レミー・ボンヤスキー

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レミー・ボンヤスキー(Remy Bonjasky、1976年1月10日 - )は、スリナム共和国パラマリボ出身のオランダキックボクサー。バックボーンはムエタイ。チームボンヤスキー所属。元ABNアムロ銀行勤務の銀行員という異色の経歴を持つ。

レミー・ボンヤスキー
基本情報
本名 レミー・ケネス・ボンヤスキー(Remy Kenneth Bonjask)
通称 ザ・フライ・ハイ
フライング・ジェントルマン
階級 スーパーヘビー級K-1
身長 192cm
体重 108kg
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
誕生日 (1976-01-10) 1976年1月10日(48歳)
出身地 スリナムの旗 スリナムパラマリボ
スタイル ムエタイ
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恵まれた体格を持ち、巧みな防御技術と、高い身体能力を生かしたフライング・ニー(跳び膝蹴り)、フライング・ハイ(ハイキック)などの蹴り技が武器。K-1 WORLD GPで3度の優勝を果たしている。

来歴

スリナム共和国パラマリボに生まれ、5歳の時にオランダティルブルフに移住した。

2001年6月24日、日本で初の試合。K-1参戦後2戦目でレイ・セフォーに4RTKO勝ちし、脚光を浴びる。

2002年7月14日、K-1 WORLD GP 2002 in 福岡でミルコ・クロコップにパンチの連打でダウンを奪われ、2RTKO負け。

2003年8月15日、K-1 WORLD GP 2003 ラスベガス最終予選、決勝でマイケル・マクドナルドに判定勝ちし優勝。

2003年10月11日、K-1 WORLD GP 2003 開幕戦のGP1回戦でボブ・サップと対戦。ダウンを奪うが、ボンヤスキーがスリップして倒れた際にサップの反則攻撃を受け試合続行不可能となったため、反則勝ちで準々決勝に駒を進める。

2003年12月6日、K-1 WORLD GP 2003 決勝戦のGP準々決勝でピーター・グラハムを跳び膝蹴りで1RKO勝ち。準決勝でシリル・アビディを膝蹴りで1RKO勝ち。そして決勝武蔵を判定で破り、WORLD GP初優勝を果たした。

2004年5月30日、一撃キックルールでフランシスコ・フィリォと対戦し、ダウンを奪われて判定負け。フィリォはこの試合の勝利を最後に現役を引退した。

2004年9月25日、K-1 WORLD GP 2004 開幕戦では、前年度王者ということで1回戦をシードされたため、スーパーファイトでと対戦し、ハイキックで3RKO勝ち。

2004年12月4日、K-1 WORLD GP 2004 決勝戦のGP準々決勝でアーネスト・ホーストと接戦を演じて延長戦の末に僅差の判定勝ち。準決勝ではフランソワ・ボタのボディブローに苦しめられるも、試合終了数十秒前にハイキックでダウンを奪い判定勝ち、続く決勝戦で、武蔵を破りWORLD GP2連覇を果たした。優勝後、レミーは「昨年のGPではホーストが欠場していた為優勝出来たのではないかと言われたが、今回はホーストを倒して優勝した事で、真の王者だと証明できて嬉しい。」とコメントした。

2005年3月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN SEOULでレイ・マーサーにハイキックで試合開始22秒でKO勝ち。

2005年4月30日、K-1ラスベガス大会でマイティ・モーと対戦。試合は全体を通してレミーが支配していたが、3Rに右フックでダウンを奪われたシーンがあったため微妙な判定で敗れた。

2005年5月21日、K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005にて、リカルド・ノードストランドと対戦。3R判定勝ちを収めた。

2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦にて、スーパーファイトでアレクセイ・イグナショフと対戦。3R終了時に判定でドローとなったため、延長戦を行い3-0の判定勝ちを収めた。

