下小田中

神奈川県川崎市中原区の町名

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下小田中(しもこだなか)は、神奈川県川崎市中原区町名。現行行政町名は下小田中一丁目から六丁目で、1990年平成2年)11月23日住居表示が施行されている[6]郵便番号は211-0041[3]

下小田中
下小田中。農地、住宅、駐車場が入り混じる。
下小田中。農地、住宅、駐車場が入り混じる。
下小田中の位置(神奈川県内)
下小田中
下小田中
下小田中の位置
北緯35度34分40.09秒 東経139度38分26.83秒 / 北緯35.5778028度 東経139.6407861度 / 35.5778028; 139.6407861
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県
市町村 川崎市
中原区
面積
 • 合計 1.247 km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 25,439人
 • 密度 20,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
211-0041[3]
市外局番 044 (川崎MA)[4]
ナンバープレート 川崎
※座標は中原区役所道路公園センター付近[5]

地理

中原区の南東部に位置し、全体が多摩川の作った沖積平野である[7]。北部を中原街道神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線)が横断し、南西端を江川が流れている。土地利用としては昭和60年代以降住宅が急増し、激減したものの農地と共存する環境となっている[8]。また、中原街道沿いには商店も軒を連ねている[9]

下小田中は北東端で南武線を概ねの境界として上小田中と、東端で今井西町木月大町と、南端で井田三舞町井田杉山町と、南西端で江川を挟んで高津区明津子母口と、西端で下新城新城中町と接する(特記のない町域は中原区所属)。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、下小田中2-6-6の地点で34万1000円/m2となっている。[10]

歴史

中世

中世以前の当地は、上小田中と一体の、「小田中郷」であった。小田中が上小田中と下小田中に分かれたのは、1540年前後(天文10年前後)だと考えられている[11]。また、世田谷吉良氏の家人であった内藤氏が当地に戸隠大明神を勧請している[12]

江戸時代

江戸時代の当地はもともと天領であったが、一部が旗本領になったり、天領と一部の旗本領が増上寺へ寄進されるなど、領主は変遷を繰り返した[7]。なお、内藤氏は当地で帰農し、名主として村政に携わっている[12]。村は、正保年間の『武蔵田園簿』で7084斗あまり[7]、『元禄郷帳』で746石4斗あまり[7]、『天保郷帳』で747石[7]、幕末の『旧高旧領取調帳』で749石あまり[13]というように推移していた。水利としては井田堀が使われ、江川へと排水されていたが、その江川は度々氾濫を起こしていた[14]

当地はもともと広漠な地で、子母口からの移住があったと残っているが、後に将軍鷹場に指定され[7]、家の建築などもままならない状況となっていた[15]。農閑期には草履素麺などが作られた[7]。また、元禄以降、中農層(石高5~9石)の解体が進み、貧富の差が拡大していった[16]

明治以降

明治維新後の当地は神奈川県に属し、行政上は下小田中村→中原村中原町川崎市と推移していった。東京近郊に位置するという地の利もあって、大正時代には野菜作りが盛んとなったが[13]昭和恐慌のあおりを受けて不況に陥り、1戸あたりの赤字が年当たり45円(米9俵相当)にまでなる事態となってしまった[17]。この状況への対策として、農作業の共同化[13]・低地に合ったキュウリ白ウリの栽培[17]などを行い、特に後者は品質が市場で認められるまでに至った[18]

また、1885年明治18年)には私立で時習黌という学校が設置され、橘樹郡はもちろんのこと、東京や横浜、遠くは福井県からの入学者もあり、1943年(昭和18年)の廃校まで、3000人余りの卒業生を輩出した[19]

戦後には食糧不足の結果当地に植えられたジャガイモからモザイク病が広がり、野菜作りに支障をきたすようになってしまった結果、花づくりに転換する農家が続出した[20]。当地は高度経済成長期にも開発に巻き込まれず、中原区で農業従事者のいちばん多い地域となっていた[13]が、交通の便も良いという立地もあり、副業として貸アパートや駐車場の経営も行われていた[9]。その後、1980年代から急激な宅地化が進行していった[13]。なお、1954年(昭和29年)から農業経営の効率化のために土地改良事業が行われ、状況の変化に振り回されつつも1973年(昭和48年)に完成した[21]。このときに作られた道路などは、昭和末期以降の市街化後も生活基盤として役立っている[22]

