林家木久蔵 (2代目)

日本の落語家、二代目林家木久蔵

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二代 林家 木久蔵(はやしや きくぞう、1975年9月29日 - )は、日本の落語家東京都出身。本名:豊田 宏寿(とよた ひろとし)。落語協会トヨタアート所属。

二代 林家はやしや 木久きくぞう
二代 林家(はやしや) 木久(きく)蔵(ぞう)
本名 豊田とよた 宏寿ひろとし
生年月日 (1975-09-29) 1975年9月29日(48歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
師匠 林家木久扇
名跡 1. 林家きくお
(1996年 - 2007年)
2. 二代林家木久蔵
(2007年 - )
出囃子
家族 父:林家木久扇
所属 落語協会
トヨタアート(マネジメント)
公式サイト 林家木久蔵

来歴・人物

玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒。血液型A型、身長179cm、趣味は熱帯魚、特技は日本舞踊南京玉すだれ林家木久扇の実子且つ弟子。前名の「きくお」は、父・木久扇の初名である「桂木久男」から取っている。本名の宏寿は、当時木久扇と付き合いがあった算命学の一門の師匠から、「ムネトシ」か「ヒロトシ」から付けるように云われたためで、「ムネトシ」では殿様みたいで名前負けしそうという木久扇の判断から、「宏寿」と名付けられた。

息子は『林家コタ』の高座名で2016年5月に8歳で高座デビューを果たした(注:落語家として正式に入門した訳ではない)[1]

2代目林家三平と「プリンス二人会」を結成したほか、父親同士が笑点メンバーで元彦六門下の兄弟弟子三遊亭好楽と息子の王楽親子と共にダブル親子会を行うこともある。

二世落語家同士でもある林家三平桂春蝶月亭八光、王楽、木久蔵で『坊ちゃん5』を結成し、2006年1月には四派の若手同士で『平成噺し座』を旗揚げし、メンバーとなった。

2007年9月に父から名前を譲られ(木久扇曰く「生前贈与」)、2代目林家木久蔵を襲名し[注釈 1]、真打昇進を果たした。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。

現在は古典落語を中心に演じ、父・木久扇が師匠彦六をモチーフにした『彦六伝』を持ちネタにしている一方、自身も父をモチーフにした『木久蔵伝』を作成。2006年9月には弟弟子・ひろ木との二人会で落語を披露した。

当初、笑点に出演している父を見て「これなら自分でもなれる」と思い、落語家を志した[注釈 2]。しかし2000年にガンを患いながらも高座に立つ父の姿を見て考えを改め、春風亭小朝の下で落語を学びなおした。

『笑点』の2021年7月4日放送分の『大喜利』にて、父の木久扇が同年5月に自宅にて転倒し右大腿骨を骨折し療養に入ったため休演したことに伴い、木久扇の推薦でピンチヒッターとして出演。父の着ている黄色の色紋付を借り、定席に座って大喜利に参加した[2]

笑点Jr.メンバーとして

大喜利では、父林家木久扇に負けず劣らずの与太郎キャラを演ずる。黄色の高座着、席順が左から3番目というのも木久扇と同じである。

次回出演権を剥奪された翌週は、彼が座る3番席に春風亭百栄が座ることが多い。最近では兄弟子の林家彦いちも座ることがある。

笑点Jr.』が2011年3月13日をもって放送終了となったことに伴い、出演権を剥奪された2011年1月9日放送分が最後の出演となった。

芸歴

  • 1995年10月、父親でもある初代林家木久蔵(現:林家木久扇)に入門。
  • 1996年2月、前座。林家きくおを名乗る。
  • 1999年9月、二ツ目に昇進。
  • 2007年9月、真打昇進。2代目林家木久蔵襲名。

出演

CM出演

  • JARO日本広告審査機構(2007年9月~、父・初代木久扇と共演)
    • 正式襲名を待たずに、CMは既に木久扇・木久蔵名義で放送されている。

著書

共著

いずれも父・林家木久扇との共著。

  • 木久蔵流がんばらない子育て(教育評論社、2007年5月)
  • 親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方(写真:ブルース・オズボーン岩崎書店、2008年3月)
  • 林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席入門(全4巻)(こどもくらぶ編、彩流社、2015年3月)
  • 林家木久扇一門本 〜天下御免のお弟子たち〜 (木久扇と弟子たち著、秀和システム、2022年1月) ISBN 978-4798066066

関連書籍

脚注

注釈

  1. ^ これに伴い、父の初代木久蔵も「木久扇」に改名。
  2. ^ ちなみに、木久扇に息子の自身が入門するに当たり、母(木久扇の妻)に「『花田勝治兄弟』あるいは『花田満、花田勝光司兄弟の親子』のように、弟子入りすれば、兄弟でも肉親でもないといわれるのではないか」と心配して相談したというが、「角界とは違い、国技というわけではないから、落語の師匠・弟子の関係は、そんなに型にはまったものではない」と返されたことで、父・木久扇に入門することになったとのこと。木久扇自身は、2代目木久蔵が落語家になりたいと聞いたとき、別の師匠に弟子入りさせて、自分は相談役のような立場でアドバイスすることを考えていたと語っている。

出典

関連項目

外部リンク