リリアン (タレント)

日本のタレント、歌手

リリアン1950年昭和25年〉10月12日 - 2020年令和2年〉7月18日)は、日本タレント歌手である。本名、下左近 信吉(しもさこん のぶよし)[1][2]大阪府河内長野市出身[1]

リリアン
本名 下左近 信吉
生年月日 (1950-10-12) 1950年10月12日
没年月日 (2020-07-18) 2020年7月18日(69歳没)
出生地 大阪府河内長野市
死没地 大阪府茨木市
職業 タレント、歌手
活動期間 1980年代 - 2020年
主な作品
【テレビ番組】
ノックは無用!
晴れ時々たかじん
【ラジオ番組】
板東英二金曜生BAN BAN
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来歴・人物

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板前を目指すが断念。本職は大阪市北区北新地ニューハーフクラブ「マダムリリアン」の経営者であったが、2006年にリリアン本人の意向で閉店した。関西では特異なキャラクターで売っている「お笑いタレント」としての知名度のほうが高い。

やしきたかじんとは親友で、その関係から一時期は関西ローカル番組を中心にラジオやテレビにも多数レギュラー出演していた。たかじんもよく、リリアンの物真似をしている。また、リリアンと一緒に飲みに行った際、たかじんがふざけて「マリアンで〜す」と名乗っていた事もあったという。外見はたかじんに似ており、ファンから、たかじんと間違えられたこともあった[3]

大阪市都島区京橋駅前にある複合型レジャービル「京橋グランシャトービル」のCMに出演し、同ビルのCMソングとともに、関西圏で彼の知名度を不動のものにした。

1985年阪神タイガース優勝時には「阪神タイガースの優勝を知らない子供たち」で歌手としてもデビューし、全国放送である『ザ・ベストテン』や『オレたちひょうきん族』にも出演した。

1994年胃がんが見つかり胃を全摘出[1]、その療養のためにマスコミへの露出は一時なくなった。

その後、再び関西ローカルのCMに出演、また闘病体験を中心とした講演会の講師などに招かれていた。2008年6月にはたかじんが自身の番組で、リリアンが再び北新地に店を構えたことを伝えた。

「ボッタクリの店」と言いながら親友で野球解説者・タレントの板東英二が通っていた(板東は大阪滞在時に「お前の店(値段が)高いねん!」とぼやいている)。板東とはラジオ番組で共演し、芸能活動も板東の個人事務所に所属していた。2018年頃にクラブの経営を止め、知人の店を手伝っていたという[1]

2019年3月に再び体調が悪化し膵臓がんが判明。その後は入退院を繰り返していたが、2020年7月18日9時17分、心不全のため大阪府茨木市の病院で死去[1][4]。69歳没。生前最後のメディア出演は2020年6月26日(同年5月収録)の関西テレビ『桃色つるべ』であった[5]

出演

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テレビ

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ラジオ

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ドラマ

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映画

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音楽作品

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著書

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  • 『リリアンの泣いて笑って』情報センター出版局、1994年9月。ISBN 978-4795816527 

脚注

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  1. ^ a b c d e オネエ系タレント・リリアンさんが69歳で死去…大阪・京橋「グランシャトー」CMでおなじみ - スポーツ報知 2020年7月19日
  2. ^ 『リリアンの泣いて笑って』8頁。
  3. ^ キダタロー 著、成瀬国晴 画『キダタローのズバリ内証ばなし 続』ナンバー出版、1987年4月10日、176 - 177頁。NDLJP:12438975/95 
  4. ^ リリアンさんが死去、69歳 大阪・京橋「グランシャトー」CMでおなじみ - SANSPO.COM 2020年7月20日
  5. ^ タレントで歌手のリリアンさん死去 69歳 大阪でテレビ・ラジオ多数出演 しめやかに通夜 - Sponichi Annex 2020年7月19日

関連人物

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外部リンク

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