青山健煕

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青山 健熙(あおやま けんき[1]1939年 - )は、北朝鮮の元工作員。1998年に脱北した[1]。「青山健熙」は仮名であり、本名は非公開。

人物

大阪府生野区生まれの在日朝鮮人1960年帰国事業のため北朝鮮に渡った。

その後工作員となったが粛清の危険を感じ、1998年に家族を連れて中国に脱出し、1999年に北京駐在日本大使館のはからいで日本へ戻ってきた。

2003年、脱北者救援のため活動を続けるために、戦後の帰国事業で北朝鮮に渡り、その後に中国などに渡って日本に帰還した脱北者でつくる「日本脱北者同志会」を設立した[1]

2003年、読売新聞が、法務省東京入国管理局が北朝鮮による迫害を根拠に青山の難民認定申請を認める予定だという報道を行ったが[2]法務省は青山が中国など三重国籍であることなどを理由に入管の判断を覆し認定を行わなかった[3]。2006年、青山は、国に難民認定と損害賠償などを求める訴訟を東京地裁に起こした[4]

参考文献

  1. ^ a b c 亀井和真 (2003年2月6日). “日本帰還脱北者「同志会」を結成−−青山健煕さんが声明文”. 毎日新聞 
  2. ^ “北朝鮮元工作員、難民認定へ 入管「妥当」の報告 「国が迫害」根拠に”. 読売新聞. (2003年5月29日) 
  3. ^ “脱北者の難民非認定 入管判断覆す「中国国籍も保有」 法務省”. 産経新聞. (2003年11月12日) 
  4. ^ “脱北の元工作員が国賠提訴”. 産経新聞. (2006年11月23日)