KENTA (プロレスラー)
小林 健太(こばやし けんた、1981年3月12日 - ) は、日本の男性プロレスラー。埼玉県草加市出身。現在はWWEにヒデオ・イタミ(伊丹 英雄、Hideo Itami)のリングネームで所属している[2][3]。
小林 健太 | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ヒデオ・イタミ KENTA 小林 健太 |
本名 | 小林 健太 |
ニックネーム |
ジャパニーズ・センセーション 反骨のダークヒーロー 黒い蹴殺王[1] |
身長 | 174cm |
体重 | 82.5kg |
誕生日 | 1981年3月12日(43歳) |
出身地 | 埼玉県草加市 |
所属 | WWE |
スポーツ歴 | 野球 |
トレーナー |
小橋建太 高山善廣 |
デビュー | 2000年5月24日 |
日本ではKENTA(ケンタ)のリングネームでプロレスリング・ノアに所属していた。
来歴
デビュー以前
修徳高校時代は野球に打ち込みつつ、遠藤光男(日本アームレスリング連盟会長)の主宰するエンドウズジムに入会。卒業にあたり、遠藤にプロレスラー志望の意を伝えると、遠藤が旧知の小橋建太宛に履歴書を送り、「一般公募オーディションに参加するように」との返事を貰ったとされる。
全日本プロレス
1999年(平成11年)、全日本プロレスが初めて行った一般公募オーディションに参加し、合格する。練習初日、余りの練習の厳しさに合格者が次々と倒れこんでいく中、テレビのインタビュアーに「後悔していませんか?」と訊ねられたところ、「いえ、していません」と答えていた。2000年(平成12年)3月11日、後楽園ホールでのバトルロイヤルでプレ・デビュー。合格者7名の中で唯一、同年5月24日に青森県総合運動公園体育館にて、丸藤正道を相手に本名の「小林健太」でデビューする。
NOAH
デビュー直後の2000年(平成12年)6月16日、三沢光晴が中心となり全日本プロレスから分離し旗揚げされたプロレスリング・ノアに移籍。この頃、小橋がリーダーのチーム「バーニング」が崩壊、初代付き人の金丸義信も小橋から離れたのを機に2代目付き人となり、3代目の潮﨑豪に引き継ぐまでの約4年間行動を共にすることになる。
新人時代
飛び技主体のスタイルで戦っていたが、その路線には天才と名高い丸藤が居たためいま一つ印象が薄く、当時練習生であった鈴木鼓太郎が自分が出来ない跳び技を軽々やってみせていたことから自分のスタイルに迷いが出てくる。師匠である小橋にオレンジ色を譲り受けるも度重なる怪我で戦列を離れた。自分はジュニア戦士なのだから飛び技を使えなければならないと思い意図的に飛び技を出していたためである。小橋に師事しトレーニングに励み、スタイルもパワーを強調したものになっていった。2002年(平成14年)5月27日、第5代ジュニアヘビー級トーナメント決勝で金丸に肉薄し、それ以降、積み重ねてきたキックボクシングを取り入れたキック中心のスタイルを確立していく。また、リングネームも「KENTA」へ改名する。
イケメンタッグ(丸KEN)
トップに近づくため、丸藤とタッグを組み始める。性格はバラバラで特に仲良くもなかったが、タッグの相性は抜群であり、2003年7月16日、外敵タッグの獣神サンダー・ライガー・村浜武洋組を退け初代GHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得した。丸藤の魅せる動きと受け、KENTAのハードヒットという両極端だが非常に分かり易いスタイル、そしてルックスの良さから「イケメンタッグ」あるいは両者の名前から「丸KEN」と称されるようになり、多くの女性ファンを呼び込むことに成功した。ただ見た目が良いだけではなく、試合をすれば必ず名勝負を演じ納得のフィニッシュで勝利を掴むことから、同時期のGHCヘビー級王者の小橋と並んで「名勝負製造機」「ジュニア版絶対王者」と賞され、ノアにおけるジュニアの台頭を生んだ。
