タンデム体制

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タンデム体制(タンデムたいせい)は、2008年から2012年までロシア連邦で続いたドミートリー・メドヴェージェフ大統領とウラジーミル・プーチン首相による二頭体制のこと。

呼称

タンデムとは二人乗りの自転車や二頭立ての馬車を指す。プーチン首相が前でメドベージェフ大統領が後ろと皮肉られてもいる。

またロシアの国章双頭の鷲であることにちなみ「双頭体制」とも呼ばれる。

概要

経緯

プーチン2000年から2期8年にわたってロシア大統領を務めていたが、ロシアの憲法では大統領の連続三選が禁じられている。

そのため、プーチンが大統領職を2期で退任するか、他の旧ソ連・CIS(独立国家共同体)の各国指導者に見られるように憲法改正を行い、大統領任期延長を図るかが注目された。

ロシアの与党「統一ロシア」とシロビキに影響力を持つプーチンは、2007年12月のロシア下院選挙で「統一ロシア」の比例名簿1位に登載されて当選、2008年4月に与党「統一ロシア」党首に就任。一方でプーチンは与党「統一ロシア」とシロビキの影響力によって後継大統領候補にメドベージェフ第一副首相を大統領選挙で当選させる一方で、メドベージェフ大統領に自分を首相に指名させた。

発足

2008年5月8日に、メドベージェフ大統領・プーチン首相体制が始まった。

プーチンが8年間の大統領経験や与党「統一ロシア」とシロビキの影響力によって大統領並みの政治的影響力を持つ一方で、メドベージェフ大統領が与党「統一ロシア」とシロビキの影響力を持たないため、本来大統領として大きな権限を持っているメドベージェフは通常のロシア大統領より政治的影響力が小さくなっている。またプーチンは「政府幹部会」を8年ぶりに設置し、首相として政府幹部会議長に就任した。「政府幹部会」は週1回行われ副首相や大統領が管轄する外相や国防相も参加する一方で、大統領が主宰していた週1回の閣議が大幅に減ったため、「政府幹部会」は事実上の政府最高意思決定機関と目された。

ロシアの歴史では最大権力者であるツァーリ皇帝)が政治的影響力を与える政治文化があるため、このような二人の並立する首脳が存在する体制は異例とされている。

メドベージェフ大統領は関税同盟拡大問題やモスクワ市長人事などでプーチン首相と方針対立が報じられることもあるが、プーチン首相と決定的に対立することはない。

2012年大統領任期満了

2012年にメドベージェフの大統領任期が満了となるが、2012年の大統領選挙にはプーチンも三選目にすることが可能であることから、プーチンと比較的リベラル派とされるメドヴェージェフは対立がしばしば報じられ、2012年大統領選挙を中心に両者の関係の変化が観測されてきた。プーチン自身は「話しあって調整したうえで決断する」「2012年になればわかる」と明言を避けてきた。

2011年9月24日、与党「統一ロシア」の党大会がモスクワで開催され、2012年ロシア大統領選挙の候補をプーチン首相を大統領候補にすることを決定し、プーチンが受諾した。またメドベージェフ大統領を下院選挙の比例名簿1位に搭載し、プーチンが大統領に返り咲けばメドベージェフを首相に起用することも発表された。ロシアのタンデム体制は大統領と首相のポストを交換して続くことが見込まれている。プーチンは数年前からの二人で決めていた規定路線だったことを党大会で発表している[1][2]

2011年ロシア下院選挙で与党統一ロシアが過半数を獲得、2012年ロシア大統領選挙でプーチン首相が勝利し、2012年5月にプーチンが大統領に就任した。

憲法改正により大統領任期が4年から6年と拡大したため、プーチンが2018年に再選されれば2012年から2024年まで大統領に在任することも可能となった。

その他

関連書籍

  • 「ロシアはどこに行くのか─タンデム型デモクラシーの限界」(中村逸郎, 2008年 講談社現代新書)ISBN 978-4062879682
  • 「現代用語の基礎知識2010」(自由国民社)

関連項目

脚注

  1. ^ (日本語) プーチン氏、大統領選出馬へ、復帰確実 メドべージェフ氏は首相に”. MSN産経ニュース. 2011年9月24日閲覧。
  2. ^ (日本語) ロシア:プーチン氏、大統領復帰へ 既定路線、自ら明かす メドベージェフ氏は首相に”. 毎日.jp. 2011年9月24日閲覧。

外部リンク