アクシオン
アクシオン(英: Axion)、あるいはアキシオンとは、素粒子物理学において、標準模型の未解決問題のひとつである強いCP問題を解決する仮説上で、その存在が期待されている未発見の素粒子である。冷たい暗黒物質の候補の一つでもある。
アクシオン | |
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組成 | 素粒子(想定) |
相互作用 |
電磁相互作用(想定) 重力相互作用(想定) |
発見 | 未発見 |
記号 | A0, a, θ |
質量 | 10−5 から 1 eV/c2 (想定)[1] |
電荷 | 0 |
スピン | 0 |
概要
編集標準模型にはCP対称性を破る位相パラメーターが2つ存在する。1つはCKM行列の位相であり、もうひとつは量子色力学の位相である。CKM行列の位相はベル実験を始めとするB中間子崩壊の精密測定によって測られており、CKM行列はCP対称性を大きく破っていることが知られている。一方、量子色力学におけるCP対称性の破れは中性子の電気双極子などを通して観測できるが、量子色力学では極めて高い精度でCP対称性が成立していることが分かってきた。この両者の違いは標準模型の破綻を必ずしも意味しないが、何らかの説明を必要とする不自然なものであると考えられた。この問題は強いCP問題と呼ばれている[注釈 1]。
アクシオンは強いCP問題の解決策の1つとして提唱された未発見の粒子である[2]。アクシオンはペッチェイ・クイン対称性の自発的対称性の破れに伴って出現する、質量を持った(擬)南部・ゴールドストーン粒子である[3]。ペッチェイ・クイン対称性は量子色力学に対してアノマリーを持ち、この性質によりアクシオンは量子色力学の位相を動的に吸収することが可能となっている。
歴史
編集強いCP問題
編集ヘーラルト・トホーフトによって示されたように[4]、標準模型の強い相互作用である量子色力学(QCD)は非自明な真空構造[注釈 2]を持っており、荷電共役とパリティの対称性の破れを原理的に許容する。荷電共役とパリティはCPと総称される。弱い相互作用に伴う、有効で周期的なCP違反項Θは標準模型の入力値として現れる。Θの値は理論では予測されず、測定によるものでなければならない。ところが、QCDに由来したCP対称性を破る相互作用は、大きい中性子電気双極子モーメント(EDM、en:Neutron electric dipole moment)を引き起こす。EDMは実験で観測されていないため、実験結果はQCDによるCP対称性の破れを極めて小さく制約することを意味し、したがってΘ自体も極めて小さくなければならない。Θは0から2πの間のどのような値も取り得るので、これは標準模型にとって「自然さ(en:Naturalness (physics)」)の問題を提示する。
予想
編集1977年、ロベルト・ペッチェイ(en:Roberto Peccei)とヘレン・クインは、強いCP問題に対するよりエレガントな解決法、ペッチェイ・クイン理論を提唱した。そのアイデアは、Θを効果的に場へ昇格させることである。これは、自発的に破れる新しい大域的対称性(ペッチェイ・クイン対称性(PQ対称性))を加えることによって成立する。これにより、フランク・ウィルチェック[7]とスティーヴン・ワインバーグ[8]がそれぞれ独立に、Θの役割を果たす新しい粒子を示した。この粒子は、CP対称性の破れを自然にゼロへ緩和する。ウィルチェックは、この新しい仮説の粒子を、洗濯用洗剤のブランド名(en:Axion (brand))にちなんで「アクシオン」と名付け[9][10]、一方ワインバーグは「ヒグレット」と呼んだ。後にワインバーグは、ウィルチェックの名前を採用することに同意した[10]。
想定される性質
編集様々な実験や観測を考慮した結果、アクシオンの質量は電子の約1億分の1以下という非常に微小なものだと考えられている。1億分の1というのはあくまで以下というものであって、具体的な数値はわかっていないが、電子の10億分の1程度だと考えられている。 また、光子と非常に弱いながらもお互いに反応するため[11]、光子との反応を使った探索方法が有力なものの一つとなっている[12]。特に、磁場とアクシオンの反応によって光子を作る逆プリマコフ変換を利用した実験は数多くある[12]。
観測実験
編集代表的な検出原理[13]
- プリマコフ効果でアクシオンを光子に転換
- 光子を検出
- X線領域 : 太陽アクシオン - 半導体検出器による検出
- マイクロ波領域 : 暗黒物質アクシオン - CARRACK , ADMX[15]
アクシオンは強い磁場の中で光に変わると予測されており、この性質を利用した検出が世界各国で試みられている。たとえば東京大学のグループは、太陽から飛来するアクシオンに強磁場を印加してX線に変換し検出する試みを行っている。暗黒物質の候補にもあげられているため、京都グループはリドベルグ原子を用いて検出する独自の着想により探索を続けている。アメリカのグループは、超伝導磁石を用いた強磁場の元で暗黒物質のアクシオンが電磁波に変換して検出を試みる最先端にいる。最近では素粒子実験物理学のメッカであるヨーロッパのCERNにおいても、太陽から飛来するアクシオンを大変高い感度で検出を試みる実験が進められている。