2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦にて、前年に続いてWORLD GP王者ということで1回戦をシードされて迎えたGP準々決勝でチェ・ホンマンと対戦し、3R判定勝ち。続く準決勝でセミー・シュルトと対戦し、1RKO負けを喫した。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてザ・プレデターと対戦、プレデターの圧力に苦戦し劣勢となるも、判定2-1で勝利。会場では判定に対して観客からブーイングが起こった。大会直後の記者会見にてK-1プロデューサーの谷川貞治も「プレデターの勝ちでも良かったと思います」とコメントし、K-1競技統括やレフェリーを務める角田信朗もブログにて「立場上強くは言えないが、あの判定、ブーイングが出ても致し方ない」とコメントした。

2006年5月13日、K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAMでジェロム・レ・バンナと対戦。2-0の判定勝ちを収めた。しかしその後、バンナ側の抗議により、6月30日付でレミーの0-3の判定負けに記録が変更された[1]

2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 IN SAPPOROで僅差で敗れたマイティ・モーと再戦を行い、ローキックなどでダメージを与えモーを完封して判定勝ち。リベンジを果たした。

2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 開幕戦のGP1回戦でピーター・アーツと対戦予定だったが、アーツが病気で欠場したため、試合の2日前に代役で出場が決まったゲーリー・グッドリッジと対戦し、KOで下し決勝大会への切符を手に入れた。

2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 決勝戦のGP準々決勝でステファン"ブリッツ"レコと対戦。2度の金的を受けるアクシデントに苦しみながらも、3Rにカウンターでダウンを奪い判定勝ち。試合後、金的のダメージで同日の準決勝を棄権した。

2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIでグラウベ・フェイトーザと初対戦し、2-0の判定勝ち。

2007年8月、ミルコ・クロコップチーム・クロコップのトレーニングにスパーリング・パートナーとして参加。

2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦にてステファン"ブリッツ"レコと再戦。右跳び膝蹴りでKO勝ち。ただし、レコはダウンを喫した後、10カウント以内に立ち上がったにも関わらず、レフェリーに試合を止められている。

2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのGP準々決勝でバダ・ハリと対戦。3R判定勝ち。準決勝ではピーター・アーツに3R判定負け。

2008年4月26日、K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAMにてメルヴィン・マヌーフにハイキックで2RKO勝ち。

2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦でポール・スロウィンスキーと対戦し、判定勝ち。

2008年12月6日、K-1 WORLD GP 2008 FINALのGP準々決勝でジェロム・レ・バンナと対戦。3Rにミドルキックでダウンを奪い、そのままバンナの骨折の疑いによりドクターストップによるTKO勝利。準決勝ではグーカン・サキに2RKO勝利を収めた。決勝ではバダ・ハリと対戦し、1Rにハリからダウンを奪ったが、2Rに足を掴まれ倒されると、ハリの反則攻撃(倒れた相手の頭部へのパンチと踏みつけ)を受けた。ダメージ回復のため試合が中断されたが、レミーはダブルビジョン(物が二重に見えること)を訴え試合続行不可能。この反則行為によりバダ・ハリが失格負けとなり、レミーが4年ぶり3度目のGP王者となった。試合後、対戦相手のハリは反則攻撃後のボンヤスキーの一連の行動に対して「演技」の可能性を指摘した。それに対して当のボンヤスキーは、その翌日のインタビューにおいて、一夜を越して起きてもまだダブルビジョンと頭痛が治まっていなかったという旨のことを述べている[2]

2009年3月28日、K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAアリスター・オーフレイムと対戦。全体的にアリスターにペースを握られるも、3Rにダウンを奪い判定勝ち。ボンヤスキーは試合後の会見で2日前に膝の裏側の筋を痛め歩行も困難な状態になり、試合当日は鎮痛剤を打って試合をしたことを告白した[3]

