フィリピン革命軍フィリピン語: Panghimagsikang Hukbong Katihan ng Pilipinasスペイン語: Ejercito en la Republica de la Filipina)は、1897年3月22日カヴィテで創設された。アルテミオ・リカルテ将軍テヘロス会議で提案した[2]エミリオ・アギナルドら革命中央政府は、カティプナンをフィリピン革命軍に置き換えた[3]

Panghimagsikang Hukbong Katihan ng Pilipinas
フィリピン革命軍
フィリピン革命軍の紋章
創設 1897年3月22日
国籍 フィリピン第一共和国
軍種 フィリピン軍
タイプ 陸軍
任務 ゲリラ戦
兵力 100,000 〜 1,000,000 (1898年)[1]
主な戦歴 フィリピン独立革命
米西戦争
米比戦争
指揮
現司令官 エミリオ・アギナルド大元帥
著名な司令官 アルテミオ・リカルテアントニオ・ルナ
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マロロス市における発足式での革命軍の行進。(1899年1月23日)
フィリピン革命軍の旗。フィリピンの国旗に近い図案となっている。

概説

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点検中のフィリピン正規軍

フィリピン革命軍は1896年のスペイン正規軍内のオルデナンサ・デル・エヘルシトを母体としたもので、規律、戦術、指揮系統などを再編し、またアントニオ・ルナの兄のフアン・ルナラヤディロ英語版(制服)をデザインした[4][5][6]。フアンはまた歩兵隊騎兵隊砲兵隊斥候衛生兵の各記章の意匠も担当した[7]

フィリピン革命軍の発展段階は、初期カティプナン、後期カティプナン、フィリピン革命軍の三段階に分けることができる。

兵器

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主要兵器はスペイン・モーゼルM93とレミントン・スペイン・ライフルであった[3]。ほかにはランタカ銃英語版クルップ砲英語版オルドネス砲ホッチキス砲英語版ノルデンフェルト式機銃マキシム機関銃コルト・ブローニングM1895重機関銃などがあり、そのほか竹や角材で補強した水パイプで作られた即席の武器もあった[3]

1899年2月の米比戦争でフィリピン革命軍は全部門がダメージを受けた。アントニオ・ルナは1899年4月にアギナルドの首席顧問だったアポリナリオ・マビニゲリラ戦に急いで転換させるべきだと進言したが、アギナルド大元帥がゲリラ戦に転換したのは半年後の11月であった[8]

階級

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マヌエル・チニオ(座席中央)、ベニート・ナティビダド(右から2番目の座席)、ホセ・アレハンドリノ(左から2番目の座席)
 
アントニオ・ルナ
記章 階級 階級(日本語表記)
Ministro 大元帥元帥
Kapitan Heneral 提督
Tiniente Heneral 中将
Gial De Division 少将
Gial De Brigada 准将
Koronel 大佐
Tiniente Koronel 中佐
Komandante 少佐
Kapitan 大尉
Tiniente 中尉
Sarhento 軍曹
Kabo 伍長

