月形樺戸博物館
北海道月形町にある博物館
月形樺戸博物館(つきがたかばとはくぶつかん)は、北海道樺戸郡月形町にある月形町立の博物館。
![]() | |
---|---|
旧樺戸集治監本庁舎 | |
施設情報 | |
正式名称 | 月形樺戸博物館[1] |
前身 | 北海道行刑資料館 |
専門分野 | 刑務所 |
事業主体 | 月形町 |
管理運営 | 月形町 |
開館 | 1972年 |
所在地 |
〒061-0500 北海道樺戸郡月形町字月形1219番地 |
位置 | 北緯43度20分20.8秒 東経141度40分8.3秒 / 北緯43.339111度 東経141.668972度座標: 北緯43度20分20.8秒 東経141度40分8.3秒 / 北緯43.339111度 東経141.668972度 |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:GLAM |
概要
かつて、明治時代の1882年から大正時代の1919年にかけて、39年間に月形町に樺戸集治監があり、国事犯や一般刑事犯を収容していた[2][3]。
残っていた樺戸集治監本庁舎は、1972年まで、月形町役場として利用されたが、博物館である『北海道行刑資料館』となった[4]。1996年に、『月形樺戸博物館』と名称変更し、前後して二階建ての本館が建てられる。
建物
- 樺戸集治監本庁舎
- 本館
- 農業研修館
営業
2012年
- 4月1日~11月30日[5]
交通アクセス
沿革
- 1881年9月3日、樺戸集治監が開庁となる[6]。初代典獄(刑務所長)は、月形潔である[2]。
- 1886年、月形樺戸博物館の一部となっている樺戸集治監本庁舎が竣工する[2][7]。
- 1887年 1月、樺戸監獄署に改称[8][9]。
- 1890年 7月、樺戸集治監に改称[8][10]。
- 1891年 7月、北海道集治監に改組[11]。樺戸を本監とし、空知・釧路・網走を分監とした。
- 1903年 4月、樺戸監獄に改組[12]。
- 1919年1月20日、樺戸監獄が廃止になるが[13]、本部建物は、月形村役場となる。
- 1967年、月形町役場として使用されている旧・樺戸集治監本部が、北海道百年記念遺跡に指定される[13]。
- 1972年、月形町役場が移転し、本部建物が、『北海道行刑資料館』となる[7][13]。
- 1996年、『北海道行刑資料館』が、『月形樺戸博物館』に名称変更となる。
- 2001年、田園空間博物館樺戸地区(つきがたエリア)整備事業開始[14]、本館がコア施設に指定される。
脚注
- ^ 月形樺戸博物館条例
- ^ a b c 高橋賢司 (2012年4月1日). “駅 人 話 石狩月形駅”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ 北海道バリアフリー 月形樺戸博物館
- ^ エキナビ 月形樺戸刑務所
- ^ 月形樺戸博物館がリニューアルオープン 月形町役場
- ^ 1881(明治14)年9月3日。樺戸集治監開庁 月形歴史物語 月形町
- ^ a b 1972年、北海道行刑資料館の誕生 月形町
- ^ a b 片岡優子「釧路集治監教誨師時代の原胤昭」『関西学院大学社会学部紀要』第101号、関西学院大学、2006年10月、ISSN 04529456、NAID 110006484723、NCID AN00047522、2018年7月24日閲覧。「1887年1月4日北海道庁令第1号をもって、樺戸・空知・釧路(1885年9月開庁)の三集治監を樺戸監獄署、空知監獄署、釧路監獄署と改称した。1890年7月23日に、三監獄を旧称に復し、樺戸集治監、空知集治監、釧路集治監と称するようになった。」
- ^ 「彙報(司法警察及び監獄) 」『官報』第1066号、1887年1月22日、4頁、2018年7月24日閲覧。
- ^ 「彙報(司法警察及び監獄) 」『官報』第2125号、1890年7月30日、4頁、2018年7月24日閲覧。
- ^ 「明治24年内務省告示第35号」『官報』第2425号、1891年7月30日、1頁、2018年7月24日閲覧。
- ^ 「明治36年勅令第35号」『官報』第5913号、1903年3月23日、4-6頁、2018年7月24日閲覧。
- ^ a b c 歴史|月形町・月形観光協会
- ^ 横田勉「監獄都市の発生と消長に関する考察 : 月形町と三笠市を例として」『Sauvage:北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院院生論集』第5号、北海道大学、2009年3月10日、NAID 120001206907、2018年8月17日閲覧。