渋沢雅英

日本の著述家、教育者

これはこのページの過去の版です。大河歴史 (会話 | 投稿記録) による 2022年7月23日 (土) 23:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎来歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

渋沢 雅英(しぶさわ まさひで、旧字体:澁澤 雅英1925年大正14年〉2月27日 - )は、渋沢家3代当主(1963年10月25日-)、渋沢栄一記念財団相談役(1997年から2020年までは理事長を務めていた)、一般財団法人MRAハウス理事(理事長も務めていた事もある)。 父は渋沢敬三。祖父は渋沢篤二。曾祖父は渋沢栄一。(いずれも父方)。母方の曾祖父に岩崎弥太郎がいる。微生物学者の服部勉は義弟(妹婿)。

しぶさわ まさひで

渋沢 雅英
(澁澤 雅英)
生誕 (1925-02-27) 1925年2月27日(99歳)
大日本帝国東京府東京市 (現・東京都)
職業 軍人(陸軍少尉)、平和活動家、教育者
配偶者 渋沢房子(2017年に死別)
子供 渋沢田鶴子[1]
渋沢雅明(2016年に死去)[1]
父・渋沢敬三
母・渋沢登喜子
テンプレートを表示

来歴

1925年2月27日渋沢栄一嫡孫・渋沢敬三の長男としてイギリスロンドンで生まれる。名付け親は曾祖父の栄一であった。幼い頃は渋沢家の嫡男として曾祖父、祖父の愛情を受けて育ったという。雅英誕生直後に敬三一家は日本に帰国。東京大学農学部卒業後は様々な仕事に就く。1951年に房子夫人と結婚[1]。(2017年に死別)。1963年に父の渋沢敬三が死去した為、38歳で渋沢家三代当主となる。1994年からは曾祖父・栄一が創立した東京女学館12代館長も務めていた。(2003年まで)。97歳と高齢となった現在も渋沢家当主として様々な活動をしている。

2022年現在において生前の栄一と実際に面識のある数少ない存命の子孫の一人でもある(雅英の他には栄一の孫・鮫島純子も2022年時点では存命している。)。2021年放送の栄一を主人公としたNHK大河ドラマ青天を衝け」では12月26日放送の最終回では番組最後のミニ企画「青天を衝け紀行」に登場し、生前の栄一について述懐している他、自身の誕生場面や幼少期時代も作中で描かれている。

略歴

人物

武蔵高等学校 (旧制)前橋陸軍予備士官学校陸軍少尉を経て東京大学農学部卒業、東京食品ロンドン駐在員を一年で辞し、米国キリスト教系の道徳再武装(MRA)運動に専従、帰国後MRAアジアセンターの語学学校経営など同団体の活動を続け、1994年から2003年には、曾祖父・渋沢栄一が設立に関わった東京女学館の第12代館長に就任。

著述家として

雅英は渋沢栄一や父・渋沢敬三やその他家族に関する著述をした本を数多く出版している。菓子浩によると雅英が1970年に出版した『太平洋にかける橋 渋沢栄一の生涯』は大河ドラマ・「青天を衝け」の参考資料として用いられたという。(菓子は青天を衝けの制作統括)。その他にも太平洋情勢に関する本も出版している。

教育者・雅英

渋沢栄一と面識のある数少ない存命人物であるため「渋沢栄一の語り部」という印象が強い雅英ではあるが、実は教育者としての一面も持つ。 アラスカ大学、ポートランド州立大学などで教鞭を取った他、東京女学館で館長を務め、東京女学館大学設立にも尽力した。また生徒の悩みにも親身に相談に乗る教育者だという。

