安谷屋城(あだにやグスク/あだにやじょう)は沖縄県中頭郡北中城村安谷屋に所在するグスク)跡。

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安谷屋城
沖縄県
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 不明(安谷屋按司?)
築城年 不明(天孫氏時代?)
主な改修者 不明
主な城主 安谷屋按司、安谷屋若松
廃城年 不明
遺構 曲輪、井戸、拝所等
指定文化財 史跡未指定
再建造物 なし
位置 北緯26度17分49.6秒 東経127度47分24.9秒 / 北緯26.297111度 東経127.790250度 / 26.297111; 127.790250座標: 北緯26度17分49.6秒 東経127度47分24.9秒 / 北緯26.297111度 東経127.790250度 / 26.297111; 127.790250
地図
安谷屋城の位置(沖縄本島内)
安谷屋城
安谷屋城
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概要

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安谷屋城は、北中城村に点在するグスクでは、最も古いと言われている。沖縄では「安谷屋グスク(あだにやぐすく)」と呼ばれている。若松公園の東側丘陵に築かれており、一説では、天孫子の時代の築城とも伝わっている。安谷屋グスクは南北約130メートル、東西約60メートル、標高およそ90メートルの規模がある[1]。グスクからは、土器、輸入青磁器片、白磁片、須恵器片、陶器等が採集されている[1][2]。これらは、14〜15世紀の遺物と考えられている[3]。安谷屋グスクは二つ郭からなる連郭式のグスクで、用水井、拝所等が残っている。

安谷屋グスクには、かつて安谷屋按司(あだにやあじ)が居た。第一尚氏が滅亡し、1468年に金丸尚円王として王位に就くが、その際に安谷屋按司を中心とした転覆活動が進められるが失敗し、後難を恐れて安谷屋按司は身を隠した[1]。その後、第二尚氏 尚円王の息子「若松」が派遣されて、安谷屋グスク城主になった。

付近には、北中城村指定文化財の、

  • 根所火の神(字安谷屋126)[4]
  • 中城若松の墓(字安谷屋西後原1447)[4]

がある。

安谷屋グスクの小起伏丘陵の南面には「安谷屋(あだにや)」集落がある。戦後、安谷屋グスクの東部丘陵地には米軍貸住宅が形成された[5]

脚注

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  1. ^ a b c 沖縄県教育庁文化課 編『沖縄グスク分布調査報告書 沖縄本島及び周辺離島 沖縄県文化財調査報告書 第53集』緑林堂出版、1985年、74頁。 
  2. ^ グスクロード1|沖縄県北中城村の図書館-あやかりの杜-”. www.ayakari.jp. 2023年5月6日閲覧。
  3. ^ 『北中城村史』北中城村、1970年。 
  4. ^ a b 北中城村第四次総合計画”. 北中城村. p. 58. 2023年5月7日閲覧。
  5. ^ 第 4 次北中城村国土利用計画”. 北中城村. p. 15. 2023年5月7日閲覧。