ザダル

クロアチアの都市

ザダル (クロアチア語: Zadarイタリア語: Zaraギリシア語: Ίδασσα (Idassa), Ιαδειρα (Iàdeira)) は、クロアチア西部、ダルマチア地方の都市。約115キロほど南東にスプリトが位置している。

ザダル
Zadar
ザダル市街
ザダル市街
ザダルの市旗 ザダルの市章
市旗 市章
位置
ザダルの位置(クロアチア内)
ザダル
ザダル (クロアチア)
ザダルの位置(バルカン半島内)
ザダル
ザダル (バルカン半島)
地図
座標 : 北緯44度6分51秒 東経15度13分40秒 / 北緯44.11417度 東経15.22778度 / 44.11417; 15.22778
行政
クロアチアの旗 クロアチア
  ザダル郡
 市 ザダル
市長 ブランコ・ドゥキッチ
地理
面積  
  市域 194 km2
人口
人口 (2021年現在)
  市域 70,779人
    人口密度   365人/km2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
公式ウェブサイト : http://www.grad-zadar.hr/
ローマ時代の広場から見た聖ドナット教会
海の門
市庁舎

歴史

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紀元前9世紀ころより、イリュリア人の集落が形成されており、徐々に都市へと発展していった。前4世紀にはヤデル (Iader) と称されていた。ローマが前3世紀頃より地中海世界の征服を本格化させ、前1世紀までにこの地を征服し、ローマ風の都市が建てられた。多くの建造物は現存していないが、中央広場付近にローマ時代の柱が残されている。地勢上、カトリック世界と東ローマ世界の中間点付近に位置していたため、中世になるとフランク王国東ローマ帝国の影響下におかれた。その後、10世紀よりクロアティアに編入された。12世紀後半にハンガリー王国が領有するが、1202年第4回十字軍を事実上率いていたヴェネツィア共和国に占領され、街は破壊と略奪に見舞われた(ザラ包囲戦)。その後、ヴェネツィアはこの地を中継地として東ローマ帝国のコンスタンティノープルを陥落させ、東地中海の商業覇権を握ることになった。

1797年ナポレオンによりヴェネツィア共和国が滅亡し、カンポフォルミオの和約の結果、他のヴェネツィア領と同様にフランスからオーストリアに譲渡された。1805年プレスブルクの和約ではイタリア王国の一部となる。ナポレオンの失脚後は、オーストリア帝国に分配された。第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が敗れたため、新たに建国されたユーゴスラヴィア王国の一部となるが、1920年ラパッロ条約によりイタリア王国に譲渡された。第二次世界大戦後の1947年、イタリアと連合国平和条約でユーゴスラヴィア領となる。1991年のクロアチア独立後はクロアチア領となる。独立に伴うクロアチア独立戦争では、セルビア軍の攻撃で大きな打撃を受けたが、その後復興が進んだ。

ザダルの防衛施設群は、世界遺産「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の構成要素として登録された(ID1533)。

観光

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  • 聖ドナット教会
  • 聖ストシャ大聖堂
  • 聖クルシェヴァン教会
  • 聖母マリア教会
  • キリスト教美術博物館
  • 考古学博物館
  • 海の門

著名な出身者

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姉妹都市

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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