーノ
ジョン・ゴッティ

一家形成期

アル・ミネオの組織も1928年ミネオが継いだとされるトト・ダキーラの組織も、実態不明な点が多い。トト・ダキーラはシチリアのパレルモ市出身で、1906年に渡米し、1900年代から1910年代にかけてコルレオーネ系のモレロ一家の一派閥ないし提携パートナーとして頭角を現した。1910年にモレロ一家のリーダー、ジュゼッペ・モレロが検挙された時に、「ボスの中のボス」を宣言し、モレロ一家の残党と抗争をした。1920年モレロが出所した時にもシチリアマフィア間で抗争が勃発し、モレロ一家やジョー・マッセリアと争ったウンベルト・ヴァレンティの背後にダキーラがいたと考えられている。アル・ミネオは1911年シチリアより渡米し、1910年モレロと共に摘発された関係者証言により、アメリカ移住当初から派閥を率いていたらしいことが判明したが、1928年に(マッセリア派に殺された)ダキーラの後継者として突如復活するまでの17年間、歴史の舞台から消えている。ミネオは、マッセリアがダキーラ勢力を支配するために置いた傀儡とも言われた。

1930年にアル・ミネオがカステランマレーゼ派閥に殺された時、同派閥から支援を受けたフランク・スカリーチェ(旧ダキーラ派閥)が組織を奪い返した。スカリーチェはカステランマレーゼの指導者サルヴァトーレ・マランツァーノによりボスに任命されたが、ラッキー・ルチアーノの五大ファミリーの再編でボスの座を降ろされ、ヴィンセント・マンガーノに取って代わった。

ダキーラから、ヴァレンティ、ミネオ、スカリーチェ、マンガーノ、一代はさんでカルロ・ガンビーノまで、トップランク全員がパレルモ市出身のパレルモ派閥である。モレロ一家、レイナ一家などのコルレオーネ派閥、カステランマレーゼ派閥と対置される。

この一家はまた1920年代、ブルックリン臨海区でナポリ系・カラブリア系ギャング集団と地縁的に結びついた。臨海区で強大な影響力を持った港湾組合ILAをバックにアルバート・アナスタシアが頭角を現した。臨海区周辺に縄張りを持ったフランキー・イェールの組織が1928年に崩壊した時、そのナポリ系・カラブリア系の残党分子を吸収したのはマンガーノ一家とプロファチ一家である。

五大ファミリー再編以後

1931年のルチアーノによる五大ファミリー再編で、ヴィンセント・マンガーノがボスとなり、副ボスにアルバート・アナスタシアを据えて再スタートを切った。1951年4月、マンガーノは恐らくはアナスタシアの仕業と思われる謎の失踪をとげ、アナスタシアが後継ボスの座についた。この事件の背景としては、ヴィト・ジェノヴェーゼに対抗するためフランク・コステロが盟友アナスタシアに暗黙の了解を与えたという説がある。

その後、ファミリーはジェノヴェーゼ対コステロの対立に巻き込まれる。コステロが暗殺未遂事件によって引退すると、ジェノヴェーゼはアナスタシアの報復を恐れ、アナスタシアの部下のカルロ・ガンビーノに跡目を条件としてアナスタシア暗殺を手配させた。実行犯は一般にプロファチ一家のガロ兄弟と信じられているが、フロリダのサント・トラフィカンテの一味という説もある。マフィア史上最も有名なアナスタシア暗殺事件はこうしてニューヨークのパーク・シェラトンホテルの理容室で発生した。

だがガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡にはおさまらず、子供同士が結婚して血縁関係にあるトーマス・ルッケーゼと組んで徐々にニューヨーク・マフィアの実権を握っていった。まず最大のライバル・ジェノヴェーゼをマイヤー・ランスキーフランク・コステロらと組んで麻薬取引の罪で逮捕収監させる陰謀に成功し、さらにプロファチ一家のボスには傀儡のジョゼフ・コロンボを据え、ボナンノ一家の古くからのボス、ジョゼフ・ボナンノを引退に追い込んだ。そして1976年の彼の死までには、彼のファミリーはジェノヴェーゼ一家に代わってニューヨーク最強のファミリーとなっていた。

だが、ガンビーノが後継に副ボスの実力者アニエロ・デラクローチェではなく、いとこのポール・カステラーノを指名したことから、ファミリーの運命には翳がさすようになる。カステラーノはファミリーの合法ビジネスの進出に力を注いだが、デラクローチェを頂点とする武闘派グループと対立するようになり、1985年12月2日のデラクローチェの死を契機に粛清を恐れた武闘派グループの筆頭格のジョン・ゴッティはカステラーノを暗殺し(同年12月16日)、ボスの位に就いた。

その後ゴッティはもっとも有名なマフィアのボスとしてメディアを賑わせたが、1990年に逮捕・収監されて2002年に獄死、その上副ボスのサルヴァトーレ・"サミー・ザ・ブル"・グラヴァーノなどの官憲への内通者も出すに至ってファミリーの統制は地に堕ちた。現在では再びジェノヴェーゼ一家に最強のファミリーとしての地位を譲っていると思われる。

ちなみに、現在のボスは2011年に就任したシチリア出身のドメニコ・チェファルーDomenico "Italian Dom" Cefalu)。副ボス(ストリート・ボス)は2005年に就任したジャッキー・ダミコJohn "Jackie Nose" D'Amico)で、アンダーボスは1999年に就任したアーノルド・スクイティエリArnold "Squiggy" Squitieri)である。

外部リンク