ケビン・グリーン

これはこのページの過去の版です。バックショルダー (会話 | 投稿記録) による 2020年12月24日 (木) 13:06個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (一旦ここまで加筆。en:Kevin Greene (American football)より日本語版用に意訳。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ケビン・グリーン(Kevin Darwin Greene, 1962年7月31日 - 2020年12月21日)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州スケネクタディ出身のアメリカンフットボールの元選手。ディフェンシブエンドラインバッカーとして、NFLロサンゼルス・ラムズピッツバーグ・スティーラーズ等の4チームで15年間プレーした。

ケビン・グリーン
Kevin Greene
基本情報
ポジション DELB
生年月日 (1962-07-31) 1962年7月31日
没年月日 (2020-12-21) 2020年12月21日(58歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州スケネクタディ
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 247 lb =約112kg
経歴
大学 オーバーン大学
NFLドラフト 1985年 / 5巡目全体113位
所属歴
選手歴
1985–1992 ロサンゼルス・ラムズ
1993–1995 ピッツバーグ・スティーラーズ
1996 カロライナ・パンサーズ
1997 サンフランシスコ・49ers
1998–1999 カロライナ・パンサーズ
コーチ歴
2009–2013 グリーンベイ・パッカーズ(OLB)
2017–2018 ニューヨーク・ジェッツ(OLB)
受賞歴・記録
オールプロ選出(3回)
1989,1994,1996
プロボウル選出(5回)
1989,1994–1996,1998
スーパーボウル制覇(コーチとして)
第45回(2010)
NFL 通算成績
タックル 773
QBサック 160.0
インターセプト 5
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

通算サック数160.0は、1999年の引退時歴代3位。1990年代オールディケードチームに選出され、2016年にプロフットボール殿堂入りした[1]

2020年12月21日、死去[2]、死因についての公式発表はなかった。

NFL

ロサンゼルス・ラムズ

当時存在していたアメリカンフットボールリーグのUSFLのチームからドラフト指名された後、1985年のNFLドラフト英語版で5巡目全体113番目でロサンゼルス・ラムズから指名され、NFL入りした[3]。プロ入りから3年間(1985年から1987年)は、ラムズのニッケルディフェンスのレフトディフェンシブエンドとしてプレーし、1986年と1987年にはチーム2位となるサックを決めた。

1988年、当時のディフェンシブコーディネーターであるフリッツ・シュルマー考案の5ラインバッカー・ディフェンスでアウトサイドラインバッカーに転向した。このシーズン終盤、同地区のライバル・49ers戦でジョー・モンタナに4.5サックを決める活躍をし、ラムズのプレイオフ進出に貢献した[4]。シーズン全体では、レジー・ホワイトに次ぐ、リーグ2位の16.5サックを決めた[5]

1989年、2年連続となる16.5サック(リーグ4位)を決め、プロボウルオールプロ第1チームに初選出された。このシーズン中、ラムズとの契約を3年間延長することで合意した[6]

1990年、13サック(リーグ6位タイ)を決めた。これにより1988年からの3年間のサック数は46となり、この3年間でリーグ1位のサック数となった[7]

1991年、チームは新しいディフェンシブコーディネーターとしてジェフ・フィッシャーを迎え、守備システムを4-3ディフェンスに変えた。1983年以来、3-4ディフェンスでプレーしていたグリーンにとって、この守備システムは不慣れである上に、開幕前に守備位置もラインバッカーから右ディフェンシブエンドに変更された[8]。開幕から5試合を右ディフェンシブエンドでプレーしたが、精彩を欠いたため、左ラインバッカーに戻され、怪我のため左ディフェンシブエンドに守備位置を変更された。前3年間で46回決めていたサックは3回に激減した。このシーズン終了後、チームのコーチ陣全員が解雇となった[9]

1992年、チームは新ヘッドコーチとしてチャック・ノックスを迎え、ディフェンシブコーディネーターも交代した。新コーチの下でも4-3ディフェンスは維持されたが、守備位置はラインバッカーとなった。グリーンは新コーチにパスラッシャーとしての役割だけではなく、多くのプレーでパスカバレッジの役割も求められたが、前シーズンの不調から一転して、10サックを決める活躍をした。

ピッツバーグ・スティーラーズ

1993年、ラムズとの契約期間が満了し、フリーエージェントとなったグリーンは、馴染みのある3-4ディフェンスを採用しているチームに新天地を求めた。グリーンは新人時のディフェンシブコーディネーターであるシュルマーがディフェンシブコーディネーターを務めていたグリーンベイ・パッカーズを訪問したが、シュルマーはその時には4-3ディフェンスを採用しており、入団には至らなかった。最終的に、3-4ディフェンスを採用していたピッツバーグ・スティーラーズと3年契約を締結した。

現役生活終盤

脚注