山角 康定(やまかく やすさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士後北条氏の家臣。

 
山角康定
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正18年(1590年
別名 四郎左衛門尉、治部
官位 上野介[1]
主君 北条氏政氏直
氏族 山角氏
父母 父:山角定吉
兄弟 定利定勝
直繁大藤秀信[1]
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略歴

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山角定吉の嫡男として誕生。北条氏康から偏諱を受け、その子・氏政の側近であった[1]。初め四郎左衛門尉、治部、後に上野介と称した[1]

北条氏所領役帳』には御馬廻衆として200貫文余の知行高が記されている。虎朱印状の奉者を務め、評定衆としても活躍した[1]。現存している裁許朱印状には康定が関与した物が多数残っており、彼の評定衆としての活躍が窺い知れる。また、検使や伊豆国代官を務め、上杉謙信との越相同盟交渉にも関わっている[1]。他にも小田原城の御馬廻衆の統括者であり、300騎の侍大将であった[1]

天正18年(1590年小田原征伐では小田原城に籠城し、開城後まもなく死去している。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 下山治久『後北条氏家臣団』東京堂出版、2006年、672-674頁。ISBN 4-490-10696-3 

出典

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  • 『戦国の魁早雲と北条一族―北条五代百年の興亡の軌跡』新人物往来社、2005年、ISBN 4404033168
  • 歴史群像シリーズ14 真説戦国北条五代 早雲と一族、百年の興亡』(1989年、学習研究社) ISBN 405105151X