2004年(平成16年)、「蹴撃七番勝負」を行ったが、初戦のフベントゥ・ゲレーラ以外は全敗という結果に終わる。2戦目の相手小川良成の持つGHCタッグ王座に挑戦を表明していたが、敗れてしまったために小川から鼓太郎とのタッグでGHCジュニアヘビー級タッグ王座挑戦が決定するもこれを返り討ちにする。この実績から三沢光晴・小川良成組が持つGHCタッグへの挑戦が2004年4月25日に決定した(結果は敗北)。
5月7日・8日に行われた第2回ディファカップに丸藤とのタッグで出場。決勝戦でタッグ歴6年を誇る日高郁人・藤田ミノル組と35分24秒にも及ぶ激闘を繰り広げ、最後にはブサイクへの膝蹴りで藤田を撃破し優勝を果たした。6月5日には金丸義信・杉浦貴組に敗れ、約2年に渡り9度の防衛に成功したGHCジュニアヘビー級タッグ王座から陥落。
GHC ジュニアヘビー級王者時代
2005年(平成17年)7月18日東京ドームにて金丸が保有するGHCジュニアヘビー級王座に挑戦し奪取に成功する。その後日本国外での防衛戦を経て、2006年(平成18年)1月、先輩である丸藤を相手に防衛戦を行い、同年のベストバウト候補に挙がるほどの死闘を繰り広げ、ついに丸藤越えを果たした。この防衛戦の高い評判により丸藤と共に対ヘビー級路線に駆り出されるようになる。
直後の3月には師である小橋とこれまた激闘を繰り広げるも、小橋のリストクラッチ式バーニングハンマーにより敗れた。
その後も防衛戦を続けるも同年6月杉浦に敗北し1年近く在位していた王座から陥落した。
ROH参戦・対ヘビー級路線
GHCジュニアヘビー級王座からは陥落したものの、かつてタッグを組んでいた丸藤が2006年9月に秋山を破りジュニアでありながらGHCヘビー級王座を戴冠。同年1月にGHCジュニアヘビー級王座の防衛戦で丸藤に勝利していた経緯から初防衛戦の相手として指名され、初のジュニアヘビー級同士によるGHCヘビー級選手権試合が行われた。1月の試合を超え、プロレス大賞にて2006年のベストバウトに選ばれる程の死闘を繰り広げたものの敗北する。
また2005年末よりアメリカのインディ団体ROHに定期的に遠征するようになり、当時ROH世界王者だったブライアン・ダニエルソンとライバル関係になる。現地にてROH世界王座に挑戦して敗北することもあったが、2006年12月にノアマット初上陸を果たしたダニエルソンとリマッチを行い初勝利を収めた。
2006年から断続的に続いていた対ヘビー級路線は2007年に入り森嶋猛とのシングルという形に結実した。2006年12月にSEMで引き分けたことに続き、2007年3月には日本武道館のメインイベントでROH世界王座戦(2007年1月に森嶋がROH世界王者になっていた)という形で森嶋に挑むも敗北。その後、下記に示す石森太二とのタッグ結成により再びジュニアヘビー級戦線に戻るかと思われたが、対ヘビー級の能力も高く評価されており、アメリカで三沢を相手にGHCヘビー級選手権試合を行ったりする等、時々ヘビー級戦線に参戦している。
石森太二とのタッグ結成
2007年(平成19年)初夏頃から石森太二とタッグを組むようになり、ジュニアヘビー級戦線の活発化のためノア初のジュニアタッグリーグ戦を提唱し実現する。ジュニアヘビー級タッグ王者の鼓太郎&リッキー・マルビンの他、ROHの強豪タッグチーム:ブリスコ・ブラザーズや、丸藤がDDTの飯伏幸太と組んで参戦したことにより大成功を収めた上、王者チームを差し置いて優勝をも果たした。
同年8月にはジュニアタッグリーグ優勝の勢いを駆ってGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するも敗北。その後しばらく目立った活動は無かったが、2008年3月20日 DRAGON GATE「THE GATE OF GENERATION」大田区体育館大会にて、DRAGON GATEに流出したGHCジュニアヘビー級タッグ王座へ挑戦し、勝利して第9代GHCジュニアタッグ王者になる。しかし7月にはヒールファイトに目覚めた金丸義信・鈴木鼓太郎組に敗れて王座陥落してしまう。ここから両者の抗争がスタートし、2008年のジュニアタッグリーグの優勝決定戦で再び激突し、勝利を収め2年連続の優勝を決めた。