地名の由来

沿革

町域の新旧対照

下小田中が住居表示を施行する前のは、以下のようになっていた[27]。なお、特記のない字はその一部が現町丁に含まれている。また、下小田中字北島・字上東の各一部は1996年に住居表示が行われ、一部が上小田中に、一部が下小田中二丁目に編入されている[26]

現町丁 住居表示施行前の字・町丁
下小田中一丁目 下小田中字上耕地(全部)
下小田中二丁目 下小田中字北島・字上東
下小田中三丁目 下小田中字下東・字西村(どちらも全部)
下小田中四丁目 下小田中字中村(全部)
下小田中五丁目 下小田中字西ノ辺(全部)
下小田中六丁目 下小田中字小関(全部)

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
下小田中一丁目 2,262世帯 4,022人
下小田中二丁目 2,495世帯 5,253人
下小田中三丁目 2,368世帯 5,020人
下小田中四丁目 1,873世帯 4,065人
下小田中五丁目 1,068世帯 2,448人
下小田中六丁目 2,108世帯 4,631人
12,174世帯 25,439人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[28][29]

丁目 番地 小学校 中学校
下小田中一丁目 全域 川崎市立大戸小学校 川崎市立西中原中学校
下小田中二丁目 全域
下小田中三丁目 1~24番
31番
その他 川崎市立下小田中小学校
下小田中四丁目 全域 川崎市立大戸小学校
下小田中五丁目 1~14番
その他 川崎市立下小田中小学校
下小田中六丁目 11~33番
その他 川崎市立大戸小学校

交通

鉄道

当地の北東端をJR南武線が通過しており、武蔵中原駅が利用可能である。また、当地の地下を武蔵野南線が通過しているが、同線は貨物線であり、また当地から同線を利用可能な駅設備も存在しない。

道路

 
当地を通る中原街道

中原街道神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線)が北部を横断するほか、南武線に並行して南武沿線道路が走っている。

路線バス

 
「しもおだなか」となっているバス停

東急バス川崎市交通局の2事業者が中原街道経由のバスを運行しているほか、川崎鶴見臨港バスが武蔵中原駅と新川崎駅を結ぶバスを運行している。なお、川崎鶴見臨港バスが当地に「下小田中」というバス停を設置しているが、読みは「しもだなか」となっている[30]

施設

寺社

 
大戸神社
  • 大戸神社
  • 全龍寺
  • 安楽寺

教育施設

脚注

  1. ^ 町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2015年10月26日). 2018年2月15日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ Google Earthより
  6. ^ 川崎市:区別町名一覧表(中原区) 2014年8月17日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 川崎地名辞典(上)』、p.279。
  8. ^ 川崎の町名』、p.139。
  9. ^ a b 川崎 新中原誌』、p.223。
  10. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  11. ^ 川崎の町名』、p.138。
  12. ^ a b c d 川崎 新中原誌』、p.224。
  13. ^ a b c d e f g h i 川崎地名辞典(上)』、p.280。
  14. ^ 川崎地名辞典(上)』、p.282。
  15. ^ 川崎 新中原誌』、p.189。
  16. ^ 川崎 新中原誌』、pp.192-193。
  17. ^ a b 川崎 新中原誌』、p.54。
  18. ^ 川崎 新中原誌』、p.55。
  19. ^ 川崎 新中原誌』、pp.224-225。
  20. ^ 川崎 新中原誌』、p.222。
  21. ^ 川崎 新中原誌』、p.57。
  22. ^ 土地利用その1” (PDF). 川崎市都市計画マスタープラン 中原区構想. 川崎市. pp. 29-30 (2007年10月1日). 2012年6月8日閲覧。
  23. ^ 川崎 新中原誌』、p.192。
  24. ^ 川崎地名辞典(上)』、p.283。
  25. ^ 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』、p.460。
  26. ^ a b c 住居表示新旧対照案内図 No.66 上小田中1, 2, 3, 4, 5, 6, 7丁目 川崎市、1996年。
  27. ^ 住居表示新旧対照案内図 No.58 下小田中1, 2, 3, 4, 5, 6丁目 川崎市、1990年。
  28. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  29. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  30. ^ 「し」で始まる停留所名”. 臨港バスダイヤナビ. 川崎鶴見臨港バス. 2012年6月8日閲覧。

参考文献

  • 『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。 
  • 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。 
  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。 
  • 新中原誌刊行会『川崎 新中原誌』有隣堂、1977年。