タイの教育

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タイの教育(タイのきょういく)は、主にタイ政府の教育省により、就学前教育から高校まで行われる。12年間の無償での基礎教育と、最低9年間の義務教育は憲法によって保証されている。さらに、2009年に教育省は無償教育の期間を15年に延長した。[3]

タイ王国の教育
教育省
Minister of Education Narong Pipatanasai[1]
国の教育予算 (2013年)
予算額: THB 460,075.2M (US$16 billion at USD 1 = THB 28.62 as of 21 April 2013) (19.169% national budget)[2]
詳細
主要言語: タイ語, 英語
管轄: National
入学者数
総計: 13,157,103 (2010)
プライマリー: 3,651,613 (2010)
セカンダリー: 1,695,223 (2010)
ポストセカンダリー: 663,150 (2010)
卒業率
中等教育 K.A.

学校教育は、最低12年間の基礎教育および、その後の高等教育で構成される。基礎教育は、6年間の初等教育とその後6年間の中等教育に別れ、さらに中等教育は3年間の前期中等教育と3年間の後期中等教育に別れる。初等教育に至る前の幼稚園は基礎教育の一部であり、地域によって2-3年間、柔軟に提供される。ノンフォーマル教育も国によって支援されている。私立学校も教育インフラの一部に組み入れられている。

公立、私立の大学は、教育省の管轄する高等教育委員会により管理されている。

概要

 
Elementary school students in Thailand

学校教育には4つの段階に別れる。小学校の最初の3年、プラトム (ประถม) 1–3は7歳から9歳のグループである。次のレベル、プラトム4から6は10–12歳のグループである。3段階目はマタヨム (มัธยม) 1–3であり、13–15歳が属する。後期中等教育のグループはマタヨム 4–6で、16歳から18歳のグループであり、学究コースと職業コースに別れる。学校としては学究高校と職業高校、およびその両方のコースのある総合高校として存在する。学究コースを選んだ生徒は大学進学を希望する傾向にある。職業高校は就職準備とさらなる研究とを供給する。

高校には入学試験を受けて入学する。また各段階では、生徒はNET (National Educational Test)という試験に通る必要がある。生徒は小学校の6年間と最低3年間の中学校に出席する必要がある。高校卒業するものには、2つのテストがある。O-NET (Ordinary National Educational Test)とA-NET (Advanced National Educational Test)である。

公立学校は政府により管理されている。私立学校もあり、営利であったり、有償非営利で運営されている。有償非営利の学校は主に慈善組織により運営されている。地方部の学校はたいてい就学前教育である幼稚園 (アヌバーン อนุบาล) を併設している。また、小学校は15歳までの複式学級や中学校と高校を併せた学校の運営をしたりしている。

予算不足により、田舎の学校は都会の学校より設備に乏しい。教育レベル、特に英語教育レベルも低い、多くの高校生は近隣の都市まで60-80kmをかけて通学することもある。

学期は2つに別れる。前期は5月に始まり、10月に終わる。後期は11月に始まり、3月に終わる。教育の段階

タイの学校教育 システム[4]
Typical age Stage Level/Grade Notes
4 基礎教育 就学前教育
(幼稚園)
Variable
(Typically Anuban 1–3)
5
6
7 初等教育 Prathom 1 義務教育
8 Prathom 2
9 Prathom 3
10 Prathom 4
11 Prathom 5
12 Prathom 6
13 前期中等教育 Matthayom 1
14 Matthayom 2
15 Matthayom 3
後期中等教育 Allgemein Vocational
16 Matthayom 4 Vocational Certificate
(3 years)
17 Matthayom 5
18 Matthayom 6
高等教育 Variable

制服

制服は公立、私立を問わず大学まで含めた学生の義務であるが、バリエーションは多くない。

小学校と中学校の男子制服は膝丈の暗い青、カーキ、もしくは黒の半ズボンに開襟の半袖白シャツに長靴下、そして茶か黒のトレーナーである。女子は膝丈の濃い青か黒のスカートに白ブラウス、ゆるく結んだ蝶ネクタイを着用する。高校からは蝶ネクタイは着用されないこともある。女子制服にはショートソックスと黒の学校靴も含まれる。

シャツやブラウスには生徒の名前、番号、および学校名に刺繍が胸にあることも多い。私立学校やインターナショナルスクールでは英国風の制服を採用したり、高校で長ズボンが解禁されることもある。

