崇福寺 (福岡市)

福岡県福岡市にある寺院

崇福寺(そうふくじ)は、福岡県福岡市博多区にある臨済宗大徳寺派の寺院。同派三道場の一つ。九州触頭。当初は大宰府にあったが、黒田長政筑前の藩主になると、現在の千代町に移転させた。福岡藩黒田家菩提寺。かつての伽藍は海岸まで続き広大な寺域を誇ったが、福岡大空襲により灰燼に帰した。

崇福寺
所在地 福岡市博多区千代4-7-79
位置 北緯33度36分20.59秒 東経130度24分49.43秒 / 北緯33.6057194度 東経130.4137306度 / 33.6057194; 130.4137306
山号 横岳山
宗派 臨済宗大徳寺派
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 仁治元年(1240年
開基 湛慧
別称 勅賜萬年崇福禅寺
法人番号 2290005000329 ウィキデータを編集
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地蔵堂(手前にある2つの石は百度石
大雄宝殿
庫裏と鐘楼
唐門
黒田家歴代墓所

沿革

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逸話

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崇福寺には讃岐丸亀藩京極高豊(きょうごくたかとよ)正室、市子(松壽院)が寄進した荘厳具が伝わる。これは市子の母である前橋藩酒井忠挙(さかいただたか)正室、宝厳院筑姫(3代福岡藩主黒田光之の娘)が逝去した折、亡き母の実家である黒田家が、崇福寺にて法要を行った際に寄進したものである。この荘厳具は母と娘の絆を伝える貴重な物である。

文化財

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  • 山門
    県指定有形文化財。かつて福岡城の本丸表御門であったものを、1918年大正7年)に陸軍により払い下げられ、崇福寺境内に移築された。二層造で本瓦葺の切妻造
  • 唐門
    県指定有形文化財。名島城遺構を移築したもの。
  • 仏殿
    県指定有形文化財。
  • 紙本墨画出山釈迦像(県指定有形文化財)
  • 絹本著色黒田孝高・長政像(県指定有形文化財)
  • 地蔵尊
    随乗坊湛慧が横穴を掘って隠棲しそのまま座位の姿で息絶えたとされる地に石塔が立てられ、のちに地蔵が祀られた。崇福寺が現在の地に移転した際に地蔵も共に移された。日切地蔵とも呼ばれ、願掛けのお地蔵さんとして崇敬を集めており百度参りの地としても有名。四がつく日(四日・十四日・二十四日)が縁日(または御日)とされており特に賑わっている。
  • 黒田家歴代墓所
    黒田孝高(如水)や正室の櫛橋光(照福院)、長政、弟の黒田熊之助をはじめ、4代藩主・綱政、6代藩主・継高、7代藩主・治之、9代藩主・斉隆、10代藩主・斉清の墓碑がある。藤水門で仕切られた一郭が黒田家の墓所となっている。なお、2代藩主・忠之、3代藩主・光之、8代藩主・治高の墓所は東長寺にある。11代藩主・長博以降は東京の青山霊園。当初の墓所は現在の5倍以上あったが戦災で焼失、戦後に改葬、合祀され縮小された。新たに墓所を北側に土を盛り築造。なお、長政の墓碑などはこの時に新しく作られた。後にまた再整備され、門(藤水門)、案内看板などが新しく設置された。現在福岡市に寄贈され、移管された為基本的に土日祝日の10時〜16時に限り、墓所の北門から入り参拝することができる。無料。(年末年始等については福岡市の担当部署へ確認を。)
  • 島井宗室墓所
  • 高場乱墓所
  • 大森治豊墓所

周辺施設

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交通

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外部リンク

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