都留市

山梨県の市

これはこのページの過去の版です。220.148.52.85 (会話) による 2015年12月18日 (金) 10:55個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

都留市(つるし)は、山梨県東部に位置するである。

つるし ウィキデータを編集
都留市
山梨リニア実験線
都留市旗
都留市章
 1954年8月5日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
市町村コード 19204-0
法人番号 9000020192040 ウィキデータを編集
面積 161.63km2
総人口 29,702[編集]
推計人口、2024年6月1日)
人口密度 184人/km2
隣接自治体 富士吉田市大月市上野原市
南都留郡道志村西桂町忍野村
山中湖村富士河口湖町
市の木 赤松
市の花
市の鳥
都留市役所
市長 堀内富久
所在地 402-8501
山梨県都留市上谷一丁目1番1号
北緯35度33分5.5秒 東経138度54分19.6秒 / 北緯35.551528度 東経138.905444度 / 35.551528; 138.905444 (都留市)座標: 北緯35度33分5.5秒 東経138度54分19.6秒 / 北緯35.551528度 東経138.905444度 / 35.551528; 138.905444 (都留市)
都留市役所
都留市役所
外部リンク 都留市

都留市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
都留市中心部周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。

古くからの甲斐絹の産地である。

地理

大月市と富士吉田市との中間に位置する。ほとんどが御坂山地丹沢山地などに属する山間部であり、市の南西から北東へ桂川が流れる。この桂川に沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に市街地が形成されている。また、この川に沿うようにして中央自動車道(河口湖線)、国道139号富士急行大月線が通じている。

隣接している自治体

歴史

先史・古代

郡内地方では桂川や支流域の平坦地に数多くの考古遺跡が立地している傾向にある。市域も同様で、大野の一杯窪遺跡旧石器時代の遺跡で、山梨県内最古の石器類が出土している。また縄文時代の遺跡は早期から見られ、縄文中期の集落遺跡である尾咲原遺跡や中溝遺跡、後晩期の配石遺構が見られる牛石遺跡中谷遺跡、桂川河岸段丘上の美通遺跡などがある。一方、郡内の傾向として弥生時代以降の遺跡は乏しい。

古代の律令制下では甲斐四郡のうち都留郡に属し、市域には桂川流域の多良郷や多良郷が比定されている。

中世

戦国時代には都留郡を領した国衆小山田氏が市域を本拠としている。小山田氏は国中地方における守護武田氏と有力国衆との抗争に介入して武田氏と敵対していたが、信虎期に武田氏と和睦して武田家臣団に加わる。

晴信(信玄)期には有力家臣として活躍し、勝頼期には織田・徳川連合軍の侵攻に際して小山田信茂が織田方に内通するが、織田氏により討伐され小山田氏は滅亡する。小山田氏は、はじめ桂川支流大幡川左岸にあたる中津森館を本拠としていたが、武田氏の武田城下町造成と平行して現在の都留市中心市街にあたる谷村(やむら)の地へ居館の移転を行い、谷村館(正確な所在地は不明)を中心に城下町整備を行う。

谷村は後の甲州街道から分岐し吉田へ至る富士道が通り、中世には市も成立した要地で、近世に甲斐国を領した徳川氏や豊臣系大名時代にも政治的拠点として活用された。また、谷村から桂川を挟んで対岸の川棚には勝山城が所在し、築城期は不明であるが、城跡からは豊臣系大名の浅野氏時代の居館や屋敷地の遺構が検出されており、桂川左岸に新たな城下町造成が企図されていた可能性も指摘されている。

近世・近現代

江戸時代には谷村城が築かれ鳥居氏秋元氏二代の谷村藩が成立し郡内地方の政治的拠点となり町場が発達する。秋元氏時代には郡内地方における用水堰の開削や郡内織の新興が行われているが、市域でも秋元氏時代の開削と言われている谷村大堰があり、近世には郡内織も広く営まれていた。

宝永元年(1704年)に秋元氏が武蔵国川越へ転封されると郡内地方は幕府直轄領化となり、谷村城は破却されて谷村には陣屋が設置され町場は衰退する。

沿革

人口

都留市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 31,188人
1975年(昭和50年) 32,607人
1980年(昭和55年) 32,901人
1985年(昭和60年) 33,158人
1990年(平成2年) 33,903人
1995年(平成7年) 35,398人
2000年(平成12年) 35,513人
2005年(平成17年) 35,017人
2010年(平成22年) 33,588人
2015年(平成27年) 32,002人
2020年(令和2年) 31,016人
総務省統計局 国勢調査より
  • 20歳前後で男女とも人口が突出して多くなっているが、これは市内にある都留文科大学の学生が入学に際して住民票を都留市に移すためである[2]

行政

  • 市長:堀内富久(2013年12月8日就任 1期目)

主な市の機関

姉妹都市・提携都市

教育

市立(公立大学法人)の都留文科大学があるほか、市立の8つの小学校・3つの中学校、県立の3つの高校がある。

小学校

中学校

  • 都留第一中学校
  • 都留第二中学校
  • 東桂中学校

高等学校

大学

学校教育以外の施設

交通

鉄道

バス

   都留市駅を中心に各地区に路線が延びていたが、近年のバス利用者低迷により本数大幅削減や路線存廃が取り沙汰されている。

   市内に中央道都留バスストップ中央道小形山バスストップがある。

道路

高速道路
一般国道
主要地方道
一般県道

名所・名跡

都留市は現在市役所のある谷村地区を中心として、中世から城下町を形成していた歴史があり、現在もその谷村地区を中心として多くの名所・名跡が残されている。

出身・関係有名人

脚注

  1. ^ 図典 日本の市町村章 p112
  2. ^ 山梨日日新聞Webサイト「学生さん、住民登録を忘れないで!」(2010年6月13日閲覧)

外部リンク