幼稚園の標準服は女子で赤のスカートに白ブラウス、男子で赤の半ズボンに白シャツである。全てのタイの学校は週に1度、主に木曜日にスカウト活動があり、その時には男子はベージュのスカウト服、女子は濃い緑のスカウト服を着用し、黄色のネッカチーフを身につける。多くの学校では色のバリエーションがあり、Wattana Wittaya Academyでは青の制服に青のネッカチーフを身に着けている。アクセサリーの着用は男子には禁止されているが、女子にはシンプルなもののみ許可されることもある。男女ともに髪染めや刺青は禁止されている。

大学の制服は国内共通で、女性には白ブラウスに(ヒダのあるなしを問わず)スカート、男性は黒のズボンに白の長袖シャツ、濃い青か黒のネクタイを着用する。

歴史

学校教育の起源は男児を対象に行われた寺子屋に見られる。16世紀半ばより、タイはフランスのカトリックなどに教育の門戸を開き、これはタイ国の文化重視に回帰門戸を閉ざす17世紀半ばまで続いた。他の東南アジアや南アジア諸国と違い、植民地化されなかったため、教育は西洋化されることはなかった。結果、教育の近代化にはその必要性に迫られた19世紀終わりを待つことになる。

初期の教育

教育の始まりの一つは1283年ラームカムヘーン王がタイ文字をモン、クメール、そして南インドの文法を元に発明したことに見ることができる。1292年に彫られた石碑には、道徳、文化、知的な側面について主張がなされている。[5] スコータイ時代 (1238–1378)には、教育は王立の教育研究所(Rajabundit)によって王族や貴族に行われ、庶民は仏教の僧に教えられていた。

1350年から1767年まで続いたアユタヤ王国時代のうち、ナーラーイ王の治世には、Chindamaniが一般的に初のタイ語の文法教本として受け入れられた。タイ語の韻律と公式な形式への対応は、フランスイエズス会の学校による影響を食い止めるために、僧である Pra Horatibodi によって書かれたものであるが、それはチュラロンコン王の治世(1868–1910)まで使われていた。ナーラーイ自身も詩人であり、彼の宮殿には詩人が詩を作り、構成するために集まる場所となった。彼の関心のタイ文学への興味増加を通じて、アユタヤでのカトリックミッションは1567年にはポルトガルドミニコ会が存在していたし、フランスイエズス会はアユタヤへの滞在許可を1662年に獲得した。彼の治世にはそのため、西洋列強の在外公館を通じての発展を見ることができる。

ナーラーイ王の死後、海外からの影響がタイの教育・文化に及び、キリスト教化されることを恐れ、外国との交流を避ける感情が増し、西洋との外交活動は大きく縮小した。西洋式の教育も取り入れられなくなった。19世紀半ば、モンクット王の治世まで、元のレベルには戻らなかった。

発展

自身の仏教改革を通じ、ラーマ1世 (1782–1809)は、公教育の発展を加速し、ラーマ4世 (1851–1865)の治世にはタイに印刷技術が到来してタイ語での出版が可能になった。英語は極東での共通言語となり、僧による教育は政府の求めるものには不足する物となった。 ラーマ4世は、教育の近代化と英語のカリキュラムへの導入を命じた。

ラーマ5世 (1868–1910) は、教育の発展への影響を続け、1871年には初の近代的発想、つまり教育のために作られた建物、教師の常置、時間割を兼ね備えた学校を王宮に作り、王族と貴族の子息を対象に教えた。学校の設置に関する命令が発布され、英語は王宮で王族と貴族を対象に教えられ、庶民の子供のための教育の場が王宮の外に作られた。 外国 - 主に英国 - 人アドバイザーの助けで、教育事務所が1887年に設立され、このときの34の学校と、80人以上の教師と、およそ2000人の生徒が傘下に入った。王の省庁設置プログラムにより、1892年には事務所は教育省になった。教育の供給を民間部門が担えるとの判断により、政府は私立学校の管理を導入した。

1897年には、Sribajarindra王妃の先導により、女子が教育機関に入学した。1898年には、バンコクと地域部の2つに別れた教育プランが、就学前教育、初等教育、中等教育、技術教育とより高等な教育のプログラムを含めて開始された。 1901年には、初の公立女学校である、the Bamrung Wijasatriがバンコクに作られ、1913年には、初の女性のための教師養成校がBenchama Rajalai School for girlsに作られた。 1902年に、National System of Education in Siamは、総合教育と専門/技術教育のカテゴリーに分け、同年齢で同一の卒業を促す新しいシステムを導入した。