シングル王座返り咲き
また10月にブライアン・ダニエルソンの持つGHCジュニアヘビー級王座に挑戦。勝利を収めて3年ぶりにベルトを巻いた。初防衛戦は世界ジュニアヘビー級王座(全日本プロレスのタイトル)を奪取していた丸藤正道とのダブルタイトルマッチだったが、長年ライバル関係にある両者は一歩とも引かずGHC史上初の60分フルタイムドローという結果になり防衛に成功する。
2009年5月17日には自身初となるプロデュース興行「CROSS ROAD」を開催し、メインで因縁浅からぬ秋山とシングルマッチを実現させた。激闘を展開するも、結果は敗北。
2009年10月28日に第1回ジュニアヘビー級リーグ戦の鼓太郎戦で右ひざ前十字靭帯を断裂し、外側半月板を損傷した。10月31日には負傷に伴う長期離脱のため、GHCジュニアヘビー級王座を返上した。
DIS OBEYからNO MERCYへ
2011年1月ツアー『The First Navig.2011』が始まると、正パートナー不在のKENTAが金丸とのタッグチーム結成に個人的に興味がある旨の発言をする。これを受け、同月23日のアクロス福岡大会で、金丸がKENTAにタッグを結成するのかしないのかハッキリとするようにリング上でマイクアピールした。KENTAは金丸に耳打ちし、金丸は「分かった」とのみ発言し退場する。このときの発言内容は二人以外には明かされなかったが、後日ある条件を提示したと明かされた。同月29日のツアー最終戦・後楽園ホール大会における第4試合、潮崎豪、小川良成、KENTA組対モハメド・ヨネ、金丸、平柳玄藩組の試合終盤で、KENTAは味方である潮崎と小川を突如攻撃、パイプ椅子による殴打を敢行。直後、金丸や平柳・ヨネと握手、抱擁し、さらには「これからが新しいディスオベイの始まり」とマイクアピールをしチーム加入を宣言した。なお、試合後の控室で先日提示した条件の内容は不明のままであるが、条件は成約したことがKENTAの口から告げられた[4]。
2011年3月5日有明コロシアム大会のディスオベイ対健介オフィスの8人タッグマッチで、試合途中で仲間割れを起こし、モハメド・ヨネをKENTAが椅子攻撃、続いて金丸とKENTAが二人の得意技を見舞った。嫌がる平柳にも無理矢理ヨネへ椅子攻撃をするよう促し敢行させた。マイクアピールでKENTA・金丸・平柳で新たにチームを結成する旨を宣言した。また、以前に金丸に提示した加入の条件はヨネを外すことであると明かした。3人はヨネ排除の理由として、ヨネは中途半端で、イメージが悪いためとしている。後日、金丸・KENTA・平柳の新チームの名称はノー・マーシー(No Mercy)であると発表され、追放したヨネと抗争を展開する。
翌4月にヨネ対NO Mercy3番勝負が行われ、第1試合で平柳、第2試合で金丸に勝利したヨネに第3試合で激突。疲労困憊の状態だったヨネに快勝した直後にマイクを握り、NO Mercy設立の根本的理由を話した後、NOAHが不況に陥っていながらも現場の状況を見ようともせずに憤然とNOAHのフロントを牛耳っている仲田龍GMを名指して「さっさとフロントから退け!」と言い放ち、NOAHの開拓と仲田GMへの宣戦布告を宣言した。
6月11日、ヨネと再び対戦するもヨネの断崖式キン肉バスターでエプロン際に設置された机に脳天から落下、まさかの失神を起こしレフェリーストップによる敗北を喫した。 同月26日、高山善廣・佐野巧真組と対戦(パートナーは金丸)、高山が佐野をエベレストジャーマンで裏切りNO MERCY入りを表明、加入を受け入れNOAH改革に一層の勢いを付けた。
