浅香光代

日本の女優

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浅香 光代(あさか みつよ、本名;北岡 昭子<きたおか しょうこ>、1928年2月20日[1] - )は、日本の剣劇女優東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)出身。身長163.5cm、体重55kg。血液型B型

あさか みつよ
浅香 光代
本名 北岡 昭子
生年月日 (1928-02-20) 1928年2月20日(96歳)
出身地 日本の旗 日本, 東京都千代田区神田
民族 日本人
血液型 B型
ジャンル 女優
活動期間 1937年 -
配偶者 世志凡太事実婚
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愛称は「ミッチー」。内縁の夫はコメディアン世志凡太

来歴・人物

1937年、9歳のときに、映画界で活躍していた浅香新八郎森静子らの舞台劇団「新生国民座」の門戸を叩き、座長から芸名「浅香光代」を贈られた。1944年(昭和19年)に座長の浅香新八郎が急逝し、森静子の意向から新生国民座は解散した。亡くなった座長から覚えめでたい存在だった浅香は担ぎ上げられる格好で「浅香光代一座」を発足させた[注 1]。新劇団は以前からのプログラム演目に中堅看板役者達を引き継いだものの、知名度の無い劇団の人気は結団暫く低迷していたが、戦局悪化で曖昧な規制対象にされていた女剣劇の復活に携わると、たちまち人々の話題にのぼった。

浅香光代一座はやがて浅草新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅人気劇団へ成長した。一座にはのちにてんぷくトリオで有名になる戸塚睦夫三波伸介などが在籍しており[2]、その幕間には玉川良一らが客演していた。

自身の殺陣に絶対の自信を持ち、番組企画等でお笑いタレント等に殺陣や演技指導するという企画に参加することがある。

野村沙知代に剣劇を教え舞台で共演したものの、TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド』の降板前最後の回(1999年3月31日)において、沙知代を批判をしたことがきっかけとなり、沙知代の逮捕2001年12月)まで続くミッチー・サッチー騒動へと発展。連日に渡り「ミッチーVSサッチー」と民放各局のワイドショーで取り上げられたことにより、浅香のこれまでの高年齢者にシフトしていた知名度が若い世代でも認知されるようになったが、2004年、沙知代に対する名誉毀損で110万円の支払い命令を受けている。

2010年5月3日、プロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦し、高山善廣と対戦した[3]

2014年、雑誌(『婦人公論』2014年2月7日号)にて20代で出産した隠し子がいることを公表した。子の父親は既婚者の政治家で総理大臣、副総理を歴任した人物(故人)であり、子に対しても名を明かしていないという。

2018年、2月20日で90歳になり5月11日都内のホテルで卒寿を祝う会を行いお祝いに駆けつけた萩本欽一山東昭子深谷隆司亀井静香ら約300人を前に「浅香光代、これからも頑張ります」としっかりとした元気な声であいさつした[4]

経歴

CD

映画

テレビドラマ

ラジオ

バラエティ

CM

丸美屋食品工業

著書

  • 『女剣劇』学風書院 1958
  • 『太りすぎよ、さようなら! 浅香式耳飾美容痩身法のすべて』ジェーアンドエー出版 1978
  • 『手さぐりの幸せ』海竜社 1983
  • 『斬って恋して五十年』東京新聞出版局 1991 日本図書センター 人間の記録 2000
  • 『浅香光代の代謝復活ダイエット』泉書房 2008

注釈

  1. ^ 資料によって浅香光代一座結団時期と新生国民座活動期間について異なった表記がみられる。

脚注

  1. ^ プロフィールでは1931年2月20日
  2. ^ 笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう (西条昇著・風塵社・2000年1月) ISBN 4938733765
  3. ^ 浅香光代、魔性のスリーパー魅せた!/リング/デイリースポーツonline
  4. ^ 浅香光代90歳お祝い「つえでも舞台に」亀井静香氏日刊スポーツ、2018年5月11日

関連項目

補足事項

大沢悠里のゆうゆうワイド』の水曜レギュラーを務めていた時代はオープニングに舞台での決め台詞がジングルコールとしてかけられていて降板後も不定期で使用されている。「大沢〜悠里ノォ〜ゆうゆう〜ワイド。 『御用だ!御用だ!!御用だ!!!』 お控えなすってぇ〜」

外部リンク