2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦でメルヴィン・マヌーフと対戦し、判定勝ち。

2009年12月5日、K-1 WORLD GP 2009 FINALのGP準々決勝でエロール・ジマーマンに判定勝ち。準決勝ではセミー・シュルトと対戦し、ジマーマン戦で受けた足のダメージが響き、1R開始直後に左フックでダウンを奪うも、徐々にシュルトに盛り返されて2度のダウンによりKO負けを喫し、連覇はならなかった。

2010年9月6日、オランダアルメレにキックボクシングジム「ボンヤスキー・アカデミー」を開設。

2010年8月、網膜剥離の手術を受け、成功した[4]。以後はボンヤスキー・アカデミーでダニョ・イルンガら後進の指導をしつつ、欧州のキックボクシング団体であるIT'S SHOWTIMEのリポーターなどを務めながら、あと1試合で現役を引退することを表明し、引退試合をK-1かIT'S SHOWTIMEのどちらかで行うべく交渉を行っていたが、結局、引退試合を行わないまま一度目の現役引退となった[5]

2012年に入り、IT'S SHOWTIMEを買収したGLORYと契約。同年10月6日にブリュッセルで開催のGLORY 2にて2年10ヶ月ぶりの現役復帰戦でアンダーソン・ブラドック・シルバと対戦し、延長戦の末に4-1の判定勝ち[6][7]

2012年12月31日、DREAM.18 & GLORY 4のGLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント2012にて、1回戦でフィリップ・ヴェルリンデンに2分3R判定143-142で判定勝ち。準々決勝でジャマール・ベン・サディックに2分2R判定90-100で判定負けを喫した。

2013年3月23日、GLORY 5 LONDONにてタイロン・スポーンに2R右ストレートでKO負け[8]

2013年12月21日、有明コロシアムで行われたGLORY 13 TOKYOにて、日本で最後となる試合を行いアンダーソン・ブラドック・シルバと再戦。蹴りを使い試合を有効に勧めていたが、物議を醸す判定により判定負け。レミーは苦笑いをしながらもファンに日本語で感謝の気持ちを伝えた。

2014年3月8日、アレナ・ザグレブで行われたGLORY14 ZAGREBにて、ミルコ・クロコップと再戦。お互いに見せ場を作れず、精彩を欠いた内容となったが、2-0で判定勝ち。

2017年10月29日、アルメレで行われたWFL: Manhoef vs. Bonjaskyにてメルヴィン・マヌーフと4度目の対戦し、3R判定負け。過去にマヌーフには3勝しているが、4度目の対戦で初めて敗れた。この時点でレミーは41歳となり、以降は試合を行っていない。

人物・エピソード

  • スリナムパラマリボに生を享け、5歳のときにオランダティルブルフへと移住[9]
  • 少年時代はサッカーに打ち込んでおり、16歳の頃まではオランダを代表する名門クラブ・アヤックスの下部組織でプレーしていた。このときの同期に世界的サッカー選手のクラレンス・セードルフパトリック・クライファートがいる。
  • アレクセイ・イグナショフと並んでK-1きってのインテリファイターとして知られており、格闘雑誌のインタビューで国立大学出身で数学を専攻していたと語っている。
  • 2003年に結婚するが、2005年に離婚。2004年2月に長男が生まれ、モハメド・アリの本名から取って「カシアス」と名付けた。
  • 2006年にジェロム・レ・バンナに勝利した後、バンナ陣営の抗議によって裁定が覆った事について、レミーは『ファイターならば、会場で判定が言い渡された時点で負けを受け入れるべきだ。真のファイターは判定に文句を言わないものだ。』とコメントしている。
  • セミー・シュルトについては『シュルトは王者だったけど、それがファンに伝わっていなかった。ルックスも王者らしくないし、トークもできない。しかもファイトスタイルはつまらない。』と酷評している。