11月、杉浦貴とのシングルマッチで杉浦に勝利し、潮崎の持つGHCヘビー級ベルトの挑戦権を獲得する。同月下旬のグローバル・リーグにも出場、同大会での杉浦との再戦ではフロントネックロックで絞め落とされ128秒殺されるも、快調に勝利を重ねていき、決勝戦で森嶋に敗れるも準優勝となった。 12月に潮崎のGHCヘビー級ベルトに挑戦するも、グローバル・リーグで左膝を負傷していたため、go 2 sleepを潮崎に喰らわせることはできたものの入りが浅く、最後は潮崎のリミットブレイクで敗れた。以降膝の怪我のため欠場する。
12月、2011年プロレス大賞技能賞を受賞した。
2012年7月22日に復帰後は本格的に主戦場をヘビー級に移す。
9月に大阪府立体育会館で森嶋の持つGHCヘビー級ベルトに挑戦し、体重差がある中熱戦を繰り広げるも敗戦。10月にマイバッハ谷口とのタッグでGHCタッグベルトを奪取した。自身初めてのヘビー級のベルト獲得となった。しかし初防衛戦で潮崎・斎藤組に敗れ、短期政権に終わった。11月グローバル・リーグ戦で初優勝する。試合後、リング上でノア再興を宣言した。
2013年1月27日、大阪府立体育会館で森嶋を破り、GHCヘビー級王座を奪取。以後、約1年にわたって同王座を防衛し、同年のプロレス大賞で殊勲賞を受賞した。しかし、2014年(平成26年)1月5日に森嶋に敗れ、王座を失った。
2014年4月30日、プロレスリング・ノアを退団[5]。ノアラストマッチは5月17日の丸藤正道と組み杉浦貴&中嶋勝彦との対戦となった[6]。試合はKENTAが中嶋に生膝でのgo2sleepで勝利した[7]。
WWE
NXT
7月12日、WWE大阪公演(舞洲アリーナ大会)にてハルク・ホーガンの呼び込みで登場、リング上にてWWEとの公開契約を行った[8]。9月12日、NXT・Takeover Fatal 4 Wayにてヒデオ・イタミのリングネームで活動することを発表[9]。リングネーム発表後、バックステージから現れたジ・アセンションに因縁をつけられるも返り討ちにしてみせた。18日、NXTデビューマッチではジャスティン・ガブリエルとシングルマッチを行いダイビング・フットスタンプで仕留め、デビュー戦初勝利を飾った。10月2日、因縁のあるジ・アセンションのビクターとシングルマッチを行う予定であったが入場してリング内に入ると同時にビクターとセコンドであるコナーから襲撃されてしまいレフェリー達が割って入るも事態を収拾する事ができなかった。同月9日にはビクターと再戦を行い、ドロップキックを決めて勝利するが、試合後に応援者であるフナキがコナーに捕まって痛めつけられているところで気を取られてしまい、ビクターから復讐されてしまう。果てにはコナーとビクターからロープに挟まれてしまい、フナキがフォール・オブ・マンを喰らわされる姿を見せつけられてしまった。何度も襲撃される事に憤怒。遂にパートナーを呼ぶ事になり、11月6日にフィン・ベイラーを連れて対戦し、完勝した。12月11日、Takeover R Evolutionにてジ・アセンションと決着戦を行う際、入場用の拳法着のようなガウンとコスチュームを一新して登場(GHCジュニアヘビー級王者時代を彷彿とさせる黄色と茶色ではなく黒を基調としている)。試合途中にはヒデオチャントを浴び、未遂ながらもgo 2 sleepを決めようとするなど観客からの声援を受けて最後はベイラーとダイビング・フット・スタンプを決めて勝利した。
