フランク・リベリー

フランスのサッカー選手

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フランク・アンリ・ピエール・リベリー(Franck Henry Pierre Ribéry、フランス語発音: [fʁɑ̃k ʁi.be.ʁi], 1983年4月7日 - )は、フランスブローニュ=シュル=メール出身のサッカー選手USサレルニターナ1919所属。元フランス代表。ポジションはミッドフィルダーフォワード

フランク・リベリー
FCバイエルン・ミュンヘンでのリベリー(2017年)
名前
本名 フランク・アンリ・ピエール・リベリー
Franck Henry Pierre Ribéry[1]
愛称 スカーフェイス (Scarface)
ラテン文字 Franck Ribéry
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1983-04-07) 1983年4月7日(41歳)
出身地 ブローニュ=シュル=メール
身長 170cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 USサレルニターナ1919
ポジション MF (LMF) / FW (WG)
利き足 右足
ユース
1989-1996 フランスの旗 コンティ・ブローニュ
1996-1999 フランスの旗 リール
1999-2000 フランスの旗 USブローニュ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2002 フランスの旗 USブローニュ 28 (6)
2002-2003 フランスの旗 オリンピック・アレス 19 (1)
2003-2004 フランスの旗 スタッド・ブレスト29 35 (3)
2004-2005 フランスの旗 FCメス 20 (1)
2005 トルコの旗 ガラタサライ 14 (0)
2005-2007 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ 60 (11)
2007-2019 ドイツの旗 FCバイエルン・ミュンヘン 273 (86)
2019-2021 イタリアの旗 ACFフィオレンティーナ 50 (8)
2021- イタリアの旗 USサレルニターナ1919
代表歴2
2004-2006  フランス U-21 13 (2)
2006-2014 フランスの旗 フランス 81 (16)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年7月2日現在。
2. 2021年7月2日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴

フランス時代

13歳でLOSCリール・メトロポールの下部組織に入団し、下部組織のブルーノ・トマソン監督に高い評価を受けたが、学業成績不振により16歳の時に家に送り返された[2]。2001年に地元のUSブローニュからデビューし、2002年にはオランピック・アレスに加入するも、クラブの財政破綻によりスタッド・ブレスト29に移籍した。この頃にはEAギャンガンのトライアルを受けて不合格になった経験がある。2004年にリーグ・アン(1部)のFCメスに移籍し、月間MVPを獲得する活躍を見せたが、首脳陣と対立したために2005年1月にはガラタサライSKに移籍した。

2005年夏にオリンピック・マルセイユに移籍し、2005-06シーズンにはリーグ最優秀若手選手賞を受賞した。

バイエルン

2007年6月6日、4年契約でFCバイエルン・ミュンヘンに移籍した。通訳役を買って出たDFダニエル・ファン・ブイテンなどの助けもあり[2]、すぐにチームになじんだ。2007-08シーズンはレギュラーとしてリーグ戦で11ゴールを挙げ、ブンデスリーガドイツカップの2冠を達成し、リーグ最優秀選手に選ばれた。

2009-10シーズンは新加入のアリエン・ロッベンとともに両サイドから攻撃を牽引し、バイエルンの2シーズンぶりのブンデスリーガ優勝に貢献した。チャンピオンズリーグでもチームの決勝進出に貢献したが、準決勝ファーストレグのオリンピック・リヨン戦でリサンドロ・ロペスのすねを踏みつけ1発退場となった。結局バイエルンは決勝に進んだものの、リベリーはこのファールにより3試合の出場停止が課され、決勝に出場することができなかった[3]。シーズン終了後、バイエルン・ミュンヘンとの契約を2015年まで延長した。

2014年12月6日に行われたバイエル・レバークーゼン戦で、マチュー・デルピエールが保持していたブンデスリーガのフランス人最多出場記録を更新した[4]。また同試合でバイエルンでの100ゴールを達成した[5]

2018-19シーズンをもって長年プレーしたバイエルン・ミュンヘンを退団する事が発表された。同シーズンに優勝し、ブンデスリーガの最多優勝記録を作ると共にホームでの最終ゲームでは惜別のゴールを決めた[6]。また、優勝したポカール決勝のRBライプツィヒ戦では後半終了間際からポカール決勝最多出場者となる8回目の出場を果たした。

