岡田繁幸

日本の実業家

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岡田 繁幸(おかだ しげゆき、1950年3月19日 - 2021年3月19日)は、日本実業家クラブ法人株式会社サラブレッドクラブ・ラフィアン前代表取締役社長、有限会社コスモヴューファーム社長。北海道静内町(現・新ひだか町)出身。

来歴

実家は牧場を経営。日本大学獣医学部中退後、アメリカへ渡り[1]現地の牧場で馬産の修行を積んだ。クレイボーンファームでの修行中、仔馬時代のラフィアンの才能をいち早く見抜いたというエピソードから、その名を会社名に使用している。

2006年3月にサラブレッドクラブ・ラフィアンの代表を退いたことに伴い、個人としての馬主資格を再取得。ホッカイドウ競馬所属のインパーフェクトなどを所有し、コスモバルクで果たせなかったクラシック制覇を目指している。

2011年5月より、『BSイレブン競馬中継』の土曜日レギュラースタジオ解説者となる[2]

2021年3月19日、71歳の誕生日に北海道内の自宅にて死去(生没同日[3]。死因は不明。なお、個人名義で所有していた競走馬の馬主名義は、4月17日までにすべてビッグレッドファームに改められた[4]

人物

自身が設立したラフィアンターフマンクラブ(サラブレッドクラブ・ラフィアン)は一口馬主のシステムで競走馬を所有しており、それらの馬には牡馬には「マイネル」、牝馬には「マイネ」の冠名がつけられる。そのためマスコミや競馬ファンの間では「マイネル軍団の総帥」と呼ばれている。

東京優駿制覇が最大目標と公言し、1986年に自身の所有馬グランパズドリームが東京優駿において2着となって以後、毎年のようにビッグレッドファーム関係の馬を出走させ、特に2004年にはコスモバルクコスモサンビーム・マイネルデュプレ・マイネルマクロス・マイネルブルックと5頭の関係馬を出走させたが、最後まで制覇には至らなかった。

生産馬、セリ落札馬を合わせて数千頭を競馬場に送り込み長らく3歳クラシックレース未勝利であった(なお、岡田の死の2か月後に行われた優駿牝馬ユーバーレーベンが勝利している)。

親族

妻の岡田美佐子有限会社ラフィアンターフマンクラブの元代表、有限会社コスモス代表、有限会社ビッグレッドファーム代表である。以前は個人馬主として登録されており、勝負服の柄は赤、緑格子、赤袖、冠名は「コスモ」を使用していた(当初、繁幸がクラブ法人の代表を務めており、個人馬主になれなかったための措置)。馬主名義は2006年に有限会社ビッグレッドファームへと法人化された。

繁幸の後継としてサラブレッドクラブ・ラフィアンの代表を務めている岡田紘和は長男[5]岡田スタッドノルマンディーファームノルマンディーオーナーズクラブ代表の岡田牧雄は実弟[6]

おもな所有馬

岡田繁幸名義

岡田美佐子名義

美佐子の所有馬に関しても、繁幸が「オーナー代行」としてマスコミに対応する(例[7])。*印はのちに有限会社ビッグレッドファーム名義となった馬。

脚注

  1. ^ 馬と生きる日々 岡田 繁幸さん”. 馬文化ひだか. 日高振興局 (2004年). 2012年2月9日閲覧。
  2. ^ 岡田繁幸さんの出演”. 競馬中継担当プロデューサーの独り言 (2011年5月1日). 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ “マイネル軍団の“総帥” 岡田繁幸さんが71歳の誕生日に死去”. スポーツニッポン新聞社. (2021年3月19日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2021/03/19/kiji/20210319s00004000375000c.html 2021年3月19日閲覧。 
  4. ^ “岡田繁幸さん個人名義の競走馬、ビッグレッドファーム所有に変更”. スポーツニッポン新聞社. (2021年4月17日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2021/04/17/kiji/20210416s00004000732000c.html 2021年4月17日閲覧。 
  5. ^ 岡田代表、ゴール前で絶叫!生産馬で初GI”. ウマニティ (2009年5月4日). 2012年2月9日閲覧。
  6. ^ 瀬戸慎一郎. “【最強ヒストリー】アドマイヤムーン チャンピオンの意地とプライド(2)”. 競馬最強の法則. ベストセラーズ. 2012年2月9日閲覧。
  7. ^ 日経賞6着もバルクは北海道所属のまま次走へ”. TOPICS 2005. 地方競馬全国協会 (2005年3月28日). 2012年2月9日閲覧。