2015年3月26日、WrestleMania 31のWrestleMania AxxessにてWrestleMania 31で行われるアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアル・バトルロイヤルでのNXT選手枠を賭けたトーナメントに出場。1回戦でエイドリアン・ネヴィル、決勝でベイラーから勝利して優勝を飾り、出場権を獲得した[10]。同月29日、WrestleMania 31にてアンドレ・ザ・ジャイアント・メモリアル・バトルロイヤルに出場。ボー・ダラスにキックを放って脱落させたものの直後に背後にいたビッグ・ショーにより投げ落とされてしまった[11]。5月7日、肩を故障。6ヶ月から8ヶ月に及ぶ長期欠場が見込まれ[12]、5月20日のTakeover Unstoppableでタイラー・ブリーズ、ベイラーとのトリプルスレットマッチ形式によるNXT王座挑戦権争奪マッチを何者かに襲撃されて肩を負傷するというアングルが組まれキャンセル。また、7月に日本で行われるWWE Liveについても手術した事により欠場する事が発表された[13]。
2016年6月30日、NXT Liveにて復帰。ノア時代から交流のあるTM61(マイキー・ニコルス & シェイン・ヘイスト)と組んでサモア・ジョー & ウェスリー・ブレイク & ティノ・サバテリと対戦。復帰戦を勝利で飾った[14]。8月3日、NXTにてCWCの出場者であるショーン・マルタと対戦。最後にブサイクへの膝蹴りを決めてテレビマッチでの復帰戦を勝利で飾った[15]。
2017年5月20日、Takeover ChicagoにてNXT王座を保持するボビー・ルードに挑戦。中盤にはグロリアスDDTを喰らい窮地に陥るが起き上がらされたところを隙を突いてGTSを決める。打撃戦を展開して再度GTSを見舞おうとするが切り返されるとグロリアスDDTを決められ敗戦した[16]。
WWE
2017年11月21日、WWE・205 Liveにてプロモーションを展開。登場予告をされる[17][18]。12月18日、RAWにてフィン・ベイラーがザ・ミズトラージ(カーティス・アクセル & ボー・ダラス)とのハンディキャップマッチを行うが2人よりルールを無視しての集中攻撃に遭いレフェリーより試合を止められるが、尚も攻撃を加えられるベイラーを助ける為にバックステージより登場。試合形式をタッグマッチとして続ける事になり、最後にアクセルにGTSを決めて勝利した[19]。同月19日、205 Liveに登場。コリン・デラニーと対戦。序盤より一方的な展開で攻め、最後にランニング・ドロップキックからGTSに繋げて勝利した[20][21]。
人柄
- 相手がヘビー・格上・師匠であろうが物怖じせず、そのまま突っ込んでいくストレートさと、相手を小馬鹿にした動作や「すかす」クレバーさを備えたタイプのレスラーである。ルックスが良いためにプロレスとは関係のない雑誌にも数多く登場し、丸藤正道と共に女性ファン新規開拓の牽引役となっていた。
- 初期の頃は女性ファンに「ケンタきゅん」と呼ばれていたが、今では呼ばれることは無い。ムシキング・テリー戦以降から、子供達の人気も上昇している。
- 2006年の5月に入籍を発表。
人間関係
- 丸藤とタッグを組み、ジュニアタッグ王者の長期政権を築いていたが、「丸藤さんとは仲が良くない」「タッグを組んでいるのは、あくまで上を獲る為」と平気で言っている。柴田勝頼のことは「ソウルメイト」と言い、趣味も同じことから公私ともに気の合う仲であることを公言している。
- オッキー沖田を嫌っていた。理由は、オッキーがNOAH社長である三沢のことを「緑」と呼び捨てにしているのを目撃したためで、「自分には例える色もないくせに」と憤慨していた。
- 師匠である小橋をめぐる関係で、秋山とはそりが合わないとされていた。普段の興行ではタッグを組むことはまず無かった上に、対戦カードが組まれると秋山に対し普段以上の猛攻を浴びせ、秋山も何時も以上の冷徹さでこれに応戦していた。確執が決定的になったのは、2004年に行われた「蹴撃七番勝負」の秋山戦である。雑誌等の取材で秋山のことに話が及ぶと、敢えて「秋山氏」、「白パン」(秋山のリングコスチュームが白のショートタイツであることから)と呼んでいた。しかし2009年の自身プロデュースによる興行でメインイベントで秋山と対戦した際は、試合後に自ら秋山に握手を求め、秋山もそれに応じた。その興行終了後に行われた週刊プロレスでのインタビューでは「秋山さん」と呼び、確執は解消され、そのインタビューの際、インタビュアーから「秋山さん、でいいんですか?」と逆に心配されたが、「いいです、いいです(笑)」と答えている。