2度にわたる名誉賞の受賞

2007年の7月の終わり頃、アムステルダムの市中で通り魔事件に巻き込まれたボンヤスキーは、その犯人らの逮捕劇にて大立ち回りを演じることとなる。2名のイギリス人らがアムステルダムの街中で車中から通行人に対して無差別にボウガンの矢を放ったという事件で、その被害者の一人(結果として最後の被害者)となったボンヤスキーは、即座に犯人らの車を追跡し、そのまま犯人らを取り押さえたうえで、警官らが到着するまで待機。犯人らはそのまま逮捕された[10]。 著名な格闘家の誉れ高き快挙としてアムステルダム市警はこれを顕彰し、ボンヤスキーは市警から栄誉のメダルを授与された[11]

 
笑顔を見せるボンヤスキー

2009年にはアルメレ市の名誉市民賞を受賞。格闘技における功績を認められてのことであった[12]。 このアルメレ市は、その翌2010年に自身のキックボクシング/ムエタイジム“ボンヤスキー・アカデミー”を開業することになる町でもあり[13]、更には防犯対策の講師として大学で講義を行い、新たに発足したその専門プロジェクトの主任を務めるなど[14]、なにかとゆかりの深い町でもある。

ファッションブランドの顔

2010年にはオランダ発の下着ファッションブランド「Sapph」のモデルに抜擢され、このブランドの男性部門のニューフェイス(イメージキャラクターのようなもの)に就任[15]。 このブランドの女性部門のモデルを務める元水泳選手のインヘ・デブルーインとともにたびたびメディアに登場している[16]

2011年の初めにはオランダの有名テレビ番組「ステレン・ダンセン・オプ・ヘット・アイス」に登場[17]。 イギリスの「ダンシング・オン・アイス」のオランダ版にあたるこのテレビ番組は、著名人同士がカップルを組んでスケートを行うという趣旨のもので、ボンヤスキーはこれの第4回放送に登場し、ともにSapphのモデルを務めるデブルーインの見守るなかで氷上の舞いを披露した[18][19]

