二条 重良(にじょう しげよし)は、江戸時代中期の公卿右大臣二条宗基の子。官位正二位権大納言二条家22代当主。号は維則院。

 
二条重良
「摂家二條家墓基礎調査報告書」同志社大学歴史資料館
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦元年11月3日1751年12月20日
死没 明和5年7月2日1768年8月13日
別名 号:維則院
官位 正二位権大納言
主君 桃園天皇後桜町天皇
氏族 二条家
父母 父:二条宗基、母:家女房
兄弟 五千姫、重良治孝
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経歴

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宝暦元年(1751年)、二条宗基の子として誕生。9代将軍・徳川家重から偏諱を受ける。

宝暦9年(1759年1月9日、叙従三位。宝暦13年9月27日(1763年11月2日)右近衛大将となる。

明和5年(1768年)薨去。実弟・治孝が跡を継いだ。

系譜

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関連項目

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