瀬間仲ノルベルト

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瀬間仲ノルベルト(せまなかノルベルト、本名:ノルベルト・セマナカ・ダ・ホッシャ〈Norbert Semanaka da Rocha〉、1984年5月31日 - )は、ブラジルサンパウロ州トゥパン出身の元プロ野球選手内野手)。左投げ左打ち。2005年登録名ホッシャ

瀬間仲ノルベルト
Norbert Semanaka
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
出身地 サンパウロ州トゥパン
生年月日 (1984-05-31) 1984年5月31日(40歳)
身長
体重
186 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2002年 ドラフト7巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴

プロ入り前

ヤクルト野球アカデミーの卒業生[1]。中学時代はオールブラジルの4番打者として活躍。野球留学のために来日し、日章学園に入学。2002年夏の甲子園大会では、初戦の2回戦で興誠高に敗れるも、ライトスタンド中段にまで運ぶライナー性の特大アーチを放って一躍脚光を浴びる。高校通算58本塁打。

同年のドラフト7巡目指名で中日ドラゴンズに入団。

プロ入り後

ルーキーイヤーの2003年は一軍出場なしに終わる。2004年にはアテネオリンピック中南米予選にブラジル代表として出場。秀でた長打力で一軍出場を目指すも、この年も一軍出場はなく、結局一軍出場を果たすことはできずに2005年オフに戦力外通告を受けた。奇しくも高校の同期・片山文男も、同年にヤクルトから戦力外通告を受けている。

職員としての球団入りを勧められたが、現役続行を希望し中日を退団。2005年オフ、2006年オフの12球団合同トライアウトに参加したが、どこの球団からも誘いは無かった。

引退後は、ブラジル料理移動販売「Kansha Group(感謝グループ)」を設立しパステウなどを販売している[2][3]

人物

漢字表記『瀬間仲』は、母方の姓『シマナカ』が現地の人には発音しにくく専ら『セマナカ』と呼ばれていたため、日章学園の入学時に理事長がこの漢字を当てたことに由来する。

当時の野球協約では「高校生は3年間在学しても、日本に5年間居住していなければ日本人扱いとはならない」という規定があったため、ブラジル国籍だった瀬間仲は、外国人選手枠の選手として初めてドラフト指名を受けた選手となった。その後、2004年2月24日のプロ野球実行委員会で野球協約が改正され、高校生について日本居住5年以上の条件を外されることになり、さかのぼって外国人枠から外された。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 60 (2003年)
  • 65 (2004年 - 2005年)

登録名

  • 瀬間仲 ノルベルト(せまなかノルベルト、2003年 - 2004年)
  • ホッシャ (2005年)

脚注

  1. ^ ブラジルで白球追う少年たち=9年目のヤクルト野球アカデミー=連載〈中〉=9年で3百人超が卒業=「文武両道」のアカデミー”. ニッケイ新聞 (2009年1月13日). 2012年11月22日閲覧。
  2. ^ http://megabrasil.jp/20140914_13955/ 元・中日ドラゴンズ選手、瀬間仲ノルベルトさんが売るパステウ。 サンシャインシティ「フェスタ・ド・ブラジル」お店紹介(18)
  3. ^ 広島県福山市に本部のある同名の企業グループ(酒販・ホテル・観光業など)とは無関係である。

関連項目