戦績

キックボクシング 戦績
98 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
78 40 36 2 0 0
20 5
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× メルヴィン・マヌーフ 3R終了 判定 WFL: Manhoef vs. Bonjasky 2017年10月29日
ミルコ・クロコップ 3R終了 判定2-0 Glory Glory 14: Zagreb 2014年3月8日
× アンダーソン・ブラドック・シルバ 3R終了 判定0-3 GLORY 13 TOKYO 2013年12月21日
× タイロン・スポーン 2R 2:02 KO(右ストレート) GLORY 5 LONDON 2013年3月23日
× ジャマール・ベン・サディック 2R終了 判定90-100 DREAM.18 & GLORY 4
【GLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント2012 準々決勝】
2012年12月31日
フィリップ・ヴェルリンデン 3R終了 判定143-142 DREAM.18 & GLORY 4
【GLORY GRAND SLAM ヘビー級世界トーナメント2012 1回戦】
2012年12月31日
アンダーソン・ブラドック・シルバ 3R+延長1R終了 判定4-1 GLORY 2 2012年10月6日
× セミー・シュルト 1R 2:28 KO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 WORLD GP 2009 FINAL
【WORLD GP 準決勝】
2009年12月5日
エロール・ジマーマン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2009 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2009年12月5日
メルヴィン・マヌーフ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2009年9月26日
アリスター・オーフレイム 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMA 2009年3月28日
バダ・ハリ 2R 0:53 反則失格(倒れた相手への攻撃) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【WORLD GP 決勝】
2008年12月6日
グーカン・サキ 2R 0:53 KO(右フライングミドルキック) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【WORLD GP 準決勝】
2008年12月6日
ジェロム・レ・バンナ 3R 1:46 TKO(ドクターストップ:左上腕負傷) K-1 WORLD GP 2008 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2008年12月6日
ポール・スロウィンスキー 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2008年9月27日
ヴォルク・アターエフ 3R 0:33 KO(右跳び膝蹴り) K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEI 2008年7月13日
メルヴィン・マヌーフ 3R 2:32 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2008 IN AMSTERDAM 2008年4月26日
× ピーター・アーツ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【WORLD GP 準決勝】
2007年12月8日
バダ・ハリ 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【WORLD GP 準々決勝】
2007年12月8日
ステファン"ブリッツ"レコ 1R 2:50 KO(右跳び膝蹴り) K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16
【WORLD GP 1回戦】
2007年9月29日
グラウベ・フェイトーザ 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2007 in HAWAII 2007年4月28日
ステファン"ブリッツ"レコ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2006 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2006年12月2日
ゲーリー・グッドリッジ 3R 0:52 KO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2006 IN OSAKA 開幕戦
【WORLD GP 1回戦】
2006年9月30日
マイティ・モー 3R終了 判定3-0 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 IN SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
× ジェロム・レ・バンナ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2006 IN AMSTERDAM
【スーパーファイト】
2006年5月13日
ザ・プレデター 3R終了 判定2-1 K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
× セミー・シュルト 1R 2:08 KO(2ノックダウン:左膝蹴り) K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 準決勝】
2005年11月19日
チェ・ホンマン 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 IN TOKYO 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2005年11月19日
アレクセイ・イグナショフ 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 IN OSAKA 開幕戦
【スーパーファイト】
2005年9月23日
リカルド・ノードストランド 3R終了 判定3-0 K-1 Fighting Network K-1 SCANDINAVIA 2005 2005年5月21日
× マイティ・モー 3R終了 判定1-2 K-1 WORLD GP 2005 IN LAS VEGAS 2005年4月30日
レイ"マーシレス"マーサー 1R 0:22 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2005 IN SEOUL 2005年3月19日
武蔵 3R+延長2R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【WORLD GP 決勝】
2004年12月4日
フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【WORLD GP 準決勝】
2004年12月4日
アーネスト・ホースト 3R+延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2004年12月4日
3R 0:33 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦
【スーパーファイト】
2004年9月25日
アジス・カトゥー 2R 1:59 TKO(レフェリーストップ:左手首負傷) K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 2004年7月17日
フランソワ"ザ・ホワイトバッファロー"ボタ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA 2004年6月6日
× フランシスコ・フィリォ 3R終了 判定0-3 一撃 〜極真 vs K-1 全面対抗戦〜
【一撃キックルール】
2004年5月30日
中迫剛 3R 2:54 KO(3ノックダウン:左ハイキック) K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜 2004年2月15日
武蔵 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【WORLD GP 決勝】
2003年12月6日
シリル・アビディ 1R 1:46 KO(2ノックダウン:左跳び膝蹴り) K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【WORLD GP 準決勝】
2003年12月6日
ピーター・グラハム 1R 2:58 KO(2ノックダウン:右上段膝蹴り) K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【WORLD GP 準々決勝】
2003年12月6日
ボブ・サップ 2R 1:20 反則失格(倒れた相手への攻撃) K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS
【WORLD GP 1回戦】
2003年10月11日
マイケル・マクドナルド 3R+延長R終了 判定2-1 K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス
【最終予選トーナメント 決勝】
2003年8月15日
ジェフ・フォード 1R 1:28 TKO(レフェリーストップ:右肩負傷) K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス
【最終予選トーナメント 準決勝】
2003年8月15日
ヴァーノン"タイガー"ホワイト 1R 1:55 KO(右フライングハイキック) K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス
【最終予選トーナメント 1回戦】
2003年8月15日
× セミー・シュルト 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2003 in 福岡 2003年7月13日
ビヨン・ブレギー 3R 1:29 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2003 in さいたま 2003年3月30日
アントニー・ハードンク 5R終了 判定3-0 IT'S SHOWTIME 6 "As Usual" 2002年9月29日
× ステファン・レコ 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2002 in ラスベガス
【スーパーファイト】
2002年8月17日
× ミルコ・クロコップ 2R 2:06 TKO(レフェリーストップ:パンチ連打) K-1 WORLD GP 2002 in 福岡
【スーパーファイト】
2002年7月14日
ピーター・マエストロビッチ 4R 0:27 KO(右ハイキック) K-1 WORLD GP 2002 in パリ 2002年5月25日
× エロル・パリス 1R 1:20 KO(左ボディフック) K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会
【地区予選トーナメント 準決勝】
2002年2月24日
メルヴィン・マヌーフ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会
【地区予選トーナメント 1回戦】
2002年2月24日
セルゲイ・アルヒポフ 5R 2:00 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 マルセイユ大会
【スーパーファイト】
2002年1月25日
レイ・セフォー 4R終了時 TKO(タオル投入) K-1 SURVIVAL 2001 〜JAPAN GP 開幕戦〜
【スーパーファイト】
2001年6月24日
× ジェレル・ヴェネチアン 3R終了 判定1-2 K-1 WORLD GP 2001 世界地区予選 オランダ大会
【地区予選トーナメント 1回戦】
2001年2月4日
ピーター・ヴァルガ 1R 2:57 KO(跳び膝蹴り) IT'S SHOWTIME 4 2000年12月12日
× ジェレル・ヴェネチアン 5R 判定0-3 IT'S SHOWTIME 3 - Exclusive 2000年10月22日
アティラ・カラチ 1R KO Battle of Arnhem II 2000年9月3日
スタニスラブ・バチェバノフ 2R KO Thaiboxing - Thrill of the Year! 2000年5月20日
× セルゲイ・アルヒポフ 5R終了 判定 Night Club "Reaktor" 2000年3月13日
アイハン・オズチェリカ 2R TKO(レフェリーストップ) IT'S SHOWTIME 1 1999年10月24日
ピーター・フェルスキューレン 1R KO Battle of Arnhem I
【決勝】
1999年9月5日
フランク・オットー 1R TKO(レフェリーストップ) Battle of Arnhem I
【1回戦】
1999年9月5日
ラニ・ベルバーチ 2R KO 不明(オランダ)
【WPKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1999年6月6日
× アレクセイ・イグナショフ 3R終了 判定0-3 WPKL Muay Thai Fight Night
【WPKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1998年
× ロイド・ヴァン・ダム 3R終了 判定 KO POWER Tournament
【決勝】
1998年4月14日
ピーター・フェルスキューレン 3R終了 判定 KO POWER Tournament
【1回戦】
1998年4月14日
× Achille Roger 3R終了 判定 Kickboxing Tournament Prague 1997
【準決勝】
1997年10月
ヴァレンタイン・オーフレイム 2R TKO(タオル投入) 不明(オランダ) 1995年