チュラロンコン王(ラーマ5世)の名前を冠した初の大学が、彼の息子であり後継者のワチラーウット(ラーマ6世)により1917年、文官学校と薬学学校などをまとめて創立された。[6]

1921年には、初等教育が義務教育となった。

近代化

1932年の無血革命により、絶対王政から民主政府に制度が変わると、学校と高等教育機関のさらなる拡大が奨励された。 初の国家教育計画では、能力、性別、社会的背景によらない教育へのアクセスが公式に許可された。

1960年には、義務教区が7年間に拡大し、障害者児童 - それまで障害者児童は義務教育から除外されていた - への特別規定が初めて作られた。1961年には政府は5か年計画を始め、多くの専用学校が建設された。町村部の木造学校や初期のコンクリート造中学校はこのとき作られたものである。

1977年には、初等教育と中等教育の区切りが、4-3-3-2制から、現在でも用いられる6-3-3制に変更された。

近年

2001年初頭より、タクシン政権下で、教育省は児童中心主義に基づく新しい国家カリキュラムの開発を開始した。[要出典]

2001年から2006年までには、学校へのコンピュータの導入、能力のあるネイティブスピーカーの教師による外国語指導などの改良がみられた。地域への教育に関する権限の一部分散、再構築に関する実験が行われた。2008年には、しかしながら、変化はわずかであり、大学入試の改良は政治的な影響や大学自治の付与(もしくは剥奪)、行政のミス、そして不適切なシラバスなどが原因で失敗した。

12の価値

2014年5月の軍事クーデター後、7月にプラユット暫定首相は国の12の価値をテレビ放送で"提唱"した。[7]

  1. 国体、宗教、王政の維持
  2. 公益のために正直、献身的、忍耐的、高貴であること
  3. 親、保護者、教師への感謝
  4. 学校、その他の方法での知識の探求
  5. タイの常識と伝統の護持
  6. 道徳的であり、他人に寛容であること
  7. 国王を元首とする民主主義の正しい理解
  8. 規律を守り、法と年長者の尊重
  9. 国王の教えを守った良い行動の継続
  10. 国王の教えを守った足るを知る経済の実践
  11. 心体双方の健康。宗教上の罪を犯さないこと
  12. 国の中で自分ができることを考えること

当局は公立学校と国家機関にこれを掲示するよう指導した。国家機関は教育のため、詩、歌、および12パートにわたる映画を製作した。

2014年の年末、情報技術・通信省(MICT)は12の価値を表示できるようLINEスタンプを製作した。

近年の状況

(書きかけ)

Private school admissions protest

(書きかけ)

組織

インフラ

ほぼ全ての村には小学校がある。多くのタムボンには6歳から14歳までの学校があり、全ての郡(アムプー)には12歳から17歳までの中学校がある。多くのところには15歳から入学できる職業学校がある。

政府は全ての生徒を処理できないため、民間部門が、政府の監修のもとで、重要な貢献を提供している。民間部門の教育レベルは常にではないが一般的に公立学校のそれより高い。高価で、排他的な私立学校、インターナショナルスクールは高いレベルの成果を残し、生徒の多くが大学は海外への留学を選ぶ。

慈善団体(ミッション組織や監督教区) やそのほかの宗教が、政府系でない低額の総合教育と、いくつかの確立した大学を供給しているが、これらの標準も比較的高い。より安く、新しく、独立した私立学校は時折結果よりも利益と補助金を求める場合があり、この場合建物やリソース、教育技術、教室への詰め込みなどの質で、公立学校とはあまり変わらない。 これらは、子供を私立学校に通わせられるという親の威信が保てるのが唯一の利点である。

田舎の学校では、生徒や教師の長期欠勤が家族や農業への関わりのため起きる。いくつかの学校では田植え休みや稲刈り休みを取り入れている。

400を超える公立の職業大学がマタヨム3を修了した生徒を受け入れている。 多くは毎日通学できる場所に位置しているが、キャンパス内にあるドミトリー宿泊施設が少量提供されていることもある。多くの専門職業学校は、農業、畜産、看護、行政、観光の訓練を提供している。

Administration

Finanzbranche

Forschung

関連項目

脚注

外部リンク