フィリピン革命軍将校の一覧

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フィリピン革命軍将校 (1896年〜 1899年)
名前 階級 党派a 出身b
バルドメロ・アギナルド英語版 中将 マグダロ派英語版 カヴィテ州
クリスプロ・アギナルド英語版 少将 マグダロ派 カヴィテ州
エミリオ・アギナルド 将軍、総指揮官[9] マグダロ派 カヴィテ州
ホセ・アレハンドリノ英語版 准将 エミリオ・アギナルドの私的顧問 ブラカン州
マリアノ・アルバレス英語版 中将[10] マグディワン派英語版 カヴィテ州
パスクアル・アルバレス英語版 准将[11] マグディワン派 カヴィテ州
ヘルモゲネス・バウティスタ 准将[12] アンドレス・ボニファシオ派 マニラ
ビト・ベラルミノ 少将[13] マグダロ派 カヴィテ州
アンドレス・ボニファシオ カティプナン総司令官 ボニファシオ派 マニラ
フアン・カイレス英語版 少将[14] 中立 バタンガス州
マリアノ・リエゴ・デ・ディオス 准将[15] マグダロ派 カヴィテ州
グレゴリオ・デル・ピラール英語版 准将[16] エミリオ・アギナルド派 ブラカン州
ピオ・デル・ピラール英語版 准将[17] マグディワン派 のちマグダロ派 カヴィテ州
エディベルト・エヴァンゲリスタ英語版 中将 マグダロ派 カヴィテ州
ビセンテ・フェルナンデス英語版 准将[18] エミリオ・アギナルド派 ?
リセリオ・ヘロニモ英語版 少将 エミリオ・アギナルド派 リサール州モロン
グレゴリオ・アグリパイ英語版 司教総代理・リワナグ団将軍 リワナグ団(カティプナン援助団体) タルラック州ビクトリア
アドリアノ・ヘルナンデス英語版 准将 ? ?
エミリオ・ハシント英語版 少将カティプナンマニラ北部軍 アンドレス・ボニファシオ マニラ
アニセト・ラクソン英語版 少将 中立 ネグロス島
ウルバノ・ラクナ 准将[19] 中立 ヌエヴァ・エシハ州
マリアノ・ルラネラ英語版 少将 中立 ヌエヴァ・エシハ州
パヤ・ルキノ 准将[20] アンドレス・ボニファシオ ?
マテオ・ルガ英語版 准将 中立 セブ島
ビンセンテ・ルクバン 准将[21] エミリオ・アギナルド派 カマリン
アントニオ・ルナ 提督 (マロロス共和国戦争司令官[22] 中立 マニラ
テレサ・マグバヌアル[23] 准将 中立 イロイロ
フランシスコ・マカブロス英語版 少将 アギナルド派 タルラック
ミゲル・マルバル英語版 少将[24] 中立 バタンガス州
エレウテリオ・マラシガン 准将[25] 中立 バタンガス州
トマス・マスカルド英語版 准将 マグダロ派 カビテ州
アルカディオ・マクシロム英語版 准将 中立 セブ島
フリオ・ナクプリ英語版 少将、 カティプナンマニラ北部軍指揮官 アンドレス・ボニファシオ マニラ
ベニト・ナティビダド英語版 准将 アントニオ・ルナ派 ヌエヴァ・エシハ州
マメルト・ナティビダド英語版 准将 エミリオ・アギナルド ヌエヴァ・エシハ州
マリアノ・ノリエル英語版 准将[26] マグダロ派 カヴィテ州
シメオン・オラ英語版 准将 中立 アルバイ州
アルテミオ・リカルテ 中将[27] (1897年から1898年まで総司令官)[28] マグディワン派 [カヴィテ州]バタック
パキアノ・リサール英語版 少将[29] 中立 ラグナ州
マカリオ・サカイ英語版 少将[30] (のちタガログ共和国英語版大統領). アンドレス・ボニファシオ マニラ
ルキアノ・サン・ミゲル 准将[31] マグディワン派 カヴィテ州
マヌエル・チニオ英語版 准将[32] エミリオ・アギナルド派 ヌエヴァ・エシハ州
ダニエル・チロンナ英語版 准将 マグダロ派 カヴィテ州
イシドロ・トレス 准将[33] ブラカン州
マリアノ・トリアス英語版 中将[34] マグディワン派からマグダロ派へ カヴィテ州
ピオ・バレンスエラ英語版 准将 アンドレス・ボニファシオ ブラカン州
パンタレオン・ビレガス英語版 准将 エミリオ・アギナルド セブ島
フラビアノ・イェンコ英語版 准将 マグダロ派 マニラ

外国人軍事顧問

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陸軍
海軍
  • ビンセンテ・カタラン - スペイン植民地海軍

脚注

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  1. ^ Deady 2005, p. 62
  2. ^ The Philippine Army History”. 2013年12月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月9日閲覧。
  3. ^ a b c Philippine-American War, 1899-1902”. 2012年1月28日閲覧。
  4. ^ Alejandrino, Jose (1949). The Price of Freedom 
  5. ^ Opiña, Rimaliza (2004年11月14日). “Military academy sheds West Point look”. Sun.Star Baguio. http://www.sunstar.com.ph/static/bag/2004/11/14/news/military.academy.sheds.west.point.look.html 2008年5月19日閲覧。 
  6. ^ Jose, Vivencio R. (1986). The Rise and Fall of Antonio Luna. Solar Publishing. pp. 106 
  7. ^ Uniformology II”. 2008年5月20日閲覧。
  8. ^ Linn 2000b, pp. 186–187
  9. ^ Zaide & Zaide 1999, pp. 239, 247.
  10. ^ Alvarez 1992, pp. 7, 127 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  11. ^ Alvarez 1992, p. 116 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  12. ^ Alvarez 1992, p. 149 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  13. ^ Linn 2000, p. 97.
  14. ^ Linn 2000, pp. 145, 220 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  15. ^ Alvarez 1992, p. 59 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  16. ^ Halili 2004, p. 178 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  17. ^ Halili 2004, p. 149 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  18. ^ Alvarez 1992, p. 20 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  19. ^ Linn 2000, pp. 64, 196 (notes 16, 17, 20, 21 & 24).
  20. ^ Halili 2004, p. 144 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  21. ^ Halili 2004, p. 181 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  22. ^ Nakpil 2002, p. 140.
  23. ^ Bernard A. Cook. Women and War: A Historical Encyclopedia from Antiquity to the Present. ABC-CLIO. p. 465. ISBN 978-1-85109-770-8. https://books.google.co.jp/books?id=lyZYS_GxglIC&redir_esc=y&hl=ja 
  24. ^ Halili 2004, p. 151 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  25. ^ Alvarez 1992, p. 54 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  26. ^ Halili 2004, p. 150 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  27. ^ Alvarez 1992, p. 42.
  28. ^ Zaide & Zaide 1999, p. 247.
  29. ^ Alvarez 1992, p. 204 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  30. ^ Halili 2004, p. 184 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  31. ^ Alvarez 1992, p. 101 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  32. ^ Linn 2000, p. 182.
  33. ^ Alvarez 1992, p. 190 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  34. ^ Halili 2004, p. 162 (confirms General Officer status, but not specific grade).
  35. ^ Bowers, Hammond & MacGarrigle 1997, p. 12.
  36. ^ a b c d e Fantina 2006, p. 12.

出典

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外部リンク

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関連項目

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