1963年の西鉄ライオンズ
1963年の西鉄ライオンズでは、1963年シーズンの西鉄ライオンズの動向をまとめる。
1963年の西鉄ライオンズ | |
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成績 | |
日本シリーズ敗退 3勝4敗(対巨人)[1] パシフィック・リーグ優勝 86勝60敗4分 勝率.589[2] | |
本拠地 | |
都市 | 福岡県福岡市 |
平和台野球場![]() | |
球団組織 | |
経営母体 | 西日本鉄道 |
監督 | 中西太(選手兼任) |
« 1962 1964 » |
概要
前年(1962年)オフ、1953年に入団以来10年活躍した豊田泰光内野手が、国鉄スワローズへ金銭トレード、西鉄はトレードマネーでアメリカからトニー・ロイ内野手・ジム・バーマ内野手・ジョージ・ウイルソンのトリオ外国人を入団させ、シリーズに臨んだ。
だがスタート当初は振るわず、6月には首位・南海に14.5ゲーム差をつけられ、オールスターゲーム前でも10.5ゲーム差だった。だが8月から急激に上昇、そして10月17日に南海の全日程が終了すると、西鉄は残りの近鉄バファローズ戦4試合を「3勝1引き分け」以上の成績で優勝、「3勝1敗」なら南海と同率でプレーオフ、「2勝2敗」以下なら南海の優勝となった。しかし西鉄は近鉄戦4試合を全勝して優勝、1956年の7.5ゲーム差、[[1958年の西鉄ライオンズ|1958年の11ゲーム差を上回る大逆転優勝となった(「14.5差逆転」は現在も日本記録)。だがこの優勝は西鉄ライオンズは元より、福岡時代のライオンズとしても最後の優勝となった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1 | 中 | 高倉照幸 |
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2 | 遊 | ロイ |
3 | 右 | 田中久寿男 |
4 | 一 | 中西太 |
5 | 三 | バーマ |
6 | 左 | 玉造陽二 |
7 | 捕 | 和田博実 |
8 | 投 | 稲尾和久 |
9 | 二 | 仰木彬 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 西鉄 | -- |
2位 | 東映 | 2.0 | 東映 | 4.5 | 東映 | 8.0 | 東映 | 7.5 | 西鉄 | 7.5 | 西鉄 | 3.5 | 南海 | 1.0 |
3位 | 阪急 | 4.5 | 近鉄 | 8.5 | 近鉄 | 11.5 | 近鉄 | 11.0 | 近鉄 | 9.0 | 東映 | 11.0 | 東映 | 10.5 |
4位 | 西鉄 | 5.0 | 大毎 | 9.0 | 西鉄 | 13.5 | 西鉄 | 13.0 | 東映 | 10.0 | 近鉄 | 12.0 | 近鉄 | 12.5 |
5位 | 大毎 | 5.5 | 西鉄 | 10.0 | 大毎 | 19.5 | 大毎 | 16.5 | 大毎 | 16.5 | 大毎 | 17.5 | 大毎 | 23.5 |
6位 | 近鉄 | 7.0 | 阪急 | 13.0 | 阪急 | 19.5 | 阪急 | 21.0 | 阪急 | 23.0 | 阪急 | 25.0 | 阪急 | 30.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西鉄ライオンズ | 86 | 60 | 4 | .589 | 優勝 |
2位 | 南海ホークス | 85 | 61 | 4 | .582 | 1.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 76 | 71 | 3 | .517 | 10.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 74 | 73 | 3 | .503 | 12.5 |
5位 | 毎日大映オリオンズ | 64 | 85 | 1 | .430 | 23.5 |
6位 | 阪急ブレーブス | 57 | 92 | 1 | .383 | 30.5 |
日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月26日(土) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 6 | 西鉄ライオンズ | 平和台球場 |
10月27日(日) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 9 - 6 | 西鉄ライオンズ | |
10月28日(月) | 移動日 | ||||
10月29日(火) | 第3戦 | 雨天中止 | 後楽園球場 | ||
10月30日(水) | 西鉄ライオンズ | 2 - 8 | 読売ジャイアンツ | ||
10月31日(木) | 第4戦 | 西鉄ライオンズ | 4 - 1 | 読売ジャイアンツ | |
11月1日(金) | 第5戦 | 西鉄ライオンズ | 1 - 3 | 読売ジャイアンツ | |
11月2日(土) | 移動日 | ||||
11月3日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 6 | 西鉄ライオンズ | 平和台球場 |
11月4日(月) | 第7戦 | 読売ジャイアンツ | 18 - 4 | 西鉄ライオンズ | |
優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり6回目) |
オールスターゲーム1963
詳細は「1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
投手 | 稲尾和久 | 6 |
内野手 | 中西太 | 9 |
外野手 | 高倉照幸 | 6 |
- この年の西鉄は監督推薦による選出のみ。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
稲尾和久 | 最多勝利 | 28勝 | 2年ぶり4度目 |
最多奪三振 | 226個 | 2年ぶり3度目 | |
田中勉 | 最高勝率 | .680 | 初受賞 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
稲尾和久 | 投手 | 3年連続5度目 |
出典
- ^ a b “1963年度日本シリーズ”. 2015年11月10日閲覧。
- ^ a b “年度別成績 1963年 パシフィック・リーグ”. 2015年11月10日閲覧。
- ^ 読売新聞 1963年4月7日付朝刊 14版 7面
- ^ “西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 2015年11月10日閲覧。