柿の木坂
日本の東京都目黒区の町名
柿の木坂
- 東京都目黒区に所在する坂。
- 東京都目黒区の町名。行政地名は柿の木坂一丁目から三丁目。
柿の木坂(かきのきざか。柿ノ木坂、柿木坂とも書く)は、東京都目黒区にある目黒通りの坂である。人口は2017年4月1日現在9,277人[1]。
地理
目黒通りは、東隣の品川区から目黒区に入って権之助坂を目黒川向けてに下り、目黒新橋を渡ってから再び油面方向に向けて金毘羅坂を上る。このあと柿ノ木坂陸橋交差点で環七通りを過ぎ、再び呑川の谷に向けて下る。この坂が柿の木坂である。坂を下りきったところで東急東横線のガードをくぐる。この地点は都立大学駅に近い。
地名としての柿の木坂は、坂の北西一帯の地域である。全体は、北西 - 南東方向にやや細長い三角形をしており、北西から南東に呑川柿の木坂支流が縦貫している。南東辺を目黒通り、北東辺を環七通り、西辺を柿の木坂通り(区道)が通っており、柿の木坂二丁目と柿の木坂三丁目の間を東西に駒沢通りが通っている。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、柿の木坂2-25-25の地点で67万円/m2となっている[2]。
人口
2017年4月1日現在
- 1丁目 2,177世帯4,054人
- 2丁目 1,793世帯3,714人
- 3丁目 756世帯1,509人
合計 4,726世帯9,277人[1]
歴史
町名としての柿の木坂(柿ノ木坂)は、1932年に成立した。同年、目黒区が成立したときに荏原郡碑衾町大字衾の小字東柿木坂北、東柿木坂南、東三谷、東下通、東谷戸、東曾根、東中丸が目黒区柿ノ木坂町となった。1965年に柿ノ木坂町に中根町の一部を合わせた地区に住居表示が実施され、坂に近い南東から、柿の木坂一丁目、柿の木坂二丁目、柿の木坂三丁目となった。
地名の由来
旧・荏原郡衾村。坂の名のいわれには諸説ある。
その他
- めぐろパーシモンホールは、目黒区柿の木坂の西に接する目黒区八雲に所在するが、「パーシモン」は柿の木坂の「柿」の英訳persimmonに由来する。
- 青木光一の往年のヒット曲『柿の木坂の家』はこの柿の木坂と誤解されがちであるが、歌詞に「柿の木坂は駅まで三里」とあるように、作詞者の石本美由起の郷里広島県大竹市がモデルである(「駅」とはJR廿日市駅)。
脚注
- ^ a b 目黒区町丁別世帯数および人口表
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ a b c d “目黒の地名 柿の木坂(かきのきざか)”. 目黒区 (2014年2月3日). 2017年4月8日閲覧。