エピソード
- 第2回「ディファカップ」優勝後、リング上で優勝賞金100万円を受け取ると、ZERO1-MAXのオッキー沖田を呼び出し、「オッキー、これ、おまえが責任持って星川選手に渡しな」と、クモ膜下出血のリハビリを続けている星川尚浩へ渡すよう告げる。沖田はリング上で号泣した。
- SUWA、金丸、平柳などヒールレスラーとの対立が多く団体内では急所攻撃を受けることが多い。2011年からはヒールとなり、金丸、平柳とは同じユニットに属している。
- 北海道が鬼門。GHCジュニア、ジュニアタッグ両方のタイトルを北海道で手放している。
- WWE入団後に使用しているイタミ・ヒデオというリングネームは、「イタミ」はアメリカでも人気のアニメ『NARUTO -ナルト-』のキャラクター「ペイン」に由来し、ペイン⇒PAIN⇒痛み⇒伊丹として命名。ヒデオは元メジャーリーガーの野茂英雄に由来している[22]。
趣味
得意技
決め技
- 相手をファイヤーマンズキャリーの体勢で抱え上げ、相手を目の前に落とすと同時に、落下中の相手の胸元や首・顎あたりにカウンターで片膝を突き上げる。下記「ブサイクへの膝蹴り」に続くフィニッシュムーブ。この名前を意訳すると「おやすみなさい」になり、「これでフィニッシュ」することを意味する。小橋戦では表裏逆に担ぎ、後頭部に膝蹴りを見舞う裏go 2 sleepを披露している。略称としてG2S、GTSと呼ばれる場合がある。
- ロープに走り戻ってきた所で、右膝で相手の首筋・顎あたりを蹴り飛ばす独特の跳び膝蹴り。ボディに左掌底→右頬に左掌底→左頬に右掌底→右頬にローリング裏拳→右側頭部に左ハイキックというコンビネーション(ここまでの流れを「ブサイクへの顔面潰し」とも言う)から繋ぐことが多いが、他にも様々なバリエーションがある。
- 形は同じでも相手によって名前に数多くのバリエーションがあり、対戦相手によって様々である。この技の命名者は開発当時タッグを組んでいた杉浦貴。
- ジャンピングしてのフロント・ハイキック。助走を付けてジャンプし、片足を前方へ差し出して足の裏を相手の顔面にぶつけていく。試合中盤に使うが、走ってからジャンプする点でブサイクへの膝蹴りと酷似しているため間違われることもある。
打撃技
- スリーパーホールドで絞め上げた相手をハーフダウン状態にした後、技を解いてロープに走り込み、相手の胸部目掛けて勢いよくサッカーボールキックを放つ技
- コーナーに座り込んだ相手に対して、対角線のコーナーから助走を付けて高く跳び上がり、相手の顔面を蹴りつける。
- 打撃合戦の他、相手をターンバックルに叩きつけると同時に飛び上がりながら顔面を蹴りつけるムーブを得意としている。
- 相手が繰り出す打撃技に合わせてカウンター気味に放たれる。
- ペースチェンジとして使用。上記の張り手と同様、主に相手の動きを止める場合に用いられる。
- 尻餅をついている相手の背中を全力で蹴りつける技。
又は、座っている相手の胸板を助走をつけてから蹴りつけるランニング式も使用。場外にいる相手にエプロンを走りこんでの一撃も使用している。
- バズソーキック
- 仰向けになった相手の上半身を起こして相手の左側頭部を振り抜いた右足の甲で蹴り飛ばす。
- 空中で半回転して頭部を蹴り上げる変型ハイキック。
- コークスクリューキック
- 四つ這いの状態でのコークスクリューキック
- 自身の片足の膝を突き出すように折り曲げて相手に覆いかぶさる格好で倒れ込み、相手の体に足を打ちつける。
- キックボクシング仕込の切れ味鋭いキックを繰り出す。主力武器。
- 試合終盤にて繰り出される回転して決めるラリアット。
投げ技