家族

  • 曾祖父・栄一1840年 - 1931年、子爵、第一銀行頭取、東京市養育院長) - 住所は東京市深川区福住町から、日本橋区兜町、東京府北豊島郡滝野川町西ケ原
  • 曾祖母・千代(1841年 - 1882年、尾高惇忠の妹、栄一の従妹)- 栄一同郷幼馴染み、祖父・篤二の実母。
  • 祖母・敦子1880年 - 1943年伯爵橋本実梁の娘で、橋本実頴の妹) - 夫篤二の廃嫡が正式に決まった直後に敬三ら3人の子供を連れて三田綱町の屋敷を出て、数年間にわたり本郷西方町、高輪車町、駒込神明町などの小さな借家を転々とする。
  • 祖父・篤二
    明治5年(1872年)生 - 1932年(昭和7年)10月没。
    栄一・千代夫妻の長男。10歳で母・千代を亡くし、父・栄一が再婚したため、姉の穂積歌子陳重夫婦に養育される。1886年、14歳で龍門社社長となり『龍門雑誌』刊行開始。1892年、20歳で第五高等学校中退、栄一に謹慎を命じられたのち、1895年、23歳で結婚、翌1896年、敬三誕生。翌1897年、栄一により渋沢家直轄事業として澁澤倉庫部が設立され、倉庫部長に就任(のち取締役会長)。1899年、義兄穂積陳重の渡欧に随行、各国を歴訪し帰国後、第一銀行に勤務<。趣味多く、写真撮影、常磐津都都逸なども玄人はだしの才人で、1911年には新聞に新橋芸者・玉蝶(本名・岩本イト、1887年 - 1955年)との仲が報じられる。敬三が18歳となった1913年に栄一の決定により篤二を廃嫡とし、篤二長男の敬三を嫡孫とした。
  • 父・敬三1896年 - 1963年子爵、渋沢同族社長。澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、日本銀行総裁、大蔵大臣) - 東京市深川福住町生まれ。
  • 叔父・信雄1898年 - 1967年、福本書院、独逸書輸入書籍商、澁澤倉庫監査役)- 東京市深川福住町生まれ。
  • 叔父・智雄1901年 - 1947年、澁澤倉庫常務取締役)- 東京市深川福住町生まれ。
  • 妻・房子 (1929年-2017年)。1951年に雅英と結婚。
  • 長女・田鶴子 (1952年- )[2]
  • 長男・雅明 (1954年-2016年 )[2]

著書

共編著

  • 『東南アジアの日本批判 <シンポジウム>アジア共同体を考える』斎藤志郎共編. サイマル出版会, 1974
  • 『太平洋アジア 危険と希望』ブライアン・ブリジェス, ザカリア・ハジ・アハマド共著, 渋沢雅英 訳. サイマル出版会, 1991.9
  • 渋沢登喜子『遥かな国遠い昔 遺稿』編著. 創栄出版, 1994.4
  • 『シヴィル・ソサエティ論 新しい国づくりを目指して 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,小林良彰共編. 慶應義塾大学出版会, 2005.6
  • 『政治改革とシヴィル・ソサエティ 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,河野武司共編. 慶應義塾大学出版会, 2006.6
  • 『東アジアにおけるシヴィル・ソサエティの役割 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,小此木政夫,国分良成共編. 慶應義塾大学出版会, 2007.6
  • 『日本の世界貢献とシヴィル・ソサエティ 慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座』山本正,添谷芳秀共編. 慶應義塾大学出版会, 2008.7
  • 『地球的課題と個人の役割 シヴィル・ソサエティ論総括編 (慶應義塾大学法学部渋沢栄一記念財団寄附講座)』山本正,国分良成,細谷雄一,西野純也共編. 慶應義塾大学出版会, 2009.7

翻訳

  • タウフィック・アブドゥラ編『真実のインドネシア 建国の指導者たち』土屋健治共訳. サイマル出版会, 1979
  • チャールス・E.モリソン『東南アジア五つの国 その生存戦略』サイマル出版会, 1981.7

登場作品

脚注

  1. ^ a b c 父・渋沢敬三 〔6〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ
  2. ^ a b 父・渋沢敬三 〔6〕 / 渋沢雅英 渋沢敬三アーカイブ