獲得タイトル

  • WPKA世界ムエタイ スーパーヘビー級王座
  • K-1 WORLD GP 2003 in ラスベガス 世界最終予選 優勝
  • K-1 WORLD GP 2003 優勝
  • K-1 WORLD GP 2004 優勝
  • K-1 WORLD GP 2008 優勝

出演映画

  • 『拳 アルティメット・ファイター』(2006年)

脚注

  1. ^ 「ジェロム・レ・バンナ選手側からの判定に対する異議申し立てについての回答」 K-1公式ウェブサイト 2006年6月30日
  2. ^ "K-1 WGP 08 Post-Event Interview with Remy Bonjasky & Comments from Sadaharu Tanikawa" 2008年12月7日 SHERDOG (英語)
  3. ^ 【K-1】ボンヤスキー「試合の2日前に怪我して歩行も困難な状態だった」と告白GBR 2009年3月28日
  4. ^ 【K-1】10・2バダ・ハリが暴行容疑を晴らすため、ボンヤスキーが網膜はく離のため欠場 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月19日
  5. ^ ルッツ会長インタビュー「我々は『K-1後』を考えていますよ」 - boutreview・2011年1月26日
  6. ^ 【Glory02】復活レミーは苦しみ抜いて、シウバを延長判定で下す MMAPLANET 2012年10月7日
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外部リンク