成田 一郎(なりた いちろう、1894年12月22日[1] - 1959年7月4日[2])は、日本内務官僚政治家兵庫県知事(官選第28代)、石川県知事(官選第36代)、台湾総督府総務長官、参議院議員(1期)。

成田一郎

経歴

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宮城県仙台市出身[1]。成田喜十郎の長男として生まれる。広島高等師範学校を経て、1920年京都帝国大学法学部を卒業[2][注 1]。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入り[2]埼玉県属となる。埼玉県児玉郡[1]警視庁警視[1]、内務省社会局事務官、社会局労働部労務課長、同庶務課長、資源局事務官などを歴任。

1936年、内務書記官内務大臣秘書官となり、大臣官房人事課長[1][2]、社会局労働部長[1][2]厚生省労働局長などを務める[1][2]1939年4月、石川県知事に就任[2]1940年1月、内務省土木局長となる。同国土局長(土木局の改称)、同地方局長を経て、1942年6月、兵庫県知事に発令された[2]1945年1月、最後の台湾総督府総務長官に就任し[2]終戦を迎えた。

戦後に公職追放となる。追放解除後、1956年7月の第4回参議院議員通常選挙兵庫地方区から自由民主党公認で出馬し当選。1959年7月4日に現職のまま死去、64歳。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲二等からの昇叙)、正四位から従三位に叙される[3]

その他、東和海運株式会社社長[2]、神戸港港湾審議会委員[2]、兵庫県弓道連盟会長などを務めた[2]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『大衆人事録』第19版、西日本篇、590頁では「東大法科卒」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『大衆人事録』第19版、西日本篇、590頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』375頁。
  3. ^ 『官報』第9761号136頁 昭和34年7月8日号
  4. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
公職
先代
斎藤樹
  台湾総督府総務長官
第17代:1945
次代
廃止
官職
先代
坂千秋
  兵庫県知事
官選第28代:1942年 - 1945年
次代
藤岡長敏
先代
近藤駿介
  石川県知事
官選第36代:1939年 - 1940年
次代
土居章平