八王子社 (奈良市納院町)

八王子社(はちおうじしゃ)は、奈良県奈良市納院町にある神社八屋神社あるいは蜂屋神社とも呼ばれる[2]

八王子社

八王子社
所在地 奈良県奈良市納院町5
位置 北緯34度40分31.51秒 東経135度49分53.54秒 / 北緯34.6754194度 東経135.8315389度 / 34.6754194; 135.8315389 (八王子社 (奈良市納院町))座標: 北緯34度40分31.51秒 東経135度49分53.54秒 / 北緯34.6754194度 東経135.8315389度 / 34.6754194; 135.8315389 (八王子社 (奈良市納院町))
主祭神 大山咋神
社格 無格社[1]
別名 八屋神社、蜂屋神社
例祭 9月1日
地図
八王子社の位置(奈良市内)
八王子社
八王子社
テンプレートを表示

薬師堂町の御霊神社摂社とされている[1][2]

歴史

編集

奈良坊目拙解』に名の見える「八王子社」はこの神社と比定されており、それによれば、この神社は近州坂本日吉八王子から勧請されたと見える[2]

長者「蜂屋」の跡

編集

室町時代より当社の建つ納院町では、蜂屋姓の冶金業者が繁栄し、康正年間には蜂屋五郎三郎が有徳人として、興福寺有徳銭を課せられていたという[3][4]。また納院町は蜂屋辻子(ずし)とも呼ばれたという[3]

戦国時代には茶人として著名な蜂屋紹佐がこの地に住み、時の人からは「蜂屋殿」と呼ばれていた[3][5]。紹佐は金銭は減り易いので子孫に伝え難いと思い、井戸を掘り砥石を積み重ねて金を埋めておいた[5]。紹佐は元亀2年(1571年)7月に松永久秀多聞山城内で死亡したが[3]、その後曽孫の代になり蜂屋も貧乏になったため、井戸を掘り返したところ、砥石は全て墉石となり、金も見つからず家は衰えたと伝わる[5]。蜂屋の屋敷であったところが現在の八王子社の所在地であり、蜂屋神社の異名もそこから生じている[5]

祭神

編集

関連項目

編集

出典

編集
  1. ^ a b 奈良県史編集委員会 編『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年、21頁。ISBN 462601335X 
  2. ^ a b c d 奈良市史 社寺編 p.83
  3. ^ a b c d 角川日本地名大辞典29 奈良県 p.862
  4. ^ 大乗院寺社雑事記 康正3年(1457年)2月25日条
  5. ^ a b c d 第1回奈良市眺望景観検討懇談会 参考資料

参考文献

編集