観測機器
編集- 望遠鏡
- 太陽中心では原子核や電子と黒体放射光子の相互作用により、平均エネルギー 4 keV のアクシオンが作られている可能性がある。このアクシオンを直接観測するため太陽アクシオン望遠鏡(東京アクシオンヘリオスコープ)が作られ観測が行われている[16]。この望遠鏡は、磁場中でアクシオンをX線に変換することにより観測を試みている[16][17]。
観測成果
編集2019年、京都大学、東北大学の研究グループは、原始惑星系円盤の観測によるアクシオンの探査法とその研究結果について発表した[21][22][23]。原始惑星系円盤は同心円状の偏光パターンを持っており、アクシオンが存在すれば偏光パターンに渦巻き状の乱れが生じるとされる[21][22]。研究グループはすばる望遠鏡の取得した原始惑星系円盤の観測データを用いて分析を試みたが、偏光パターンの乱れは見つからなかった。この研究により、アクシオンと光の相互作用の強さを示す結合定数の上限値を、これまでの研究の10分の1以下に小さく更新することに成功した[21]。
脚注
編集出典
編集- ^ Peccei, R. D. (2008). “The Strong CP Problem and Axions”. In Kuster, Markus; Raffelt, Georg; Beltrán, Berta. Axions: Theory, Cosmology, and Experimental Searches. Lecture Notes in Physics. 741. pp. 3–17. arXiv:hep-ph/0607268. doi:10.1007/978-3-540-73518-2_1. ISBN 978-3-540-73517-5
- ^ 理学系研究科・理学部ニュース 36巻 2号 2004年7月 東京大学 大学院理学系研究科・理学部 (PDF) , 蓑輪眞「研究ニュース : 望遠鏡ものがたり4」『東京大学理学系研究科・理学部ニュース』第36巻第2号、東京大学大学院理学系研究科・理学部、2004年7月、20-21頁、NAID 120001507202。
- ^ Miller, D. J.; Nevzorov, R. (2003). "The Peccei-Quinn Axion in the Next-to-Minimal Supersymmetric Standard Model". arXiv:hep-ph/0309143v1。
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- ^ 今月のキーワード 2010年 physical science magazine 物理の雑誌「パリティ」
- ^ 野代翔平, 高橋成企, 鷲野将臣, 小川泉, 時安敦史, 松原明, 今井憲一, 澤田安樹, 松木征史, 「28aSJ-12 ダークマターアクシオン探索実験CARRACK : バンチ化リドベルグ原子ビームの開発(2)」『日本物理学会講演概要集』 2015年 70.2巻 セッションID:28aSJ-12, p.333-, doi:10.11316/jpsgaiyo.70.2.0_333。
- ^ a b c 『暗黒物質の正体に迫る新しい探査法を提唱 -原始惑星系円盤の偏光パターンからアクシオンを探索-』(プレスリリース)京都大学、2019年6月6日 。
- ^ a b 『惑星形成の現場を見れば暗黒物質の正体に迫れる 暗黒物質の新しい探査法を提唱』(プレスリリース)東北大学、2019年6月4日 。
- ^ Fujita, Tomohiro; Tazaki, Ryo; Toma, Kenji (2019). “Hunting Axion Dark Matter with Protoplanetary Disk Polarimetry”. Physical Review Letters 122 (19). doi:10.1103/PhysRevLett.122.191101. ISSN 0031-9007.
外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、アクシオンに関するメディアがあります。
- 蓑輪, 眞. “地下室から宇宙をのぞく(アクシオン太陽望遠鏡)”. 東京大学大学院理学系研究科・理学部. 2011年10月2日閲覧。
- 青木新, 早田次郎, 「21aAT-8 アクシオン暗黒物質の検出可能性について」『日本物理学会講演概要集』 2016年 71.1巻 セッションID:21aAT-8, p.475-, doi:10.11316/jpsgaiyo.71.1.0_475
- 大本直哉「弦理論アクシオンと超対称標準模型の現象論的かつ宇宙論的側面についての研究 / Phenomenological and cosmological aspects of string axion and supersymmetric standard models」博士論文甲第13561号、北海道大学.理学院(宇宙理学専攻)、2019年3月、doi:10.14943/doctoral.k13561、hdl:2115/74271、NAID 500001345921。
- 小川泉, 「ダークマター アクシオンの探索 (PDF) 」