- ブレーンバスターの体勢で持ち上げた後、相手の頭が自分の方にくるようあお向けに回転させながら自分は前方開脚、尻餅状態に座りながら股の間に相手の後頭部から背中を投げ落とす。FMWのハヤブサが開発したことでこの名がついた。現在のスタイルが確立される前から大一番で使用されることが多い技である。
- 2005年以降、ビッグマッチでは雪崩式に使用することもあり、投げ技の中心となっている。2006年10月29日の丸藤戦では、断崖式で繰り出した。
- 相手を前かがみにさせ、左腕で相手の首を下から巻きつけロックし、左腿を右手で抱えて持ち上げる。この状態で担ぎ上げ、垂直落下式に落とす技。ファルコンアロー共々キック主体となる前から度々使用されている。雪崩式で繰り出す際は、場所によって捻りを加えてドノバン・モーガンのコークスクリュー・ネックブリーカーのように落とすこともある。
- 詳細はリンク先参照。小林のものは三沢光晴式('84)でクラッチしている。2004年頃から使用され始め、中盤から試合を決めに行こうとする繋ぎの投げとしてビッグマッチで使用されている。丸藤とのGHCヘビー級王座戦では雪崩式(下田美馬のデスレイクドライブ)で出した。
- パワーボムで担ぎ上げた相手をコーナーのターンバックルに後頭部から叩きつける技。元々は師匠小橋の技であったが、ビッグマッチで何度も使っていくことで自分の技へとしていった。
飛び技
- 天高くジャンプし物凄い勢いで落ちてくるため、観客席からは悲鳴にも近い歓声が上がる。2006年の丸藤戦、2007年の森嶋戦では場外で倒れている相手にトップロープから繰り出す。
- 小林にとっては珍しい飛び技。ファルコンアロー同様、長く愛用している技の一つである。2006年1月22日の丸藤戦の解説(高山善廣)によると、受身の取り方を背中でとるものから、捻りを加え前でとるものに変更したとのこと。
- スワンダイブ式ラリアット
- 柴田との合体技「タッチ・ザ・スカイ」の披露後に使われだした技。相手の位置は違うが(タッチ・ザ・スカイは相手が柴田の肩車に乗せられている)、一人タッチ・ザ・スカイとも言える。
- 相手をセカンドロープに引っかけた所へ膝を落とす形で使うことが多い。
関節技
- 詳細はリンク先参照。2007年頃から、試合中盤の繋ぎとして使用している。
- 腕極め卍固め
- 卍固めをかけた体勢から相手の左腕を腕固めに捕える複合関節技。元は柴田が開発した技で、柴田から伝授された。
- 若手時代に得意としていた技で、フィニッシュになることもあった。2009年にも再び使用し、この技で平柳、起田高志に勝利している。また、小橋も若手時代から得意としていた。
- GAME OVER
小橋建太との関係
- 練習生時代には小橋から「俺と一文字違いということで周りから色々と言われるかもしれないけど、お前はお前で小林健太を確立していけばいい」とアドバイスを受けた。
- リングネームをKENTAとした理由は「小橋建太に似ているから」ではなく、NOAH旗揚げ前に小橋が膝の手術で入院していた頃、お見舞いに来ていたTHE YELLOW MONKEYの菊地英昭から「KENTAという名前はどうだ?」という話が出ていたという。その後小林名義で怪我の絶えなかったことから、小橋がその「KENTA」という名前を提案、吹っ切る意味で変えたという。
- NOAH時代、小橋が膝の怪我悪化で長期離脱を余儀なくされた頃、小橋はバーニング解散を宣言する。その旨を小林に告げ、付け人も辞めて別のチームにでも行けと言うと「絶対嫌です」と固辞し続け、結局一人だけバーニングに残ることになった。
タイトル・表彰
- GHCヘビー級王座:第19代
- GHCジュニアヘビー級王座:第10代・第16代・第18代
- GHCタッグ王座:第25代(パートナー:マイバッハ谷口)
- GHCジュニアヘビー級タッグ王座:3回(パートナーは初代が丸藤正道、第9代が石森太二、第14代が金丸義信)
- グローバル・リーグ戦:1回(2012)
