磐井虎二郎
日本の陸軍軍人 (1889-1981)
磐井 虎二郎(いわい とらじろう、1889年(明治22年)1月9日 - 1981年(昭和56年)11月16日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
磐井 虎二郎 | |
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生誕 |
1889年1月9日![]() |
死没 | 1981年11月16日(92歳没) |
所属組織 |
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軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 |
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経歴・人物
宮城県出身[1]。1910年(明治43年)陸軍士官学校第22期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][2]。陸軍歩兵大佐、歩兵第5連隊留守隊長、歩兵第25連隊長を経て、1939年(昭和14年)陸軍少将・第21歩兵団長(第12軍、第21師団)となり、支那事変に出征[3][4]。中原会戦では黄河の濁流を渡り善戦する[3]。2年後の1941年(昭和16年)には独立混成第6旅団長(北支那方面軍、第12軍)となり、山東省南部を警備地区とし、第二次魯南・魯中作戦に参戦した[3]。ついで第2歩兵団長、東部軍司令部附を経て、1944年(昭和19年)1月より朝鮮軍隷下の第42警備司令官(留守第20師団)を務め、同年7月には陸軍中将・第108師団長(関東軍、第3方面軍)に任官し、錦州にて終戦を迎えた[3]。
栄典
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。