風見章子

日本の女優(1921−2016)

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風見 章子(かざみ あきこ、1921年7月23日 - 2016年9月28日[1])は、日本女優群馬県富岡市出身[2]。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社

かざみ あきこ
風見 章子
風見 章子
1940年の『映画之友』皇軍慰問絵葉書
本名 中村 フサ(なかむら - )
生年月日 (1921-07-23) 1921年7月23日
没年月日 (2016-09-28) 2016年9月28日(95歳没)
出生地 日本の旗 日本 群馬県北甘楽郡富岡町七日市(現在の同県富岡市
死没地 日本の旗 日本 東京都福生市
身長 155cm
職業 女優
ジャンル 演劇劇映画時代劇現代劇トーキー)、テレビドラマ
活動期間 1937年 - 2016年
配偶者 既婚(死別)
事務所 放映新社
公式サイト プロフィール
主な作品
テレビドラマ
おやじ太鼓
刑事くん
おもちゃ屋ケンちゃん
白鳥麗子でございます!』<松雪版>
八百八町夢日記
映画

また逢う日まで
めし
飢餓海峡
赤ひげ
忘れられぬ人々
 
受賞
第5回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞(1995年)
第22回ナント三大陸映画祭 主演女優賞 『忘れられぬ人々』(2000年)
第25回山路ふみ子映画賞 映画功労賞 『忘れられぬ人々』(2001年)
第61回毎日映画コンクール 特別賞(2006年)
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来歴・人物

1936年に芸事が好きな父の勧めでエノケン一座に入団。

1937年に日活のオーディションに合格[2]。1939年に公開された内田吐夢の監督映画『』では主役に抜擢された[3]

1940年代後半からは松竹新東宝東映などの映画にも出演。

1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。

2000年には映画『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭の主演女優賞を受賞。

2010年8月4日には東京・池袋の新文芸坐で開催された『映画監督内田吐夢没後40年回顧 「命一コマ」 巨匠・内田吐夢の全貌』のトークショーに出演。

90歳を超えても現役で活動し、1960年代から1970年代にかけては「日本のお母さん」と認知されていた[4]

趣味は絵手紙[4]。結婚していたが夫と死別し、8歳年下の妹とマンションに同居[3]息子はアメリカで暮らし、ひ孫もいる[3]

2016年9月28日、老衰の為逝去。95歳没[1]

受賞

出演

映画

テレビドラマ

演劇・ビデオ・ラジオ・CM

演劇
ビデオ
  • ダウンタウン・ガールズ(1991年)
  • 超少女マリア(1991年) - おトキ
  • 超少女マリア 最期の戦い(1991年) - おトキ
  • ウルトラセブン 模造された男(1999年) - カネミツ・タツ
バラエティ
  • SMAP×SMAPコント「ご長寿早押しバンザイ」(フジテレビ) - 回答者。
ラジオ
CM

書籍

著書
  • 「風見章子の思い出を、あげて、もらって」(栄光出版社、2009年8月) ISBN 978-4754101169
関連書籍
  • 『日本映画スチール集 日活多摩川篇』(石割平/円尾敏郎・編、ワイズ出版、2001年)

脚注

  1. ^ a b “風見章子さんが死去、95歳”. スポーツ報知. (2016年10月6日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161006-OHT1T50173.html 2016年10月6日閲覧。 
  2. ^ a b 90歳の現役女優、風見章子さん2」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 
  3. ^ a b c 90歳の現役女優、風見章子さん3」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 
  4. ^ a b 90歳の現役女優、風見章子さん1」『【あの人は今こうしている】』、ゲンダイネット、2012年7月25日、 オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ、2014年3月7日閲覧 

外部リンク