- TORNEO LATINO AMERICANO DE LUCHA LIBRE:1回(2012)
- ディファカップ:1回(2005年、パートナーは丸藤)
- 日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦:3回(パートナーは2007年および2008年が石森、2010年は青木篤志)
- グローバル・タッグ・リーグ戦:1回(2013、パートナーは高山善廣)
- 技能賞(2011年)
- 殊勲賞(2013年)
- レッスルマニア・アクセス NXTトーナメント
入場テーマ曲
- SHOUT OF MY SOUL / 山口大輔
- FOR ONE'S LIFE / BRAHMAN (- 2002年)
- NO LIGHT THEORY / BRAHMAN (2002年 - 2004年)
- The Champ Is Here (remix) 〜Art And Life Chi-Roc (2004年 - 2006年)
- What You Know (Instrumental) / T.I. (2007年1月8日 - 2011年2月13日)
- Hard in da Paint / Waka Flocka Flame(2011年2月16日 - )
- Enio / SebastiAn( - 2014年5月17日)
- Tokiwakita (Time Has Come) / CFO$(2014年9月12日 - 現在)
脚注
- ^ 「"黒い蹴殺王"KENTAがヨネ追放!「ノア版nWo設立」予告」『東京スポーツ』2011年3月7日
- ^ WWE | スーパースター | ヒデオ・イタミ2016年4月閲覧
- ^ Hideo Itami / 伊丹英雄 (@HideoItami) - X(旧Twitter)
- ^ ベースボール・マガジン社『週刊プロレス』2011年2月16日号
- ^ “KENTA選手退団に関するご報告”. プロレスリング・ノア (2014年4月30日). 2014年4月30日閲覧。
- ^ “KENTA箱舟最終戦でマルケンコンビ復活”. 東京スポーツ (2014年5月4日). 2014年5月4日閲覧。
- ^ 高木裕美 (2014年5月18日). “KENTAラストマッチに聖地が大熱狂 GHC王座V4の永田に丸藤が挑戦表明”. スポーツナビ. 2014年5月18日閲覧。
- ^ “KENTAがWWEと正式契約!NXTの一員となるKENTAにトリプルHは「WWEに新しい風を吹き込むことになる」と期待”. バトル・ニュース (2014年7月13日). 2014年7月13日閲覧。
- ^ “KENTA遂にWWEデビュー、WWEスーパースター「イタミ・ヒデオ」誕生!”. WWE (2014年9月12日). 2014年9月12日閲覧。
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- ^ “WWE 205 Live Results (12/19): Hideo Itami Debuts, Drew Gulak Vs. Cedric Alexander, Enzo Amore”. Wrestlinginc.com. 2017年12月19日閲覧。
- ^ Ringsidewrestling.com:Inspiration Behind Hideo Itami's Name Change, Head Writer for NXT TV Revealed, More
関連項目
外部リンク
- Hideo Itami / 伊丹英雄 (@HideoItami) - X(旧Twitter)
- プロレスリング・ノア公式サイト 選手紹介
- WWE | スーパースター | ヒデオ・イタミ
- KENTAのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database