フィオレンティーナ

2019年8月21日、ACFフィオレンティーナへの加入が発表された[7]。9月22日のアタランタ戦で移籍後初ゴールを決め[8]、第6節のACミラン戦でもゴールを決め、チームの勝利に貢献し、2019年9月のセリエA月間MVPに選出された[9]。しかし11月30日セリエA第14節レッチェ戦で悪質なタックルを受け右足首のじん帯を負傷、長期離脱が決定したが、2020年6月23日のブレシア戦で復帰を果たした[10]。2020-21シーズン、鋭いドリブルからのチャンスメークなどでチームに貢献、年間30試合で2ゴール7つのアシストも決めたが、2021年6月30日に退団が発表された[11]

サレルニターナ

2021年9月6日、USサレルニターナ1919と契約した[12]

代表経歴

 
フランス代表でのリベリー(2008年)

ユース代表の経験は豊富で、2006年5月27日のメキシコ戦でフランス代表デビューした。2006年にはドイツワールドカップフランス代表メンバーに選ばれ、グループリーグでは周りと噛み合わない場面もあったものの、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦では、逆転への足掛かりとなる同点ゴールを決めるなど、徐々に調子を上げ、フランス代表の準優勝に貢献した。

UEFA EURO 2008では不振のフランス代表にあって、中心選手として孤軍奮闘したが、フランスの決勝トーナメント進出を賭けたグループリーグ最終戦の対イタリア戦の前半9分にジャンルカ・ザンブロッタと接触した際に、負傷退場した。その後のフランスは攻撃の要であったリベリーの穴を埋めることができず、エリック・アビダルの退場処分によって人数が少なくなったこともあり、なすすべなく敗北した。フランスはわずか1得点しか挙げられず、1勝もできずに大会を去ることとなった。

2010 FIFAワールドカップではチームの中心選手として臨んだものの、主将のパトリス・エヴラらとともに練習ボイコットの首謀者とされたり[13]チームメイトのヨアン・グルキュフをいじめたと報じられるなど[13][14]、不振に終わったフランス代表の戦犯の1人とされ、大会終了後にはフランスサッカー連盟から3試合の出場停止処分が課された[15]。その後2011年3月に、エヴラとともにW杯後初めて代表に招集されたが[15]、復帰後最初のホームでの試合となった3月29日のクロアチア戦ではサポーターから大きなブーイングを受けた[13]2014 FIFAワールドカップは、腰痛のため欠場した。

人物

  • ドーバー海峡に面した港町ブローニュ=シュル=メールで最も貧しいとされるシュマン・ヴェール地域生まれ。2歳の時に父親の運転する車で事故に遭い、路上に投げ出されたという経験を持つ。この時に額から右頬にかけてできた傷は今も深く残っている[16][17]。整形外科技術の向上により縫合痕を消す事も可能だが本人は「(父との絆の証であり)慣れ親しんでいる」として整形の意思は無い。オランピック・アレスを離れ、スタッド・ブレスト29に加わるまでの間に建設作業員である父と現場で働いていた[18][19]2005年ムスリムの夫人と結婚し、自身もイスラム教に改宗している[20][21]。その夫人とは1男2女を儲けている。優勝セレモニー時などにおけるシャンパンファイトでは宗派上アルコール厳禁なために、チームメイトがリベリーに浴びせようと追うも、顔を強張らせ全速力で逃げる様子が撮られている。
  • 陽気で外交的な性格であり、ドイツ移住後もすぐにチームやファンに溶け込んだ。いたずら好きであり、オリヴァー・カーンにバケツ一杯の水をかけたり、チームバスを運転して道路標識にぶつけたことがある。
  • 2020年7月6日、自宅が空き巣被害に遭ったと報じられた[24][25]

