セブン・イヤーズ・イン・チベット
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)は、1997年のアメリカ映画。ジャン=ジャック・アノー監督作品。
セブン・イヤーズ・イン・チベット | |
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Seven Years in Tibet | |
監督 | ジャン=ジャック・アノー |
脚本 | ベッキー・ジョンストン |
製作 | ジョン・H・ウィリアムズ 他 |
製作総指揮 | デヴィッド・ニコルズ 他 |
出演者 |
ブラッド・ピット デヴィッド・シューリス |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ロベール・フレース |
編集 | ノエル・ボワソン |
配給 |
松竹富士 日本ヘラルド映画 |
公開 |
1997年10月8日 1997年12月13日 |
上映時間 | 139分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 |
英語 ドイツ語 中国語 チベット語 |
製作費 | $70,000,000 |
興行収入 | $37,900,000 |
配給収入 | 15億5000万円[1] |
アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝の映画化。彼がチベットで過ごした7年間、彼と若きダライ・ラマとの交流を描く。
ストーリー
1939年秋、登山家ハインリヒ・ハラーは世界最高峰ヒマラヤ山脈への登山に向かった。時悪く、第二次世界大戦のためにインドでイギリス軍の捕虜となってしまった彼は脱獄し、チベットへと行き着く。チベットの首都ラサで生活をしていたハラーは、当時14歳で好奇心旺盛なダライ・ラマ14世と出会い、親しく交流する。ラサでの日々がハラーの荒んだ心に変化をもたらした。しかし、その生活も中国共産党の人民解放軍によるチベット国への軍事侵略によって終わりを告げることとなるのだった。
キャスト
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | ||
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ソフト版 | フジテレビ版 | 機内上映版 | ||
ハインリヒ・ハラー | ブラッド・ピット | 山寺宏一 | 堀内賢雄 | 平田広明 |
ペーター・アウフシュナイター | デヴィッド・シューリス | 小川真司 | 大塚明夫 | |
ンガプー・ンガワン・ジクメ | B・D・ウォン | 堀内賢雄 | 大塚芳忠 | 大川透 |
クンゴ・ツァロン | マコ岩松 | 小山武宏 | 緒方賢一 | 西村知道 |
摂政 | ダニー・デンゾンパ | 斎藤志郎 | 屋良有作 | 池田勝 |
中国の代表 | ヴィクター・ウォン | 藤本譲 | 宝亀克寿 | 藤本譲 |
イングリッド・ハラー | インゲボルガ・ダクネイト | 川村万梨阿 | 鈴鹿千春 | 田中敦子 |
ダライ・ラマ | ジャムヤン・ジャムツォ・ワンチュク | 岡野浩介 | 佐々木優子 | 岡野浩介 |
ペマ・ラキ | ラクパ・ツァムチョエ | 佐々木優子 | さとうあい | 田中敦子 |
ダライ・ラマの母 | ジェツン・ペマ | 磯辺万沙子 | 達依久子 | |
張経武 | リック・ヤン |
スタッフ
- 監督 - ジャン=ジャック・アノー
- 音楽 - ジョン・ウィリアムズ
- 演奏 - ヨーヨー・マ
- 脚本 - ベッキー・ジョンストン
- 撮影 - ロバート・フレイズ
原作
原作は、ハインリヒ・ハラー自身による1952年の著書 Sieben Jahre in Tibet. Mein Leben am Hofe des Dalai Lama で、日本語訳は1955年(昭和30年)に『チベットの七年』 (近藤等 訳、新潮社) 、1981年(昭和56年)に『チベットの七年 ダライ・ラマの宮廷に仕えて』 (福田宏年 訳、白水社)がある。映画の公開に合わせて福田宏年訳が、1997年(平成9年)10月に白水社から新装復刊され、同年11月には『セブン・イヤーズ・イン・チベット チベットの七年』に改題され角川文庫から刊行された。
なお、映画化の際には脚色が加えられている[2]。
映画に対する中国の反応など
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の公開後、中華人民共和国政府は、映画の中で中国人民解放軍の士官が意図的に無礼で傲慢な人物として描かれている、また中国人民解放軍兵士がチベット人に対し虐殺したかのような演出がされたとして強く非難した。このため『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は中国で上映禁止となった(言論統制)。また、映画の監督および主演者のブラッド・ピット及びデヴィッド・シューリスは中華人民共和国支配地域への立ち入りを無期限で禁止されたが、ブラッド・ピットは2016年11月に出演作の宣伝のため中国を訪問している[3]。
中国に入国できなかったため、映画の大半はアルゼンチンで撮影された。しかし映画の公開から2年後、監督ジャン=ジャック・アノーは2名のクルーが中国支配下のチベットに潜入し、一部の映像を撮影していたことを明らかにした。中国政府の強い反応にもかかわらず、ジャン=ジャック・アノーは映画に20分ほどのチベットで撮影された映像を加えていた。また、一部の映像はチベット近隣のネパールで撮影された。
エピソード
関連事項
参照
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)576頁
- ^ en:Seven Years in Tibet (1997 film)#Comparisons between the film and the book
- ^ 中国当局の“封殺”やっと解けた?ブラッド・ピットが最新作PR -- Record China