小松城

石川県小松市にあった城郭

小松城(こまつじょう)は、石川県小松市丸の内町にあった日本の城。小松市指定史跡[1]

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小松城
石川県
天守台石垣と鰻橋移築御門
天守台石垣と鰻橋移築御門
別名 芦城、小松の浮城
城郭構造 梯郭式平城
天守構造 代用三重櫓(非現存)
築城主 若林長門守
築城年 天正4年(1576年
主な改修者 前田利常
主な城主 若林長門守村上頼勝丹羽長重
前田利常
廃城年 明治5年(1872年
遺構 石垣・移築門・御樓閣天井板・二階御亭入口扉・兎御門扉及び葭島御殿兎門扉
指定文化財 市指定史跡
(本丸櫓台石垣)
(鰻橋移築御門)
位置 北緯36度24分45.44秒 東経136度26分36.44秒 / 北緯36.4126222度 東経136.4434556度 / 36.4126222; 136.4434556座標: 北緯36度24分45.44秒 東経136度26分36.44秒 / 北緯36.4126222度 東経136.4434556度 / 36.4126222; 136.4434556
地図
小松城の位置(石川県内)
小松城
小松城
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概要

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江戸時代の小松城の俯瞰図

天正4年(1576年)に加賀一向一揆方の若林長門守によって築かれたといわれ、織田信長の武将柴田勝家により攻められ、村上氏、丹羽氏が城主となった。江戸時代になると加賀藩領となるが、元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となる。

寛永16年(1639年)、2代藩主前田利常の隠居城という名目で再築、しかし大規模な水堀を廻らし、築島を配するという新城建設に似た大規模なものとなった。完成した城域は金沢城の約二倍の規模を誇る。利常の死後は加賀藩金沢城の支城となり、城番により統治され、明治維新を迎えた。

本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。

遺構

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現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存状態は良くないが、天守台及び内堀の石垣が残る。建造物としては、鰻橋御門が小松市園町の来生寺寺門に移築され現存する[2]ほか、兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市の成巽閣で、二階御亭入口扉と御樓閣天井板が小松市丸の内公園町にある芦城公園内の小松市立博物館で、それぞれ保管されている[3][4]

沿革

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ギャラリー

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逸話

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  • 小松城は、かつて明智光秀朝倉義景から、要害の地はどこかと尋ねられた際、「加賀にては小松あたり」(明智軍記)と答えたほどの要害の城である。同様のことは「北陸無双ノ城郭」(「小松軍記」)という記述にも窺われる。

脚注

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  1. ^ 「小松城本丸櫓台石垣」小松市公式HP
  2. ^ 来生寺(「まるごと・こまつ・旅ナビ」=一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク)2020年4月27日閲覧
  3. ^ 小松城天守台(「まるごと・こまつ・旅ナビ」=一般社団法人こまつ観光物産ネットワーク)2020年4月27日閲覧
  4. ^ 石川県の小松美術館・博物館総合サイト

関連項目

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