個人成績

クラブ

2019年5月18日現在
クラブ シーズン リーグ 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
USブローニュ 2000-01 ナショナル 4 1 0 0 - - - - 4 1
2001-02 24 5 1 0 - - - - 25 5
合計 28 6 1 0 - - - - 29 6
オランピック・アレス 2002-03 ナショナル 19 1 0 0 - - - - 19 1
合計 19 1 0 0 - - - - 19 1
ブレスト 2003-04 ナショナル 35 3 2 1 - - - - 37 4
合計 35 3 2 1 - - - - 37 4
FCメス 2004-05 リーグ・アン 10 20 2 2 0 - - - - 22 1
合計 20 2 2 0 - - - - 22 2
ガラタサライ 2004-05 スュペル・リグ 28 14 0 3 1 - - - - 17 1
合計 14 0 3 1 - - - - 17 1
マルセイユ 2005-06 リーグ・アン 7 35 6 1 0 12 3 5 3 53 12
2006-07 25 5 1 0 4 0 7 1 37 6
合計 60 11 2 0 16 3 12 4 91 19
バイエルン・ミュンヘン 2007-08 ブンデスリーガ 7 28 11 5 2 11 3 2 3 46 19
2008-09 25 9 3 1 8 4 - - 36 14
2009-10 19 4 4 2 7 1 - - 30 7
2010-11 25 7 3 2 4 2 0 0 32 11
2011-12 32 12 4 2 14 3 - - 50 15
2012-13 27 10 3 0 12 1 1 0 43 11
2013-14 22 10 4 1 10 3 3 2 39 16
2014-15 15 5 2 1 6 3 0 0 23 9
2015-16 13 2 2 0 7 0 0 0 22 2
2016-17 22 5 3 0 6 0 1 0 32 5
2017-18 20 5 5 1 8 0 1 0 34 6
2018-19 25 6 5 0 7 1 1 0 38 7
合計 273 86 43 12 100 21 9 5 425 124
キャリア通算 449 109 53 14 116 24 21 9 639 156

代表での成績


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
2006 15 1
2007 9 1
2008 9 3
2009 8 2
2010 7 0
2011 8 0
2012 14 4
2013 10 5
2014 1 0
通算 81 16

代表での得点

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2006年6月27日  ハノーファーAWDアレーナ   スペイン 1–1 3–1 2006 FIFAワールドカップ
2 2007年6月2日  サン=ドニスタッド・ド・フランス   ウクライナ 1–0 2–0 UEFA EURO 2008予選
3 2008年3月26日   イングランド 1–0 1–0 親善試合
4 2008年6月3日   コロンビア 1–0 1–0
5 2008年10月11日  コンスタンツァ、スタディオヌル・ファルル   ルーマニア 2–1 2–2 2010 FIFAワールドカップ予選
6 2009年3月28日  カウナス、ダリウス・アンド・ギレナス・スタジアム   リトアニア 0–1 0–1
7 2009年4月1日  サン=ドニ、スタッド・ド・フランス   リトアニア 1–0 1–0
8 2012年5月27日  ヴァランシエンヌ、スタッド・ドゥ・エノー   アイスランド 2–2 3–2 親善試合
9 2012年5月31日  ランス、スタッド・オーギュスト・ドローヌ   セルビア 1–0 2–0
10 2012年6月5日  ル・マン、MMアレナ   エストニア 1–0 4–0
11 2012年9月11日  サン=ドニ、スタッド・ド・フランス   ベラルーシ 3–1 3–1 2014 FIFAワールドカップ予選
12 2013年3月22日   ジョージア 3–0 3–1
13 2013年9月10日  ホメリ、セントラル・スタジアム   ベラルーシ 1–1 2–4
14 2–2
15 2013年10月11日  パリパルク・デ・プランス   オーストラリア 1–0 6–0 親善試合
16 2013年10月15日  サン=ドニ、スタッド・ド・フランス   フィンランド 1–0 3–0 2014 FIFAワールドカップ予選

タイトル

クラブ

ガラタサライ
  • トルコ・カップ:1回 (2004-05)
マルセイユ
バイエルン・ミュンヘン

個人

  • フランス年間最優秀選手:2回 (2007, 2008)
  • ドイツ年間最優秀選手:1回 (2008)
  • UEFA年間ベストイレヴン:1回 (2008)
  • UEFA欧州最優秀選手賞:1回 (2013)
  • FIFAクラブワールドカップ ゴールデンボール賞:1回 (2013)
  • セリエA月間最優秀選手賞 :(2019年9月)

