都留市
つるし ![]() 都留市 | |||
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![]() 山梨リニア実験線 | |||
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国 |
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地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||
都道府県 | 山梨県 | ||
市町村コード | 19204-0 | ||
法人番号 | 9000020192040 | ||
面積 |
161.63km2 | ||
総人口 |
29,702人 [編集] (推計人口、2024年6月1日) | ||
人口密度 | 184人/km2 | ||
隣接自治体 |
富士吉田市、大月市、上野原市、 南都留郡道志村、西桂町、忍野村、 山中湖村、富士河口湖町 | ||
市の木 | 赤松 | ||
市の花 | 梅 | ||
市の鳥 | 鶯 | ||
都留市役所 | |||
市長 | 堀内富久 | ||
所在地 |
〒402-8501 山梨県都留市上谷一丁目1番1号 北緯35度33分5.5秒 東経138度54分19.6秒 / 北緯35.551528度 東経138.905444度座標: 北緯35度33分5.5秒 東経138度54分19.6秒 / 北緯35.551528度 東経138.905444度 ![]() | ||
外部リンク | 都留市 | ||
ウィキプロジェクト |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ef/Tsuru_city_center_area_Aerial_photograph.1975.jpg/300px-Tsuru_city_center_area_Aerial_photograph.1975.jpg)
「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。
古くからの甲斐絹の産地である。
地理
大月市と富士吉田市との中間に位置する。ほとんどが御坂山地や丹沢山地などに属する山間部であり、市の南西から北東へ桂川が流れる。この桂川に沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に市街地が形成されている。また、この川に沿うようにして中央自動車道(河口湖線)、国道139号、富士急行大月線が通じている。
隣接している自治体
歴史
先史・古代
郡内地方では桂川や支流域の平坦地に数多くの考古遺跡が立地している傾向にある。市域も同様で、大野の一杯窪遺跡は旧石器時代の遺跡で、山梨県内最古の石器類が出土している。また縄文時代の遺跡は早期から見られ、縄文中期の集落遺跡である尾咲原遺跡や中溝遺跡、後晩期の配石遺構が見られる牛石遺跡や中谷遺跡、桂川河岸段丘上の美通遺跡などがある。一方、郡内の傾向として弥生時代以降の遺跡は乏しい。
古代の律令制下では甲斐四郡のうち都留郡に属し、市域には桂川流域の多良郷や多良郷が比定されている。
中世
戦国時代には都留郡を領した国衆・小山田氏が市域を本拠としている。小山田氏は国中地方における守護武田氏と有力国衆との抗争に介入して武田氏と敵対していたが、信虎期に武田氏と和睦して武田家臣団に加わる。
晴信(信玄)期には有力家臣として活躍し、勝頼期には織田・徳川連合軍の侵攻に際して小山田信茂が織田方に内通するが、織田氏により討伐され小山田氏は滅亡する。小山田氏は、はじめ桂川支流大幡川左岸にあたる中津森館を本拠としていたが、武田氏の武田城下町造成と平行して現在の都留市中心市街にあたる谷村(やむら)の地へ居館の移転を行い、谷村館(正確な所在地は不明)を中心に城下町整備を行う。
谷村は後の甲州街道から分岐し吉田へ至る富士道が通り、中世には市も成立した要地で、近世に甲斐国を領した徳川氏や豊臣系大名時代にも政治的拠点として活用された。また、谷村から桂川を挟んで対岸の川棚には勝山城が所在し、築城期は不明であるが、城跡からは豊臣系大名の浅野氏時代の居館や屋敷地の遺構が検出されており、桂川左岸に新たな城下町造成が企図されていた可能性も指摘されている。
近世・近現代
江戸時代には谷村城が築かれ鳥居氏、秋元氏二代の谷村藩が成立し郡内地方の政治的拠点となり町場が発達する。秋元氏時代には郡内地方における用水堰の開削や郡内織の新興が行われているが、市域でも秋元氏時代の開削と言われている谷村大堰があり、近世には郡内織も広く営まれていた。
宝永元年(1704年)に秋元氏が武蔵国川越へ転封されると郡内地方は幕府直轄領化となり、谷村城は破却されて谷村には陣屋が設置され町場は衰退する。
沿革
人口
都留市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 市長:堀内富久(2013年12月8日就任 1期目)
主な市の機関
姉妹都市・提携都市
教育
市立(公立大学法人)の都留文科大学があるほか、市立の8つの小学校・3つの中学校、県立の3つの高校がある。
小学校
- 谷村第一小学校
- 谷村第二小学校
- 都留文科大学附属小学校
- 東桂小学校
- 宝小学校
- 禾生第一小学校
- 禾生第二小学校
- 旭小学校
中学校
- 都留第一中学校
- 都留第二中学校
- 東桂中学校
高等学校
大学
学校教育以外の施設
- 山梨県立産業技術短期大学校都留キャンパス
交通
鉄道
バス
- 路線バス:富士急山梨バス
都留市駅を中心に各地区に路線が延びていたが、近年のバス利用者低迷により本数大幅削減や路線存廃が取り沙汰されている。
- 高速バス:中央高速バス 富士五湖線
市内に中央道都留バスストップと中央道小形山バスストップがある。
道路
- 高速道路
- 中央自動車道富士吉田線(都留インターチェンジ、谷村パーキングエリア)
- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
名所・名跡
都留市は現在市役所のある谷村地区を中心として、中世から城下町を形成していた歴史があり、現在もその谷村地区を中心として多くの名所・名跡が残されている。
- 山梨県立リニア見学センター
- 都留市二十一秀峰
- 谷村城址(跡) - 戦国期以来、郡内領主の居館跡。現在は市役所、都留市立谷村第一小学校の敷地となっている。
- 勝山城址(跡) - 谷村市街とは桂川の対岸にある城山にかつてあった山城の址。城山公園。
- 中津森館跡 - 中世に郡内(山梨県東部地域)を治めた小山田氏の本拠地。享禄2年(1529)に館が焼け、一族郎党谷村へ移り住む。これが谷村城である。
- 谷村陣屋跡 - 元禄7年(1694)12月25日、谷村藩主秋元喬知が川越城主となったことを機に、谷村藩は徳川幕府の直轄地となり、翌年に秋元家老高山甚五兵衛宅を谷村陣屋とした。現在は甲府地方裁判所 都留支部になっている。
- 長生寺
- 桂林寺 - 臨済宗。郡内領主小山田氏の菩提寺。
- 用津院 - 曹洞宗。六地蔵は百姓一揆で死罪となった七名の庄屋を供養したものと伝わる。
- 旧尾県学校校舎 - 山梨県指定文化財。明治初期の洋風建築。
- 上大幡の梨 - 山梨県の天然記念物。古くからの梨の木。
- 城南温泉
- 田原の滝 - 松尾芭蕉の句碑がある。
- 蒼竜峡 - 十日市場駅周辺1.5kmの桂川にある渓谷。徳富蘇峰の命名といわれる。
- 十日市場・夏狩湧水群 - 平成の名水百選。
- 山梨リニア実験線 - JR東海のリニアモーターカー実験施設
- 八朔祭り
出身・関係有名人
脚注
- ^ 図典 日本の市町村章 p112
- ^ 山梨日日新聞Webサイト「学生さん、住民登録を忘れないで!」(2010年6月13日閲覧)