マリーア・イザベッラ・ディ・スパーニャ

マリーア・イザベッラ・ディ・スパーニャ (Maria Isabella di Spagna, 1789年7月6日 - 1848年9月13日)は、両シチリア王フランチェスコ1世の2度目の妃。スペイン語名はマリーア・イサベル・デ・ボルボン・イ・ボルボン=パルマ(María Isabel de Borbón y Borbón-Parma)。

マリーア・イザベッラ・ディ・スパーニャ
Maria Isabella di Spagna
両シチリア王妃
在位 1825年1月4日 - 1830年11月8日

出生 1789年7月6日
スペインの旗 スペイン王国マドリード
死去 (1848-09-13) 1848年9月13日(59歳没)
両シチリア王国の旗 両シチリア王国ポルティチ
埋葬 両シチリア王国の旗 両シチリア王国ナポリ、サンタ・キアラ聖堂
結婚 1802年7月6日 マドリード
1839年1月15日
配偶者 両シチリアフランチェスコ1世
  バルツォ伯フランチェスコ
子女 本文参照
父親 スペインカルロス4世
母親 マリア・ルイサ・デ・パルマ
テンプレートを表示

生涯

編集

スペインカルロス4世と王妃マリア・ルイーサの四女として、マドリードで生まれた。 実父は宰相マヌエル・デ・ゴドイだと噂されていたため、マリーア・イザベッラは公然と私生児呼ばわりされていた。[1]

1802年7月、マドリードで従兄に当たるフランチェスコ王太子(最初の妃マリーア・クレメンティーナと前年に死別していた)と結婚。なおマリーア・イザベッラの兄フェルナンドはフランチェスコの妹マリーア・アントーニアと結婚している。 姑のマリーア・カロリーナは、自分の子供たちをオーストリア人と結婚させたいと考えており、スペイン・ブルボン家との婚姻に反対していたが、マリーア・カロリーナの反対を押し切って二重結婚が成立した。[2]

夫フランチェスコとの間に12子をもうけた。

夫が1830年に死去した後は9年間未亡人で通したが、1839年1月にバルツォ伯フランチェスコと再婚した。

脚注

編集
  1. ^ Acton、P461
  2. ^ Acton、P451-452

参考文献

編集
  • Harold Acton『The Bourbons of Naples, 1734-1825』1974年