脚注

出典

  1. ^ “FIFA Club World Cup Morocco 2013: List of Players” (PDF). FIFA. (2013年12月7日). p. 5. http://www.fifadata.com/document/FCWC/2013/pdf/FCWC_2013_SquadLists.pdf 2013年12月7日閲覧。 
  2. ^ a b 「栄光は挫折とともに」footballista、ソルメディア、2009年2月4日号、4-6頁
  3. ^ リベリ、CL決勝出場停止Goal.com 2010年4月28日
  4. ^ 首位バイエルンは5連勝、フランス人最多出場記録更新のリベリが決勝点ゲキサカ 2014年12月7日
  5. ^ Rosner, Maik (2014年12月6日). “Erstaunlicher Ecke-Tor-Sieg” (German). Süddeutsche Zeitung. http://www.sueddeutsche.de/sport/fc-bayern-gegen-leverkusen-erstaunlicher-ecke-tor-sieg-1.2255518 2014年12月6日閲覧。 
  6. ^ 何度も見ちゃう!リベリ、最終戦でやった「今季最高の超ゴール」がこれ”. Qoly (2019年5月21日). 2020年7月31日閲覧。
  7. ^ リベリー、新天地はイタリアに決定!フィオレンティーナがフリーで獲得 2019年8月21日 サッカーキング
  8. ^ Fiorentina, Ribery's goal and the record”. www.calciomercato.com (2019年9月22日). 2019年9月23日閲覧。
  9. ^ A FRANCK RIBERY IL PREMIO MVP DEL MESE DI SETTEMBRE” (イタリア語). www.legaseriea.it (2019年10月5日). 2019年10月6日閲覧。
  10. ^ リベリーが205日ぶりの復帰!”. Shooty (2020年6月23日). 2020年7月31日閲覧。
  11. ^ 元フランス代表MFフランク・リベリのフィオレンティーナ退団が決定、クラブが公式発表”. 超ワールドサッカー (2021年7月1日). 2021年7月2日閲覧。
  12. ^ サレルニターナがリベリの加入を正式発表!”. 超ワールドサッカー (2021年9月6日). 2021年9月7日閲覧。
  13. ^ a b c 代表復帰のリベリに仏サポーターから大ブーイングの洗礼 Livedoorスポーツ2011年3月30日
  14. ^ “貴公子”グルキュフ、リベリとの関係を問われ激怒Livedoorスポーツ 2010年9月13日
  15. ^ a b リベリ&エブラ、W杯後初の代表入り Goal.com 2011年3月18日
  16. ^ Franck Ribéry's career timeline guardian.co.uk, 2009年5月5日掲載、2012年10月6日閲覧。
  17. ^ The riddle of Franck Ribéry independent.co.uk, 2012年5月19日掲載、2012年10月6日閲覧。
  18. ^ “Franck Ribéry: From the street to superstar”. Bundesliga.de. http://www.bundesliga.de/en/liga/news/2009/index.php?f=143247.php 2010年5月26日閲覧。 
  19. ^ [1] guardian.co.uk, 2013年9月28日掲載、2013年9月20日閲覧。
  20. ^ 'It hurt my family, above all those close to me': French football star Franck Ribery speaks of his affair with underage prostitute dailymail.co.uk, 2010年5月3日掲載、2012年10月6日閲覧。
  21. ^ Franck Ribery: Islam Sumber Kekuatanku (インドネシア語) republika.co.id, 2012年5月13日掲載、2012年10月6日閲覧。
  22. ^ リベリ:「夢はマドリーかバルサでプレーすること」 Goal.com、2010年5月4日
  23. ^ The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。
  24. ^ 「ズボンをおろされ…」リベリ夫妻が強盗被害に激怒し退団を示唆!「下着のタンスまで荒された」”. www.soccerdigestweb.com. サッカーダイジェストWEB (2020年7月7日). 2020年7月31日閲覧。
  25. ^ リベリーがパルマ戦遠征中に空き巣被害…SNSで家族の無事は報告”. サッカーキング (2020年7月6日). 2020年7月31日閲覧。

外部リンク